第16話 なんか一人だって

「リグロルどうしよう!」


 朝食をとり自室に戻った途端に文月はリグロルに泣きついた。


「どうなさいましたフミツキ様?」

「逃げたくなってきた!」

「何からお逃げになるんですか?」

「えーっと……色々!」

「色々と申されましても……そうですね……。今フミツキ様の中で一番気になる事はなんですか?」

「タルドレム!」

「タルドレム様の何が気になるのですか?」

「匂い!」

「お体が臭かったという事ですか?」


 ……、……。

 文月はタルドレムに抱きとめられた時の事を思い出した。

 浮かぶ映像は間近に見た濃い緑色の瞳。だがそれよりも強い印象を残しているのはタルドレムの匂い。まるで包まれているような安心感がある匂いだった。

 知らず知らず文月は自分を抱きしめる。


「ううん……いい匂いだった……」

「他にお気になるところはございましたか?」

「けっこう筋肉ついてた……」

「鍛えておられますからね。他にはございませんか?」

「目が綺麗だった。深い緑色してた」

「そうですね、王妃様譲りのお色です」

「……他には、手が結構ごつごつしてた」

「弓だけでなく、剣も嗜んでおられますから力強い手になっているんですね」

「……それと……、何か変な気持ちになった」

「変なお気持ちですか?」

「うん……よくわからないよ」


 リグロルは考える。さてどうしましょ?

 直接的な言葉をこの場でお伝えするのは簡単だ。しかしそれが正解とは思えない。何よりこの後お二人でお出かけなのだから進展はそこで十分ありえる話だ。いや間違いなく今のお気持ちのままなら進展する。

 機会到来!!逃してなるものですかぁ!!


「フミツキ様、複雑なお気持ちでしょうがこの後お二人でお出かけなのです。色々な事から逃げたい、そのお気持ちを一つ一つ正直にタルドレム様にお伝えしてみてはいかがでしょう?」

「あーそうか、これから会うんだった……。けど悩み事相談なんてなぁ……。リグロルじゃ駄目なの?」

「私では力不足です。タルドレム様は王子ですが既に執務もそれなりにこなせる実力をお持ちだそうです。それこそ色々な案件を扱い解決しておられますからフミツキ様のお悩みにもきっと相談にのって下さいますよ」

「タルドレムに相談かぁー……他にいないかな……」

「タルドレム様が適任です。フミツキ様の今のお悩みを解決できる手段を最も多く持っていらっしゃるのがタルドレム様です。タルドレム様以外におられません」


 リグロルのタルドレム押し。


「あー、乗り気がしない……」

「さあフミツキ様、お出かけなのですからまずは着替えましょう」

「え?また着替えるの?」

「はい、タルドレム様のご意向で王族と分からない服装で街に下りようとのご提案です」

「どういうこと?」

「ありのままの国と民を見て欲しい、との事です」

「なるほどね……」

「こちらになります」


 そう言ってリグロルが見せてくれたのはちょっと薄汚れたような印象がある仕事着とも言えるようなシャツとスカートだった。


「それが一般的な服装?」

「そうですね。いわゆる街娘といったところでしょうか」


 ドレスを脱ぎシャツとスカートを身につけベストを着る。その上に外出用の地味な上着を羽織った。


「おー、動きやすい」


 腕を動かしてみてドレスとの違いにちょっと新鮮味を感じる。


「ドレスよりもこういう普段着のほうがいいなー」

「なるほど、ではリィツィにその旨は伝えておきますね。要望が多いほどあの子は張り切りますから」

「あはは、何か分かる気がするよ」


 リィツィのちょこまかした動きと独特の口調を思い出して文月はくすりとした。


「そういえば……、いい匂いって言ったほうがいいかな?」

「ここぞという時にお伝えください」

「ここぞって?」

「お脱ぎになった時にお伝えするのが効果的かと思います」

「じゃぁ機会は無し」

「……」

「……無いよ?」


 リグロルはなんで残念そうな顔してるの?


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 気落ちしていたのも僅か、すぐに復活したリグロルに連れられて文月は1階のホールにやってきた。再び両側の兵士に扉を開けてもらい文月はリグロルと連れ立って前庭へ出た。天気はよく風は僅かに吹いている。男女が連れ立ってお出かけするには良い天気だ。


「タルドレムとはどこで待ち合わせ?」

「ここに馬車でお迎えにあがるとのお話でしたが……あ、見えましたね」


 リグロルの見た方を文月も見る。なるほど馬車がやって来る。昨日乗った馬車とは歴然と差がある幌付きの馬車だ。印象は普通&地味。

 ガコガコと音を立てて馬車が文月たちの前に止まった。


「待たせた」

「わぁタルドレム、印象違うね」


 ひょいっと荷台から降りたタルドレムを見て文月はちょっとびっくり。服装が装飾の全くない薄汚れたもので、頭にはバンダナを巻いていた。腰に剣は携えているものの全体の印象は近所のにーちゃんだ。

 得意そうに笑うタルドレムはとても楽しそう。


「よしフミツキ行こうか」

「楽しそうだね」

「そう見えるか?」

「うん」

「楽しいからな、ははは」


 タルドレムの笑顔につられて文月も笑いながら手をとられる。タルドレムに引き上げられて文月は荷台に乗り込み座った。


「出してくれ」


 御者にタルドレムが声を掛けて馬車が動き出した。


「いってらっしゃいませ」

「うん、行ってきます」


 リグロルがにこにこと笑いながら見送ってくれた。

 馬車が前庭の木々の陰で見えなくなるまでリグロルは文月たちを見送った。

 城内の道なのでそれなりに整備はされているのだろうが馬車は揺れる。整備された庭の中を急ぐことなく馬車は進んだ。太陽もそれなりに上って幌の中を通る風がほんのり温かく気持ちいい。時折風に花の香りが混ざった。どれも違う匂いだったが文月はみんなそれぞれいい匂いだと思った。


「いい天気……」


 綺麗な庭と空を見上げながら文月が目を細めつぶやく。タルドレムは文月の独り言には返事をせず楽しそうにその横顔を見つめていた。

 しばらくすると大きな城門が見えてきた。昨日の跳ね橋の城門よりもかなりでかい。日本の一軒家を二つ重ねても余裕を持って楽々通れる程だ。城門は木で作られており鉄で補強してあった。一つ一つの部品がそもそも大きく、それらが重厚に組み合わさって出来ていた。

 城門がある。

 それだけで圧倒的な存在感だった。


「うわー大きな門だねー」

「正門だからな」

「これから開くの?」

「いいや、正門が開いてこの格好で出て行ったら『王子が変装して街に来た』って喧伝してるようなものだからな。通用門を使う」

「なるほど、それはそうだね」


 そろそろ正門が見えなくなった頃に昨日と同じくらいの大きさの門が見えてきた。

 何台かの荷馬車が入ってきて文月達とすれ違い、城内へ入っていった。

 文月達も一旦止まる。


「よう、ご苦労さん」

「これはタルドレム王子、お気をつけて」


 あっさり顔パス。

 通り過ぎたら何故か詰め所にいた兵士が全員出てきてにこにこするので文月も笑いながら手を振った。兵士全員が興奮したようにガチャガチャと鎧を鳴らし手を振り返してくれた。

 いい人ばかりだなぁ。仕事してねー。

 城壁は分厚く、まるで短いトンネルだ。出口の向こうから雑踏が聞こえる。初めての異世界の街に文月は胸が高鳴った。

 日本でも旅行へ行った時に感じられる違う土地だという感覚。その感覚は外国へ行った時はもっと強くなる。まして文月にとってここは異世界。違う世界に来たのだと強烈に実感した。

 人だ。

 人が違うのだ。

 色とりどりの髪色の人たちが大勢行き交っている。その人たちが息を吸い、吐く空気が違った。口にしている言葉は理解できるけどその思想が違った。知らない概念や思想から生まれた言葉が知らない雑踏を作り出していた。知らない思想で作られた建物、知らない思想で作られた石畳、大きな相違はないであろう物もすべてが未知の思いから作り上げられた物ばかりだ。文月の知っている、文月の慣れた思想はここにはひとかけらもない。ここは日本じゃない、それどころか地球ですらない。恐ろしいほどの距離感を感じてしまい文月は思わず荷台の奥に下がった。


「どうした?」


 文月を心配したタルドレムが声を掛けてくれるがタルドレムだってこの世界の住人なのだ。

 孤独。

 この言葉をこれほどまでに痛感している人間は間違いなく自分だけだ。周囲に大勢人がいるからこそかえって自分の孤立さ加減が分かってしまう。


「フミツキ?」


 タルドレムが心配そうに近寄った瞬間、文月は反射的に下がってしまった。


「……戻るか?」


 文月にそれ以上近づくことはせずタルドレムは僅かな逡巡の後、静かに問いかけた。


「だ、大丈夫だよタルドレム楽しそうだったじゃない街廻りしようよお母さんに焼き菓子買ってきてって頼まれてたじゃない、けど僕お金もって無いからタルドレム払ってね王子様だからお金はもってる?それとも王子様だからお金なんて持たずにおつきの人が払うのかな?お店の名前は何だったけ?タルドレム覚えてる?初めての街だから僕は分からないからタルドレムが案内してね、今日はいい天気だし風も気持ちいいしお出かけには丁度いいよね戻らなくて大丈夫、リグロルに行ってきますって言ったのにすぐに戻ったら驚かれちゃうよ戻らなくて大丈夫、僕は大丈夫だよ大丈夫、大丈夫だよ大丈夫だから、大丈夫」

「しかし、フミツキ……」

「なぁに?」

「泣いてるぞ」

「え?」


 頬に手をやると指先が濡れた。


「え?」


 ぽろぽろと涙がこぼれる。


「え?え?」


 涙は次から次へと溢れてくる。声をもらすものかと、泣かないようにと文月は唇をかみ締めスカートを握り締めた。頑張れば頑張るほど何故か涙が溢れてきた。


「で、出てくるときにね、うっ、た、タルドレム王子にねっ、リグロルがっ、悩み事そーだん、そうだんしなさいって、言ってたんだ、それで、それで、悩み事を言わなきゃ、いけないのかなって思って、うぅ、ぐずっ」

「うん、それで泣いたのか?」

「ち違うよ、泣いてないお、うぁー、ないよー」

「そうか……悩み事ってなんだ?」

「あ、あのね、ぐずっ、すん、あのね、ぅー」

「うん」

「た、タルドレムがねっ、ぐずっぐずっ」

「うん俺がどうした?」

「いー、いい匂いだっ、て、ぐずぅ、すん」

「ん?俺の匂いが原因なのか?」

「ちがうよー、ちがうよぉー、うぁー」

「フミツキ」

「なんだよー、もぉー、あっ」


 タルドレムは文月をふんわりと抱きしめた。


「また叩いていいぞ」

「もぅたたかないよぉばかぁーばかぁー」


 文月は腕の中でタルドレムをぽかぽか叩いた。


「もー、なんでかなー、ぐずっ」

「なにがだ?」

「なんでもないよっ、ずっ」

「気になるな、話してくれないか」

「僕も良く分からないよ、ぐずん」

「そうか、じゃぁ仕方ないな」

「そうだよ、仕方ないんだよっぐずず」

「ほら、拭くぞ」


 タルドレムはハンカチを出して文月の涙を拭こうとした。


「いいよ、自分でできるよ、こっち見ないでよ」


 文月はタルドレムのハンカチを受け取ると腕の中で背中を向けた。

 そのままタルドレムにもたれかかる。

 結構遠慮なく体重を預けたつもりだったがタルドレムは平気そうだ。それならと文月は全体重をタルドレムに預けたがそれでもしっかりと支えてくれた。

 昨日と同じ匂いに抱かれて文月は安堵のため息をつく。

 タルドレムにもたれかかり両手が空いても文月はハンカチで目元をぬぐう事はせずそのまま大人しくタルドレムにもたれかかっていた。

 しばらくしてからぐずっと鼻をすすってハンカチを目元に当てた。始めはぽんぽんとあてていたが、結局ごしごしと拭いた。

 文月は自分のお腹に置かれたタルドレムの腕に重ねるように自分の手を置いてもう一度ため息をついた。

 馬車が揺れるたびに二人とも一緒に揺れる。がたんと揺れればあっちに、ごとんと揺れればこっちへ、二人一緒に傾いた。

 それから二人で一緒に揺れていると馬車がごとんと止まった。


「タル……、失礼。着きましたよ」


 御者が声をかけてきた。


「フミツキどうする?このまま戻ってもいっこうに構わないぞ」

「……降りる」

「大丈夫か?無理はしなくていいからな」

「無理は……うん、ちょっとしてるかも……けど頑張るよ、大丈夫」


 気丈に顔を上げたフミツキの横顔はしっかりしていた。それを確認したタルドレムは内心で安堵する。悲しんでいる女性を無理矢理連れまわる事などしたくない。

 よしっと文月はタルドレムの腕から抜け出し荷台の中で立った。よろっとしたところをタルドレムがすかさず支えた。

 手を繋いだままタルドレムが先に降り文月を降ろした。

 石畳の上に文月の足がついた。リグロルに履かせてもらった皮の靴から目線を上げるとさっき見た正門が聳え立っていた。馬車は通用門をくぐり正門の反対側まで来たのだ。

 振り返れば異世界の大広場。

 押し寄せる異世界感に文月はタルドレムにしがみつく。


「うわ……」


 文月の小さな感嘆は雑踏に跡形も無く吸い込まれた。

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