終章/残照
ギリエは荒れ地の向こうに真っ白な家を見出した。駆け足で近づくと、その外壁は白い尖ったものを隙間なく組み立てて出来ている事が分かった。
戸口の掛け布が持ち上げられ、中から長く尖った耳の男が現れた。「何か用かな、お客人」左の袖はだらりと垂れ、そこにあるはずの手は欠けていた。
「ああ、すみません。僕は旅をしているんです。故郷の外に生きている人がいるかどうか探しに」ギリエの内心に緊張と興奮が生まれた。やっと見つけた! とうとう成し遂げたのだ!
「そうか。それは良かった。来てくれてありがとう」長耳の男は愛想良く笑った。歓迎されている事を知ってギリエは嬉しくなった。
「教えていただけますか。この家は何で出来ているんですか?」
「それかい。
「それにしても、本当にありがとう。これでまたレアを当分飢えさせなくて済む」
え? 聞き返そうとして、出来なかった。男が背に隠していたナイフ――外壁を造る素材と同じ色と質感のそれ――が、ギリエの心臓に深々とめり込んだ。
男がナイフを捻じった。ギリエは絶命した。
夕焼けが、夥しい骨を積み上げて造られた家を血の色に染めていた。
ノーアが獲物を解体して運んでいるとレアが戻って来た。真珠色の翼をはためかし、軽やかに地に降りた。
「おかえり。何か見つかったかい」
「ただいま、ノーア。今日は何も」
二人にとって――というよりレアにとって――深刻な問題として、崩壊した世界には食料がないというのがあった。ノーアはこれまでの習慣から野草を食べても何とかなったが、レアは肉以外の物を食べた事がない。無理に食べようとすれば吐き出して、かえって消耗してしまう。赤子と違って、ノーアが死なない程度の生き血を飲ませるだけでは不十分だった。残っていた左腕の肩から肘に掛けて、少しずつ噛み千切っては食べていたが、あっという間になくなってしまった。だからといってノーアを殺すわけにもいかない。目となってくれる者がいなくなれば、いよいよ彷徨うばかりだ。
――最初に手に掛けたのはどんな人間だったか、もう忘れてしまった。辺境に暮らす、外界との繋がりを断っていた集落。生き残りの人を見た時に二人が思ったのは、やっと食べ物が見つかったという事だけだった。
終わってしまった世界の倫理なぞ、どうして気にする必要があろうか。二人は共に生きると決めたのだ、可能な限り長く一緒にいたいのだ。
ゼロからイチまでは遠い道程だが、イチから先は簡単に増えて行った。
ノーアは骨を残しておいて、道具を作る事を思いついた。さらに残った骨で家を造った。
ノーアは
安定した栄養を供給出来るようになると、レアの能力に変化が現れた。失われた視覚を補うように、聴覚と嗅覚が鋭敏になっていった。
「じゃあ、おれはもう用済みかな」
「わたしは
レアは日中は近くを飛び回り、獲物を探すようになった。と言っても、基本的には大した物は見つからない。一日かけて鼠一匹どうにか捕まえるなんてのはざらにあった。ノーアは食べられる植物を集めて畑を作った。最も、収穫しても食べるのは彼一人だが。
その内、ご馳走が時折やって来るようになった。それらには長い耳も、獣や蜥蜴の尾も、翼もなかった。気紛れで一度、彼らの話を聞いた事がある。『始まりの聖母』グラシャ=ラボラスの末裔だと言っていた。時々、自分のように外界の人を探して旅立つ者がいるとも。
「そうなんだ」二人には
日が暮れる前に暖炉に火を熾すのが彼の日課だった。日中に対して、夜はかなり冷える。熱と光は夜を過ごす上で不可欠の安息を齎した。
病んだ顔色の太陽がひときわ赤く輝きながら沈んでいく所だった。二人は木を削り出した長椅子に並んで腰かけていた。
「なあ、レア」
「うん?」
「――おれはやっぱり、死んでもお前の傍にいたい。ずっと考えてたんだ。もうあっちには戻れないって。どうすればいいだろう?おれは老いさらばえるだけでも、レアはずっとあの頃のままだ。おれの方が先に死んだら、どうすればいい?」
「わたしには難しい事は分からないけど」
「うん」
「ノーアとわたしは、ずっと一緒。今までそうしてきたじゃない。だから、これからも」
沈黙。
「これはわたしの思いつきだけど」レアは穏やかに言う。「あなたの方が先に死にそうになったら、わたしはあなたの魂ごと全部食べてみるっていうのはどう? 」
「出来るのか、そんなの」
「死体を食べるんじゃなくて、生きたまま食べるの。全部わたしの中に取り込めば、永遠に一緒にいられると思うな」
「……」
「だから、心配しないで。わたしの
「おれも好きだよ。
レアがそっと顔を寄せてきた。ノーアは目を伏せた。
温かいものが、胸に溢れた。
エンジェリック・パラノイア 鼓ブリキ @blechmitmilch
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