女ふたり

 昼下がり、太陽はまるで熱病患者だ。赤く浮腫んだ顔を俯けて、地上を見下ろしている。ノーアは片手を挙げて目に差し込む光線を遮る。

 傍らにはレアが立っていた。「どうしたの?」急に手を離したのを訝しんで声を掛けてきた。

「ああ、ちょっと眩しくてさ」

「そうなんだ」二人は言葉少なに歩いていた。疲労、負傷、それらもあろうが、ノーアはどうやって切り出したものかと悩んでいた。

「……あのさ」レアの手を握り直したが、そこには先程よりも強い力がこもっていた。

「なあに?」

「その、本当なのか? おれを、食べるってのは」おれは彼女にどんな答えを期待しているのだろう?

「うん、本当だよ。わたしはあなたを食べたいと思ってる」レアはさらりと返した。

「――そうか」

「でも今すぐじゃないよ」

「えっ?」

「あの孔雀アンドレアの言葉、聞いてたでしょ。わたしがこうなったのはあなたの所為。あなたに追いかけられた時、わたしは。それからずっと、変な感じが消えないの。母様や乳母がどれだけ大事にしてくれても、あなたの事ばかり考えてしまう。。だから、その責任を取って。わたしのウイユとして生きて。

 ――それは、愛の告白か? 尋ねようとしても口と喉は頑なにその形を作ろうとはしなかった。

「……そっかあ。おれの所為なのか……」理由も分からず涙が流れる、被捕食者の恐怖か、添い遂げる運命への喜びか、ノーアの頭の中は様々な色が混じり合い、未分化の昂りだけが表出した。

「分かった。おれはレアの為だけに生きて、レアの為に死ぬよ。約束する」声が上擦り、口角は独りでに笑みを形作る。涙を拭おうにも、片腕は失われ、もう片方はレアと繋がっている。、レアと絆で結び合わされ、。おれは彼女のものだ。それをしみじみと感じた。

「ノーア? 泣いてるの?」

「いやあ、あんまり嬉しくってさあ。幸せだなあ、おれは……」それは嘘ではない。彼女と共に生きたい、彼女の滋養になれるなら本望だ、

 レアが手を繋いだまま、すっと近づいて来た。目が見えないと言うが、声のする場所から大体の位置は把握出来るのだろう。どんな花弁よりも可憐な唇がそっと開き、中から深紅の舌が現れた。何をするのかと尋ねるよりも早く、彼女の舌はノーアの涙を掬い取った。

 驚いて思わず涙の止まったノーアの前で、レアは彼の涙を飲み込んだ。

「おいしいね、ノーア」嗚呼この微笑の美しさをどう表現すればいいのだろう。何物にも例え難い、彼女こそ本当の天使エンゲルだ。






 関所バリエールへの行き方は明快で、まず壁の傍まで歩き、その後は壁に沿って進めばいすれ何処かの関所へ辿り着く。ノーアとレアはしっかりと手を繋いだまま歩き続け、ついにそれを見つけた。

 どうやって通行証なしに通してもらおう、何なら門番を脅して無理矢理押し通るべきか、そんな事を考えているノーアの視界に妙なものが映った。

 見慣れた後ろ姿。間違えようがない。だって一緒に過ごしてきて、この前も会ったばかりの、あれは――

「――アル?」

「やっぱり来たのね、ノーア。あたしの片割れ、あたしの呪い」アルが振り向いた。その目は暗い感情を湛えていた。

「どうして逃げ出したりしたのよ。両親だけじゃなくて、双子のきょうだいまで反逆者なんて、こんなに呪わしい話がある? あたしは生きたいのに、あんた達は何処まであたしを邪魔すれば気が済むの?」傍らのレアには目もくれず、口から溢れたそれらの言葉はまさしく呪詛、だった。

「やっぱり自分の手で決着をつけなくちゃいけないのね。天使様に頼ったりせずに。今日から、やっとあたしはあたしとして生きられるようになる。その礎として、死になさいよ、ノーア、ねえ!」その手には大振りのナイフが握られていた。それを振りかぶり、一直線にノーアの方へ突っ込んで来る。身を硬くするレアをそっと肩で押しやり、ノーアはナイフを睨みつけた。青い炎が刀身に浮かび、たちまち泥のように融け落ちた。アルは驚いて立ち止まった。

「ノーア……」アルの目に狂気が宿った。「お前だ、お前!!」柄だけになったナイフを放り捨てると鉤爪のように湾曲した指を突き出して再び踏み出した。

「なあ、アル」ノーアは凪のような心地で妹を眺めていた。おれはこいつに殺されてやるわけにはいかない、。まあでも、一つだけ賛成だ。、おれの片割れ。「お前は本当にそれでいいのか? おれを食用ラパンとして処分するっていう天使アポートルの決定を、お前の一存で無視して、本当にそれでいいのか?」

 アルはぽかんとした。「えっ」

 ノーアはアルの答えを待たずに炎を脳髄に描き出し、それを現実に投影した。

 

 声を上げる暇さえないまま、アルは火達磨になった。可能な限り最大の出力で生み出された炎は一瞬で彼女の骨まで消し炭にし、地に倒れた時には僅かな塵ばかりになっていた。

火の精霊サラマンデル、か……」それがノーアの祖であったのだ。ノーアは自分でも驚く程落ち付いていた。たった今、世界に一人だけの妹を手に掛けたというのに。

「……良かったの、ノーア?」レアがおずおずと口を開いた。

「殺すか、殺されるかだったんだ。おれは殺されたくなかった。だから殺した」それは自分に言い聞かせているような気がした。何かが壊れていくのを感じた。それはこれまで自分を形作っていた世界であるような気がした。

 ふと空を見ると、もう日が落ちる所だった。「もう夜だ。早くここを出て、休める所を探さなきゃ――」

 瞬間、世界が揺れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る