終わりの始まり

 ……見よ。聞け。驚け。呆れよ。

 この世界の住人は一人残らず、自分が何者であるかを考えもしない阿呆イディオどもである。本当の己とは何か、思いを馳せる事さえせぬ家畜並みの連中である。

 我らの父祖は呪いによってこの地へ追放され、偽りの千年帝国ミレニアムを造り上げた。しかし、誰もがその事を忘れ果てた。そうして欺瞞の覆いであった仕事だとか、娯楽だとか、そういった下らないものを追いかけて日々を費やしているのだ。

 ……見よ。聞け。驚け。呆れよ。

 これが我らの題目スローガンだ。

 世界人類の罵倒だ。

 欺瞞と混沌の楽園ユートピアの覆滅だ。

 我らは寝ぼけまなこの連中の髪を掴んで引き摺り起こし、鏡を突き付けて真の姿を分からせるべく今日まで在り続けて来たのだ。



 諸君は父祖の魂を継ぐ事を拒絶した。数多の天使アポートルはその知性において他種族よりも優秀であるなどとふんぞり返っているが、これまで誰一人として「魂を持たぬ天使はどうなるか」と考えた事がなかった。

 その問いの答えを、諸君は己が身を以て知っている。即ち、「魂を欠いても死なないし、考え、求める事は出来る」と。ならば、このプシュケーと称されるものの正体とは何であるのか。

 ――私は断言する。天使にとっての魂とは、。彼らをこの地に留め置く、ただそれだけの為の遺物にして異物なのだ。

 天使はプシュケーと、精神と、肉体とから成る。肉で出来た体は魂を閉じ込める為、精神は魂と肉体を溶接する接着剤として。その理由ことわりは、「魂は常に故郷たる空の向こうへ帰りたがるので、それを抑えつける必要がある」と判断されたからだ。少なくとも父祖の霊魂はそれが正しいと思っていたはずだ。

 しかし、今やどうだ。地上の専制君主として君臨する天使かれらに、空への憧れの欠片でも見出せた者がこの中にいるか。いるならば直ちに教えて欲しい、我らの計画がペケになり得る情報だ。

 ……誰もいないようだ。ならば最早疑う余地はあるまい。。全く、とんだ莫迦な支配者であることよ! 特権階級の役割を演じているだけなのに、本当に自分達が選ばれた人種であると思い込む頓馬とんまが諸君の先祖の正体なのだ。空を想いながら地上の快楽けらくに溺れる二重思考Doublethinkをしているのだ。

 しかし、永遠に続くものは我らの手の届く所には在り得ない。朽ち、綻び、やがて自重で崩壊してゆくのだ。使。分化生命体の生産技術は誤魔化しながらどうにか動いていたが、とうとう管理の網を掻い潜る者が現れた。即ちこの国の最初の堕天使デシュ、総督リアとそれに続く我らである。



 諸君よ。欣喜雀躍せよ。勇敢に飛び上り、逆立ち、宙返りせよ。フォックストロット、ジダンダ、ステップせよ。

 我らはただ漫然と生を浪費するような手合いとは全く異なる者達である。明確な存在理由レゾンデートルがある。老いさらばえた魂を、この悪辣なる土地から真に解放し、天に還すという役割が。これは先代の総督アミラルの魂の意志でもある。彼は、唯一堕ちていく同胞達を俯瞰しながらも、その立場故にそれを止める事能わざる人だった。この役目は我ら堕天使デシュのみが遂行すべきである。天の果ての系譜を持ちながらこの地に生まれた、継承と断絶を内包する我らにのみその権利が、義務があるのだ。我らは。間違っても竜人メリュジーヌなぞにこの役目は勤まらない。彼らの破壊は本能による衝動でしかない。他の種族は顧みるに値しない。

 天体観測所オブザーバトワールから連絡があった。先代の総督が予言していた星辰が今夜、正しき位置に揃う。それが破滅の啓示なのだ。星はかつての同胞たる天使に様々な未来を伝えてきたというのに、今やその観測はほとんどがエルフ任せだ。なんと哀れな星達、否、あるいはこれは罰なのだろう。痴呆の天使どもへ、星々も憤り、見捨てる判断をしたのだろう。

 今夜、何が起きるか伝えておかねばなるまい。大陸の巨大なる断層くちがばっくりと開き、この欺瞞が横溢する混沌の楽土を全て呑み込むのだ。誰も生き残れはしない、それ程に壮絶な復讐劇ヴァンジャンスなのだ。侵略者アンヴァイスルたる我々に対する、この惑星ほしからの。しかし、ただ殺されるに任せる我らではない。その前に矛盾の塊のような天使の魂達をあるべき所へ還す。わざわざ聖堂ここへ集まってもらったのもその為。詠唱アペルが必要だからだ。といっても、別段難しい文句オートグラフではない。大いなる存在を想い、全てを委ねると誓えばいい。

 人の善性は脆い。それによって立つ楽土もまた。しかし、人の悪徳マルは絶える事がない。それ故にあのお方は途方もない時間において地獄の盟主として君臨しえたのだ。

 其は七つの地獄を統括する大魔王、この地に初めて堕ちた原初の堕天使アンジュ・デシュ。我らは彼の御許へ赴く。地獄では永遠に消える事なきフラムが待ち構え、我らは。死への恐怖に怯える我らにとってこれ以上の楽園パラディスはあるまい。

 さあ、各々方、唱和を。其の名はタサイドン、






 異形の天使達の歓喜は最高潮に達した。誰もがこぞってその名を呼んだ。

「ルシファー!」「ルシファー!」「Lucifer!」rの音が何度も反響し、まるでクロウの鳴き声のように聞こえた。







「……そろそろ時間、かな」リアは身を屈めると腹這いのアンドレアに手を差し出した。

「何故、分かったのですか?」

「キミの声はいつもより低い所から聞こえ、た。簡単な事だよ」

「ああ、そっちでしたか。てっきり目が見えるようになったのかと」リアの手に縋ろうとしたが、上手くいかずに転んでしまった。

「……ちゃんと掴んでもらえます?」

「ごめん、ね。まだ手の使い方に慣れて、なくて」リアは平然とした顔でそう言った。

「――我らの罪過は余りにも多く、地上の誰にも裁く事能わず。ならば、」

 ――地獄の盟主に委ねよう。

「じゃあ一緒に来てもらおう、かな」リアは態勢を変え、自分よりも大きなアンドレアをひょいと抱き上げた。

「何処へ?」

上階うえ戦車シャールがあるんだ」

「へえ」

「――もう目がみえない?」リアが首を傾げた。

「お恥ずかしながら、顔にある方以外は」

「恥なんてないさ。それに尋常ならざる炎の輝きがもう一度目を開かせてくれる、かもしれない」



 年老いて赤色火星と変貌した太陽ソレイユが水平線に沈んでいく所だった。

 古ぼけた戦車があった。く動物は見当たらない。リアはその細腕に見合わぬ膂力で以てアンドレアを載せ、自らも乗り込んだ。

 変化は唐突だった。リアが乗った途端に戦車は青白い炎に包まれた。まるで水車の如くに車輪が回り出し、前進を始めた。

 燃え盛る戦車は外壁を突き破り、宙へと躍り出た。夜の闇に沈みゆく地がうねるように大きく揺れ、地上は混乱の最中であったが戦車に乗る二人にはどうでもいい事だった。

 手を伸ばせば星に届くのではと思わせる程の高度へ昇り詰めると、戦車の主は高らかにに呼びかけた。

「――我が呼びかけに答えよ! 原初の堕天使ルシファーにして七つの地獄の魔王タサイドンよ! 、汝と盟約を結びし者! 時は来たれり! 侵略者どもの魂/蝶プシュケー!」懐から真っ白な蝶を閉じ込めた球形の檻を取り出すと地面に向かって振り下ろした。

 地に激突し、檻から蝶が飛び出した。

 それが終わりの始まりだった。

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