思考

「さて、答えを聞かせてもらいましょうか。あまり時間がないので。まあ、悩む事はないでしょう? 貴女は私達と同じ『堕ちたる者』、リアが名付けるところの堕天使デシュ。貴女が生きる事を望む者はこの世界で私達だけ。ああ、それからその長耳ラパンはこちらに渡してもらいましょう。それは私が前から目を付けていた獲物ですので」

 アンドレアはにっこりと笑いながらレアに手を差し伸べた。蛍光石ランプの光を受けて緑の双眸がきらきらと輝いた。

 それに対するレアは困惑した表情のままだった。音の方向から相手の位置は何となく分かるらしいが、他の事は何も分からないといった顔だ。

「……違う、レアが生きているのを望むのはそいつらだけじゃあない。おれもだ……!」ノーアは奮闘するが、指一本動かせない。逸る心に肉体が追い付けない。

「それなら心配は要りませんね。貴方は今、この場で私が骨の髄まで食べ尽くしてあげますから。レアを必要とするのが同族わたしたちだけである事は変わりません」アンドレアは残虐そのものの笑みでノーアを見た。

「しかし、血の巡らない頭とはいえ面白い事を言いますね。自分を喰った相手にとは。ちょっとずれた思考も親譲りですか?」

「何だと?」

「貴方の両親も、自分達が死んでも子供が生きていればそれで良いと最後まで思っていました。。私の替えは誰にも勤まらない、死んでしまえばそれ以上の何も望めないというのに。それとも貴方達エルフが家畜だからですか? 喜んで自分の肉を差し出すように飼いならされていると?」

 言いたい事は山程あったが体力は有限だ。恐らく、時間も。ノーアは口内で言葉を吟味し、選んだものを口にした。

「あんたは、少なくともおれの親より長く生きてるんだよな」

「そうですが、それが何か? 貴方と比較しても十倍は下らない時間を私は生きていますが」

「ふざけた話だ。おれの十倍も生きてる癖に、そんな事も分からないのか?」

 アンドレアは一寸、ぽかんとした。そしてその言葉の意味を理解した途端に大声で笑い始めた。

「やはり貴方はアーヴィッドとテレジアの子だ! 私への畏れが全くない、素晴らしいメルヴェイユ! そう来なくては、果実の熟すのを待った甲斐がないというもの! 最期の言葉はそれで十分ですね? 心配要りませんよ、貴方を腹に収めてから、ゆっくりと答えを考えて――」哄笑は突然途切れた。アンドレアが呆けたような顔で視線を下げる。

 レアの振り立てた角が脾腹に深々とめり込んでいた。

「ノーアは、渡さない」静かな口調だが決然とした響きがあった。「あの人は、。あなたに上げるところなんて、ない」レアが頭を振って角を引き抜いた。アンドレアの体は勢い任せに投げ飛ばされた。

参ったなトゥシェ。振られるとは。とんだ肘鉄砲もあったものだ……」

「出口を教えてくれるなら、命は獲らないであげる」

「自分でおかしな事を言っている自覚がないのですか? 私を殺したら、貴女達は永遠にここから出られないんですよ?」あはは、と上げる笑い声は痛みで歪み、弱々しいものだった。「私が利のない取引コマースに応じるとでも?」

「じゃあ教えてくれなくてもいいよ。その代わりにわたし達でも追い付ける速さでここから出て。あなたについて行けば出られるんでしょ? ここから出たら、もう追いかけない。好きにすればいい」

「……どうせ、そんなに速くは進めませんよ。こんな深手で」アンドレアが顔を顰めた。ノーアが知る限り、彼がそんな表情をするのは初めてだった。





 アンドレアが壁に寄りかかりながら先頭を進み、すぐ後ろに手を繋いだノーアとレアが続く。ノーアはレアの目の代わりだ。出血で時折ふらつく体をレアが支える。ノーアは変な気分だった。レアにこんなにもはっきりした意志アップズィヒト思考ダハテがあるとは思っていなかった。ひょっとしたら、それはおれを喰ったからだろうか。問い質そうにも、今は口を開くのさえ億劫だ。気を付けていないと倒れそうになる。

「……腕のなくなったところは、焼いて塞いだらいいんじゃないですか」アンドレアが背を向けたまま言った。「美味そうな血の匂いをぷんぷんさせてるのに、私は一口も食べられないとは。最早、拷問ですよ」

「どう? ノーア、あの人はそう言ってるけど」レアがこちらに顔を向ける。まだ目の見えていた頃の習慣が残っているのだ。ノーアは首を横に振ろうとして、それではここにいる誰にも見えない事を思い出した。

「もう火が出ねえよ」投げ槍にそう言うのがやっとだった。血の滴る断面を火で炙る様は、想像するだけで気絶しそうだった。

 アンドレアが足を止めて振り向いた。レアはあわやぶつかるところだった。

「なら、止血エモスターズをしてあげましょう。異論はありませんね」

「そんな事が出来るなら、まず自分にやったら?」

「とっくに。破裂した内臓の修復は私の手に余ります」彼は青ざめた顔に皮肉っぽい笑みを浮かべた。





 出口はそこからすぐの所だった。寂れ具合を見るに、あまり人の近づかない所のようだ。

「案外近かったね。これなら案内は要らなかったかも」

「ちょっとの間隠すだけのつもりでしたから。あまり奥に置いていたら私は今頃死んでいたでしょう」アンドレアは痛みで顔を歪めた。

「ああそうそう、同族のよしみで教えてあげますがね。なるべく早く中央ここから離れる事をお勧めしますよ。郊外バンリューでもまだ足りない、辺境の更に先まで行った方が良い。死にたくないけど私達と来るのも嫌というならね」そう言い捨てて建物の間に姿を消した。

「そうは言っても……ねえ」ノーアはレアを見遣った。真珠色の羽毛のない翼、頭から生えた角。誰が見ても異形モンストルだ。元の繊細な輪郭がそのまま残っているのがかえってその異常性を強調デフォルメしている。死にゆく者には不要であると判断されたのか、通行証の類は見当たらなかった。それはノーアにも当て嵌まる事だった。ペンダントは取り上げられ、返却を頼む相手もいない。アンドレアを追うのは難しいだろう。この辺りに土地勘もへったくれもない。

「ノーア、どうすればいいと思う?」レアが尋ねた。ノーアは顎に手を当てて暫し考えた。

「取り合えず、関所バリエールを探そうか」上手くいけば脅して門を開かせるくらいは出来るかもしれない。

 その間に話は出来るだろうか。

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