地下通路
目を開けたはずなのにそこには暗黒ばかりが広がり、ノーアは手で顔に触れて自分の目が開いているか確認してみた。確かに両の
無数の石を組み上げて造られた、長大な一本道の途中に彼は座り込んでいた。何処だ、ここ。呟くも応じる声はなし。見覚えのない空間。道が何処まで続いているのか確かめようと火をあちらこちらに向け、自分の傍に横たわる人影に気付いた。
汚れた長い髪。レアだった。ふとその翼に触れた。
どろりとした異様な感触があった。
ノーアはぎょっとして翼に触れた手を見た。羽が溶解し、白い粘ついた液状と化して流れ落ちていた。羽を失った翼は地肌が剥き出しになり、それは真珠のような色彩と光沢を具えていた。
肩に手を遣って彼女を揺り起こそうとして、頭部にも異常が現れているのを知った。左右にそれぞれ一本ずつ、樹木のように枝分かれした角が伸びている。何だこれ、どういう事だ、誰か説明してくれ。混乱しながらも名前を呼び、その体を軽く揺するとレアは溜息とも呻きともつかぬ息を漏らした。
「だあれ……どこなの……」掠れてはいても間違いなくレアの声だ。ノーアは少し安堵した。
「おれだよ、ノーアだよ」
「真っ暗で、何も見えないよう……」
「? 火を点けてるんだ、真っ暗じゃあないよ」
レアがおもむろに振り返った。宝石のようなその目は薄い膜がかかったように白く濁っていた。
「ノーア……? どこにいるの?」彼女は目の前にいるノーアを探そうと首を回し、何か触れるものはないかと手を前方に動かした。
「何処って――、ここにいるよ。見えないのか?」ノーアは血の気が引く気がした。それでも空を切るばかりの彼女の手を握った。
「何も見えない……」レアの目が潤み、はらはらと流れる涙が黒く汚れた顔に筋をつけた。「母様が、おまえはもういらないって……。失敗作だって、早く消えろって、わたし、とっても悲しくて――」
「大丈夫。レアは失敗作なんかじゃあない」慰めようとそう口にしたが、ノーアにも何が大丈夫なのかは分からない。
「……お腹空いた」レアがぽつんとそう言った。「何か、食べたい」
「食べ物ったって、ここには――」ノーアの脳裏に蘇るものがあった。
「ノーア、いい匂いがするね」レアが彼の手を自分の方へ引き寄せながら言った。妙に上擦った声が耳朶に粘っこく貼り付いた。「ちょっとだけ、ね。ちょっとだけ」
ちょっと待ってくれよ。確かにそう思った事もあるけど、こんな形は望んじゃいないんだって、代わりに何か探して来るから、やめろやめてくれそっちは利き腕なんだ――
鮮烈な痛みに意識が逸れ、火が消える、暗黒の中で苦悶の叫びと濡れた咀嚼音が何処までも反響した。
「あ……え?」痛みが肘まで達した時、レアが困惑した声を上げた。「ノーア? あなたなの? え? わたし、何して……」それが涙声に変わった。「食べちゃった、食べちゃったよう。ノーア、ごめんねえ」彼女は子供のように泣き始めた。しかしノーアはそれを慰める余裕がなかった。叫んでいたのと出血で上手く呼吸が出来ず、ぜいぜいと息を吐くのがやっとだ。
突如として、暗闇を切り裂いて鮮烈な光が現れた。
「御機嫌よう、
「何の――用だ」ノーアは壁に凭れたままアンドレアを睨んだ。彼はその視線に、より濃くした笑みを返した。
「用事、そうですね。幾つかありますが、順番に片付けていきましょう。早速ですが、レア。貴女は自分を捨てた女が恨めしいですか?
「お前、レアをエル=アセムみたいに利用するつもりか!?」
「貴方には訊いていません。話の腰を折るなと教わらなかったのですか? 可哀そうに、低能の
「さて、どうですか。貴女を失敗作扱いし、咎もなしに殺そうとした連中は憎いでしょう? 死にたくないと願うのは命ある者に等しく存する権利です。そこのエルフに付き纏われ、何をされるのか分からなくとも怖いと思ってしまった、それが罪だなんて! 良い機会だから教えてあげましょう、その男が全ての元凶なのですよ!」アンドレアはノーアを指差した。
「――は?」
「私達と一緒に来なさい。死に怯える事のない世界は間もなく到来します。今のこの世界はその時に滅ぶのです。旧い道具は処分して、身軽になって先に進みましょう。それが私達の一番の幸せ、そう思いませんか?」
「……お前、さっきから聞いてりゃ出鱈目ばっかり言いやがって――!」ノーアは激昂した。右腕を失ったショックからどうにか復帰しつつある精神を励起し、左腕を翳してそこに炎をイメージした。
業火が直線的な軌道でアンドレア目掛けて迫る。
アンドレアはランプを持っていない方の手で
『
火が上昇する性質を持つのに対し、水は下に落ちる性質を持つ。だからアンドレアは術式を振り下ろす事にした。上昇と下降の相殺、水が火から熱を奪い蒸発する。
ノーアが放った火はアンドレアに届く事はなかった。
「何故、って顔をしている貴方に教えてあげましょう。私は貴方のご両親、アーヴィッドとテレジアの師だったのです。異なる
ノーアはもう一撃加えようとして、自分が予想以上に消耗している事に気付いた。
アンドレアがゆっくりと歩み寄る。
「それっぽっちの火では全然足りませんね。私を止める事が出来るのは、真なる地獄の業火のみ」
怪物が舌なめずりをした。
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