黄金の瓶
アンドレアは再び椅子に腰を下ろした。玉葱の皮を剥くように、言葉を拾い上げ、紡がねばならない。
「食べればいいのでは?」元来天族は肉食であるのだから、というのが根拠であった。
特に深い考えがあった訳ではなかったが、結果的には正解だった。これは他の種族はおろか当の
全て食べ尽くした彼に去来したものは、もっと食べたいという欲望だった。腹は限界まで膨れ、喉の奥まで内容物がせり上がるのを感じながらも、悪徳そのものたるその味は無限に味わっていたいと思えるものだった。
真っ赤に染まった自分の指をしゃぶりながら、彼はその衝動と如何に向き合うかを考えた。単純な抑圧は出来まい――彼は今まで何かを我慢した事がない。監督官向けのカリキュラムを史上最高の成績でパスした彼は全ての振る舞いが非の打ち所がないと称されていた。まるで何もかもそのように設計された術式のように。
慌てる事はない。彼は自分に言い聞かせた。少なくとも今、肉体的には満腹である。この記憶を反芻すれば多少の忍耐も出来よう。ああ、しかし。彼は監督官という己の役職をこの瞬間だけ恨めしく思った。主な相手は
魂が持つ記憶を引き継いだ振りをしつつ仕事をこなすのは彼にとっては苦労の内にも入らぬ事だった。
ある日、アンドレアが日中の業務を終えて執務室に戻ると窓辺に小鳥が止まっていた。それは
『
貴官に召喚を命ずる。これを確認次第、直ちに我が
アンドレアは困惑した。
直ちに、という指令通りに彼は慌ただしく部屋を飛び出した。大した事はない/気を付けろ場合によっては何だってやる事になるかもしれない/無二の王は貴方を見ている――分裂した思考が纏まりなく脳髄を揺らすのを抑える事は出来なかった。
がらんとしたエントランスは不気味な程清潔にして生活感がなかった。
「――下だ」上方から声がした。未成熟な、子供の声。見回せど誰もいない。首を捻っているともう一度声が響いた。
「……左手の階段を下りて、地下へ来るんだ。ボクは、そこにいる」感情のない声は弦楽器の調べにも似ていた。
階段を降りると薄暗い通路の果てに凝土で出来た灰色の扉があった。手で触れると、分厚い扉は独りでに開いてアンドレアを招き入れた。
室内は彼の想像以上に狭い造りだった。三人も入ればいっぱいになりそうな部屋は光に溢れていた。部屋の主が光を放っていた。
「……驚いた、よ。ボクみたいなのが、他にもいるなんて」リアは目を閉じたまま口を開いた。
「はい?」
「キミ、魂が入っていないだろう」それは疑問ではなく断定だった。アンドレアはすぐにその真意を理解し、口端を吊り上げた。
「――へえ、貴方もなんですか」
「うん。ボクも奇形なんだ。顔に付いている方の目は、生まれつき見えない。でもその代わり、普通の目には見えないものが見える。ボクらは似ている、きっと仲良くなれると思った、だから呼んだ」リアの姿はまるで祈りを捧げているように見えた。
「
「勿論。招かれざる子、生きるべきではなかった子よ。盟約を、結ぼう。
「成程」アンドレアはすっかりいつもの笑顔に戻っていた。「それで、私に何をお望みで?」
それから二人は様々な事を話した。リアはアンドレアの同族殺しの欲求も知っていた。いくらでもやってもらって構わない、とリアは――その外見や声は七十二ある天使の性別の内、最も無性に近い一型であった――宣った。
「キミの事業は、脅威を忘れた天使達を大いに怯えさせる、だろう。彼らは生きる事についての哲学を希求する、ようになる。
「偽りの王、ですか。やはり、無二の王なんて架空の存在だったのですね」アンドレアはうすうす感づいていた。空っぽの玉座に掲げられた虚像こそが『無二の王』の正体であり、市民を縛る鎖としての役割しか持たない事に。
「全く架空、ではないけど。いたのは間違いない。あれが最古の手掛かり、だ」リアが滑るように体を横にずらすとその奥に大きな
「で、ご注文はそれだけでよろしいのですか? 他に何かやらせたいからわざわざ呼んだのでしょう?」
「ああ、うん。ボクは立場上この地下から出られない、から。代わりにやってもらいたい、事がある」リアは薄い唇を舌でそっと舐めた。「
「総督殿は見かけによらず
「面白い、かな?」
「素敵ですよ。私達は本当に仲良くなれそうですね。
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