『目』を持つ者

 いつだったかラボラスがふと尋ねた事がある。「あんたは、いつからだったんだい」

 アンドレアはそれに笑って答えた。「私は初めからでしたよ。何なら、生まれた時から」

 彼は自分一人だけの部屋で、いそいそと口述筆機ディクテを机の上から引き寄せる。剥くべき玉葱はまだまだたくさんある、どこから手をつけるかはもう決めてある。




 彼の意識は常にと共にあった。目を覚ました彼はまず己に問うた。

 

 何百ものは一斉に辺りを見回し、その答えを弾き出した。瓶詰めの中身わたし監督官アンドレアの分化生命体わたしその候補の内の一人わたしそれ以外の全てせかい。汝、かくなり。生まれながらに成熟した精神を有する彼はそれを受け入れた。我、かくなりと。

 して、と彼は次の疑問を巡らせた。自分の周りの瓶詰めどもは

 目はそれらを注視し答えた。彼らの目が足りないのではない。。正常なのは彼らの方、私は奇形児である。

 彼はそれも受容した。成程。幾つも候補を拵えるのはその為か。私のような異常エラーを、生まれる前に潰す為。ここにある瓶詰めの内、選ばれるのはただ一人。最も優秀な者のみが市民権を勝ち得る。それ以外は適当に処分される。

 ならば――と、彼は思った。

 。未だ目も開けられぬ連中に、この私が劣る道理はない。他の者が聞けば何たる傲慢と嘲笑うか憤るであろう。しかしその本質はという恐怖だった。死への畏れが彼にプシュケーの代用品、思考をもたらした。

 彼はを凝らしながら思索に耽った。瓶から出た後、如何にして競争相手を蹴落とし生きる権利を掴み取るか。その姿は傍から見れば他の候補たる肉塊と同じに見えた。はこの時まだ彼のみが認識出来る代物だった故。





 窮屈な瓶から出された彼は簡素な衣服を当時の生体管理官セージュファムに着せられ、他のアンドレア候補と同じ部屋に入れられた。

 辺りを見回す。他の連中はぼんやりした顔で意味のない呻きを上げたりのろのろと這っている。そこに意識らしいものは片鱗さえ見出せなかった。彼は部屋の隅に角ばった蓋がある事に気付いた。はそこに高温を認めた。生まれたての天使アポートルの肉体を焼き尽くす炎を収めた処理炉。異常な子を見つけたら即座に、他へ悪影響を与えない内に処分するためのもの。。そこまで考えが及ぶと彼は即座に行動を起こした。手近にいた子の腕を掴むと炉まで引き摺っていく。本来なら有り得ない膂力は死への恐怖が火事場の馬鹿力として表出したものかもしれないし、あるいは奇形は脳髄の抑制を司る部分においても在ったのかもしれないが当時の彼にはどちらでもいい事だった。成長した彼は当時を反芻するに当たって、後者の可能性が高いと類推した。普通の肉体は恐らく『自分と同じくらいの大きさの物体を運ぶ』負荷に耐えられまい。

 蓋の取っ手は思っていたよりも容易く動いた。中で猛る炎は束の間彼を魅了した。光と熱を具えたその美しさ。もっとそれを見たいと思った。もっと大きく、全てを呑み込む程に巨大な炎を夢想した。しかしそこにあるのは彼の理想よりも遥かにちっぽけな火であり、それ故に彼はすぐに目的を思い出した。子は熱を感じないはずはないのだが、火にくべられても無反応だった。たちまち燃える舌がその子の全身を嘗め回し、灰燼へと帰した。

 彼は何かとても強いものが自分の脳髄から溢れるのを感じた。他の子を炉に押し込めばもっとそれを感じる事が出来るとが算出した。その通りにした。都合六人――つまり彼以外全員――を焚殺して、彼はその正体に辿り着いた。。生まれて初めて味わうその感覚は柑橘類のような爽やかさと甘さに満ちていた。もっとも、彼は柑橘類など食べた事がなかったが。それはじっくりと紐解いていけば、生存競争における敵対者がいなくなった歓喜を孕んでいたのだろうが、ともあれ彼はその行為をと思った。それが全ての始まりだった。

 さて、次なる問題は見回りに来た生体管理官セージュファムを如何にして丸め込むかである。。確信があった。

 食事を運んで来た管理官は広い部屋に一人しかいなくなっているのを見て目を丸くした。まだ立つ事も飛ぶ事も出来ない未成熟な肉体からだをどうにか彼女の目の前に移動させると彼は口を開いた。「も全て開いて彼女へ向けた。相手は途端に呆けたような顔になった。「?」

「ああ……そう、ね――それはそうね」鸚鵡返しに先代のラボラスは肯定した。成程この目にはこんな機能もあるのかと彼は学習した。魔力を持った目、即ち魔眼。それが私の目なのだ。

「でも、その目は隠さなきゃ。目立ち過ぎる」魔眼の虜になったラボラスは最早恐れるに足る相手ではなかった。欺瞞によって彼は覆われ、守られた。曰く、、と。


 やがて成長した彼は自分の肉体提供者、即ち先代のアンドレアに引き合わせられた。彼は習った通りの完璧に優雅な仕草で一揖した。「初めまして、父上わたし。お会い出来て光栄です」施術なしでも彼はとびきりの笑顔を作る事が出来た。

「うん、良いんじゃないか。実に美しい。次の器には最適だ」余分なは伏せていた為に悟られる事はなかった。顔にある方の双眸を細めながら彼はじぶんを観察した。魂の次の器。この魂が私に入り込めば乗っ取られてしまう。死ぬ事の恐ろしさも忘れた耄碌した魂ごときに。

 こいつは私にとって不要、否、邪魔だ。

 

 監督官の執務室には様々な道具を詰め込んだ棚があった。先代が目を離した隙に、その中から一つの輪を手に取った。魂を世界から孤立させる術式を組み立てたもの、分解ばらして一部分だけ書き換えるのは簡単だった。簡単な魔術文法グランメールを書き足せば良い、『そして閉じ込めよエ・リミト』とだけ。

 それを邪魔者の後頭部目掛けて振りかぶった。





 かくして、魂持たぬアンドレアは安楽な地位を得た。




 一旦口述筆機を止め、アンドレアは棚に歩み寄った。仰々しい鍵穴のある引き出しは、しかし壊れて久しいものだった。中には球形の結晶が一つ。

 結晶の中で、閉じ込められた孔雀緑パン・ヴェールプシュケーが力なく羽をはためかしていた。

「こんにちは、父上わたし。と言っても、もう夕方ですが。貴方の事を思い出していたのですよ。懐かしいですね?」蝶が抗議するように羽を動かすが彼の笑みは揺るがない。最早これは自分を脅かすような如何なるものも有しえない。いっそ愛おしいとさえ思えた。

「私はかつて、魂とは何処にあるのか考えていた事がありました。その時は恐らく頭蓋にあるのだろうと仮説を立てました。それが正しかった事を理解した時の喜びを想像出来ますか? 蝶の形をした魂プシュケーが、砕けた頭蓋の蝶形骨洞から現れたあの瞬間。もう少し、檻の中そこに居てくださいね。来たるべき暁には、」蝶の羽ばたきを孔雀は笑って見ていた。

「貴方が何を言いたいのか、。だって、貴方と私は別の存在。私は貴方の継承を拒絶した身なのですから」

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