欺瞞

 部隊を三つに分ける。陽動、本隊、後方支援。陽動隊長のペルヴォプラホージェツは裏口から入って檀上に立ち、血の気の多い手合いを引き付ける。おおよそ片が付いた所で本隊が正門から突入し、残りを片付け、改めてアイズベルクが制圧を宣言する。そういう計画だった。過去形だ。

 本隊の偵察をしていたカニューシニャが、様子がおかしいと報告した。知らない竜人メリュジーヌの男が陽動部隊を攻撃している、たった一人徒手空拳で。しかも尋常ならざる膂力で以て虐殺を繰り広げている、と。

 アイズベルクは突入を早め、陽動部隊の救助を命じた。カニューシニャは不満、というより怯えていた。俯いて「あんなのどうすれば倒せるんだ」と零した。

「臆病風に吹かれている場合ですか。今が私達にとって一番大事な時なんですよ」彼女は同志を叱責した。アンドレアは仕事の都合で遅れると言っていた。彼がいたら、この偵察兵をもっと上手く激励出来たかもしれないと思った。

 カニューシニャはアイズベルクのすぐ前、つまり殿しんがりの前に配置された。そこなら、怖気づいて逃げ出すのを自分が防ぐ事が出来ると考えたのだ。

 号令を聞いた本隊各員は鬨の声を上げて走り出した。

 彼らが議場の阿鼻叫喚たる有様を知るのはもう少し後の事である。






 限界を超えて動き続けるエル=アセムの恨みルサンチマンは今や底なしの破壊衝動だけになっていた。ように片っ端から殺して回った。

 途中で新しい獲物がその時、彼の運命は決まった。もしそこで誰も居なくなった事を認識していたら、ほんの僅か彼の脳髄は手を止める余裕が生まれ、自己保存について思い出していただろう。しかしアイズベルクは予定の刻限よりも早く突撃を指示し、それが為された。次のをたくさん見つけた彼の脳髄はそれまでの膨大な負荷によって焼き切れ、理性を取り戻す最後の機会を失った。

 戦闘とさえ呼べない虐殺第二弾が始まった。




 怪物は逃げる暇を相手に与えなかった。そういう奴から先に狙うように思考がいるのだ。しかし一人で武器もない彼の隙を点いて脱走する者は僅かながらいた。アイズベルクがどんなに呼び戻しても聞かなかった。

「やってられるか、こんなの! おれは命が惜しいんだ!」そう独り言ち、早くこんな所逃げなくちゃ――と考えていたのが押し留められた。前方をよく見なかったのが災いして、気付くと彼の脾腹を槍が貫いていた。

 男が呆けた顔で槍の柄を視線で辿ると、そこには竜人メリュジーヌの集団があった。議場内で荒れ狂う怪物とは何もかもが違う――急所を覆う鎧、術式を組み込んで強化された槍と盾、感情の抜け落ちた、それでいて攻撃の意志に満ちた目。

 彼の後を追ってやって来た幾人かも、同じように突き殺された。暫く後、静かだがよく通る声が彼らに告げた。

「――前進、始め」集団は一糸乱れぬ動きで列を形成し直し、ぞろぞろと議場に入って行った。





 

 アイズベルクは困惑していた。議会襲撃については絶対に誰にも漏らさぬようよく言い聞かせていた。そのはずなのに。この男は一体何者なのか。何故『解放軍リベラシオン』も『千翼貴族ミルエール』も無差別に殺し続けたのか。

 

 アンドレアはその白い翼で宙を舞いながら場内に現れ、即座に編まれたシュヴァリエの術式が葡萄色の鋭角を作り出し、舞うような動作でそれは振るわれ、怪物の首を音もなく切断した。虐殺の締めくくりとしては呆気ない程簡単にエル=アセムは死に、返り血と崩壊した肉体から溢れる己の血を滴らせながら斃れた。

 アンドレアはいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべてアイズベルクと向かい合っている。のだ。この、非常事態に。

「ああ、ちょうど良いタイミングでしたね。貴女が死んでしまったらいけませんから」彼は二人の間に横たわるエル=アセムなどには目もくれない。

「なっ……、何を言ってるんですか!? どうしてこの者が此処にいるんですか! 彼は関係ない、巻き込みたくないと、あなたが言ったんでしょう、アンドレア!」アイズベルクは頭とそれ以外に分かれた死体を指差した。

「巻き込みたくない、勿論本当ですとも。彼には是非、本懐を遂げてもらいたかった。陽動も制圧も彼の本分ではありませんし。こういう形が一番だろうと思ったのです」

「どういう――」

と思いませんか? 楽しかったですよ、。私が育てたから、彼は恨みルサンチマンを抱き、社会参加アンガージュマンが出来たんです。きっと彼は役に立つと信じていました。私なら彼を役立てられる、と。

「な――」

「貴女のような人物がやって来るのを待っていました。世界を破壊する意志を持った存在。来るならば魔人ディアーブルだろうと。演説、良かったですよ。自由と幸福は空から降って来ない、その通りだと思います。でもねえ」

 揃った足音。普通の靴では鳴らない、具足アルミュールの立てる金属音。アンドレアの背後に武装した竜人メリュジーヌの集団が並んだ。無機質な目は全てアイズベルクに向けられている。

「私は、すばらしい新世界Brave new worldなんて興味ないんですよ」

 アイズベルクはもう言葉が出て来なかった。これ程までに笑顔に悪意を漲らせた顔には終ぞお目にかかった事はなかった。脱力。剣を取り落とし、その場にへたり込んだ。アンドレアは垂直に上昇し――武装鎮圧隊の妨げにならないように――残虐この上もない笑顔で彼女を見下ろした。

「辺境の監督官しか勤まらない、リオン如きぼんくらイディオと! 中央セントラル最大の都市まち、第三十一区を取り仕切るこの私と! 同じはずがないでしょう! やっぱり魔人あなたがたは愚かで――救い難い! でも心配は要りませんよ! 私が貴女に教えてあげますから、狂気フォリーを、恐怖プールを、苦痛ドゥルールを、悲嘆トリステスを! さあ鎮圧隊ソルダ、貴方達の目の前の女が一連の事件の首謀者です、、全部その女の仕業なのですよ! 殺してはいけません、生かして捕らえるのです――まあ手足の有無は問いませんがね!」

 鎮圧隊の兵士達ソルダが皆同じように無機的な仮面を剥いで獰猛な表情を露わにし、武器を手から落として一斉にアイズベルクに手を伸ばした。無数の咆哮は重ね合わされユニゾン、まるで単独いっぴきの巨大な獣が吠えているように聞こえた。






 レアは走る事に慣れていなかった。途中で「もう歩けない」と呟いて蹲ってしまった。もうちょっとだからと励ましても首を横に振るばかり、仕方がないのでノーアは彼女を半ば引き摺るようにして連れて行った。

 守衛のいる正門ではなく、裏門に回った。こちらは長い事誰も利用せずにいたものをノーアがある日見つけ、錠前を焼いて壊しておいたのだ。レアは初めて見る景色を不思議そうに眺めている。一先ずおれの部屋で休ませよう、個室の中へは誰も入って来やしない。しかしその考えは裏切られた。

「ノーア、駄目じゃない。天使様を攫って来たりなんかしちゃ」

「アル……?」何故妹が此処にいるのか。郊外バンリューで働いているのではなかったのか。ノーアは混乱した。レアはぼうっとアルを見つめている。

「アンドレア監督官様セニャールが教えてくれたのよ。貴方の兄は良からぬ事に手を出している、お話しておきなさい、って。本当に、賢くて慈悲深いお方よね。でも、私はあんたなんかと話したい事はないの。私は志願したのよ、。恥ずかしいったらありゃしない、親だけじゃなくて兄まで反逆者なんて。せめて決着をつけたいのよ、この忌々しいブルートに」

「アレクザンドラ……」

「そんな風に私を呼ばないで。私は天族語ラングドセレストではそんな濁った音は要らないのよ。忘れたの?」アレクサンドラの冷笑――これまでのノーアなら気にも留めなかったそれ――が心臓に氷を詰め込んだような心地だった。

 乱暴な音を立てて保安要員が部屋に押し入り、ノーアとレアを引き離して取り押さえた。

 ――ここには乱暴者の竜人メリュジーヌ獣人ヴェアヴォルフは来ないしさ。

 耳元でポーリアの言葉が蘇った。

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