第二部

間違い

 アイズベルクは全身を疎外アリエナシオンの術式で縛られ、独房のような狭い一室に押し込められていた。四肢はおろか、瞼や舌さえも動かせない。かつてノーアが罰として被せられた輪と同じ構成のもので、感覚のみが世界からと錯覚し、著しい混乱と苦痛を知覚するのだ。しかし彼女の精神力は人一倍だった。この疎外感は動きを封じる為のもの、いずれ奴らはこれを外しに来る。そう信じる事でひたすら耐え続けた。

 果たしては現れた。突然、脳髄が視覚情報を認識する。目の前には見慣れた笑顔。今となっては忌々しいそれは背後に染み一つない純白の翼を具えていた。監督官アンドレアその人だった。

「御機嫌よう、革命の乙女ジャンヌダルク誇り高い女ブール・ド・スィフよ。お加減は? ああ今は口がきけないんでしたね。今日は貴女に説法プレディカシオンに来たのです。本当なら耳だけ良いんですが、目もサービスしてあげましょう。此処は終点ターミナル、最早何処にも繋がるユニヴァーサル事はありません。貴女に出来る事はもう何もないのですよ」アイズベルクは自分が仰向けに横たわっている事を知った。肉体の感覚ではなく、視界に天井を認めたためである。

 アンドレアは狭い室内をゆっくりと歩きながら言葉を紡いだ。それ故声が遠ざかったり近づいたりした。

「貴女は自分の敗北を認めていないでしょう。味方に大損害は出たものの、『千翼貴族ミルエール』も鏖殺され、政府は今頃大混乱に違いない、とね。しかし、それは大いなる間違いエラーです。我らにしてみれば、野蛮な、もとい勇猛果敢な竜人メリュジーヌを失ったのは痛手ではありますが、天使アポートル。どういう意味か分かりますか?」アンドレアがこちらの顔を覗き込んだ。影になった顔の中で双眸だけが朗らかに孔雀緑パン・ヴェールの輝きを放っていた。

「何故、私がちょくちょく生体管理官セージュファムと連絡を取っていたと思いますか?」アイズベルクは視線を彷徨わせた。生体管理官。生まれて来る天使を司る役職。彼らは通常の生殖を行わず、自分の肉体から分化した新しい命を器に――

 点が繋がって線を描いた時、彼女は叫び出しそうになった。出来なかった。口元も喉も感覚がなかった。

 アンドレアは彼女の目に浮かぶ色で笑みをさらに深めた。「天使はみんな分化生命体をのですよ。襲撃の日程が決まっていたので、それに合わせて成長が完了するように。プシュケーの移し替えは実に滑らかに実行され、全て新しい肉体に収まっています。いやあ、残念でしたねえ。私を信じたばっかりにねえ!」

 彼は優雅な仕草で両手の指を合わせた。「ところで、天使の皆さんはたいへん怒っておいでです。監督官リオンを誑かし、偽造の通行証を造らせ、使、挙句に貴女に。彼らは貴女の更生ミニ・ラヴよりも後悔ルグレを望んでいます。そこでこの私が派遣されたというわけ。貴女は自分のような存在がこれまで存在していなかったと思っていますか? 残念ながらそれも間違いエラーです。革命を夢見て中央セントラルにやって来た魔人ディアーブルは当代のが着任してから貴女で三十一人目です。彼らが何処に行ったか気になりますか? 全員、もれなく、最も重い刑罰によって裁かれ、戦争詩人メネストレル・ド・ゲールの引用する人名のリストに載せられました。彼らは詩の中で何度となく引用され、辱められ、踏みにじられ続けるのです。まさしく永遠にプール・トゥジュール! 勿論貴女も彼らの一員となるのです、しかし、天使達おえらがたはそれ以上をお望みだ! 大罪人は物理的に踏みにじられなければならないと! ああ、しかし、肉体は有限だ、そこに注ぐ事の出来る苦痛もまた! 貴女一人の命では、彼らは到底納得しないでしょう!」狭い室内は悪意と熱狂に満ちていた。

「貴女は自分が唯一人の生き残りだと思っているでしょう。ですが、それさえも間違いエラーなのです! 故郷で吉報を待つ貴女の仲間を私が知らないはずがないでしょう、他ならぬ貴女の口から聞いたのですから! だから、我々は、貴女から分だけ、彼らから貴女に事にしましょう! 手の指を切り落としたら、! 髪も、角も、眼球も! 皮膚かわでさえも! 誰もが貴女への信頼と忠誠を失い、貴女が全ての人間から恨みを向けられるようになるその時まで! 我らにはそれが可能です、中央ここには最高の技術者が両手の指を往復しても足りないくらいたくさんいるのですから!」

 アイズベルクはを幻覚だと思った。哄笑するアンドレアの翼が枯草色に変わり、のを。その色彩の中に、ぎょろりとこちらを見遣るのを。

 彼女は息が詰まるような感覚を覚えた。碧い目から自分の目を逸らす事が出来ない。狂喜する孔雀緑みどりの双眸とは異なり、瞼のない丸い目は突き抜けるように空虚だ。

「貴女は以前言いましたね、『目的の為ならどんな障害でも踏み越える』と。『多少の犠牲で挫けはしない』と。なんて平気で口にする人間の説く人道ユマニテールとは、いったい何でしょうね? とても恐ろしい悪党ローグですよ、貴女は」笑い疲れて少し落ち着きを取り戻した目の前の何かは、天使には見えなかった。


 声が出せたなら、彼女は叫んでいただろう。

 お前こそ、本物の悪魔ディアーブルだ――と。






暗黒が私を捉えているDarkness imprisoning me

私に見えるのはAll that I see

完全なる恐怖のみAbsolute horror

生きる事もI cannnot live

死ぬ事も出来ないI cannnot die

自分自身に閉じ込められてTrapped in myself

肉体が私を収容する独房だBody my holding cell



地雷が私の目をLandmine has taken my sight

言葉をTaken my speech

耳をTaken my hearing

腕をTaken my arms

脚をTaken my legs

魂さえも奪ってTaken my soul

地獄のような生の中に私を置いていったLeft me with life in hell

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