大虐殺

 ヴァンダルム将軍は議会の座席の最前列に座っていた。提案すべき案件は幾つもある、新天地フロンティア開拓の予算増額、保安要員の増員と教育、エトセトラエトセトラ。とりわけ悩ましいのは天使を殺害して回っている犯人を未だ保安班が見つけかねている件だ。将軍は保安案件統括の長である。今は事件の存在自体をどうにか秘匿しているが、いつまでも隠しておけるものではない。昨日、何処ぞのエルフから上司が何日も出勤して来ないという訴えが出たという話だ。下層階級が事件について知ってしまうのは時間の問題と言えよう。そうなれば保安要員ひいてはその長である。ふんぞり返っているくせに人殺しを捕まえる事さえ満足に出来ぬ低能などと噂されれば子供達の進路にも影響が出かねない。子供。そうだ、二人の息子は立派に育ち、一方は槍兵を、もう一方は弓兵を志望している。便宜を図ってやらねばならぬ。末っ子の娘はまだまだ小さいが、兄らにも劣らぬ度胸の持ち主だ。いずれも自慢の子供達、彼らの人生を華やかに飾るのは親の役目なのだ。何故なら、子供それこそが一個の人間に可能な最上の成功であるのだから。

 思索に耽る彼は周囲の様子に気付くのがやや遅れた。

 隣に座る妻――第七師団長ディナ、彼女もまた武人である――が肩を揺するので将軍は我に返った。天使アポートルや非武装の竜人メリュジーヌが皆一様に恐慌状態に陥っている。視線を走らせれば、議場の出入り口を闖入者が塞いで――否、場内に次々と押しかけて来ているではないか。その大半が側頭部から一対の角を生やし、剣や槍といった武器を手にしている。いかつい体格の魔人ディアーブルが一人檀上に躍り出た。右手の長剣を振り上げながら何事か喚いている。

「我らは『解放軍アスヴァパジジェニエ』である! この時を以てこの議場は占拠された! 異議のある者はかかって来るがいい!」

 将軍は憤然と立ち上がった。その肩書は伊達ではない。下賤の輩を排する事こそ己が使命と断じて、握り拳で魔人に挑もうとした。

 だが、突然出入り口の方から物音がしてその挑戦は中断された。そちらに目を遣れば、一人の若い竜人メリュジーヌが進路を塞ぐ連中の突っ込んで来た。人間の喉からこんな音が出るのかと驚くような、恨みルサンチマンに満ちた咆哮。それでいて闇雲に襲うのではなく、一人ずつ的確に一撃で殺害せしめている。将軍は『それ』が敵か味方か判断出来なかった。

 ゆらり、と『それ』と視線が交わる。怒りの極致のような、それでいて歓喜を帯びているような叫びを『それ』は上げた。

 脳髄が無意識下で抑制している身体能力の限界――それは勿論、自壊を防ぐ為のもの――を、『それ』は容易く飛び越え、文字通り一跳びで将軍に迫った。

 ヴァンダルム将軍は最期に、『それ』がやけに若い頃の自分と似た顔立ちである事を疑問に思ったが、答えは出なかった。






 恨みルサンチマンの奔流に身を委ね、先程までエル=アセムであった怪物は鏖殺みなごろしを続けた。彼には両親の記憶はなかったが、沸騰する血が指す通りに『彼ら』を狙った。

 男の方の喉笛に噛み付き、顎の力に任せてそのまま。噴き出した鮮血を顔に浴びてもなお奔流うらみは収まらぬ、まだ足りないのだ、。内奥からの声がそう告げていた。疑問を挟む余地は最早彼には残っていなかった。

 崩れ落ちる男を見て金切り声を上げる女が目に入った。鉤のように強張った手を突き出し、その顔面を。それでもうるさい声が止まないので赤黒い塊になった顔に空いた大きな穴、即ち咽頭のどに手を突っ込んで、紙でも破るみたいに真っ二つに引き裂いた。指がべきばきぼきと圧し折れるがそんなのはどうでもいい事だった。肝心なのはまだ殺せるかだけ、そして自分はまだまだ殺せる、ならば何も問題はない。

 逃げようとしていた天使の頭部を殴りつけた。勢いが強すぎて首が千切れ宙を舞った。

 どいつもこいつも、腰が抜けたようにその場から動かなくなった。檀上に陣取っていた魔人の男が剣を振りかざして襲い掛かったが、その胸を拳で打つと壁まで飛んで動かなくなった。

 彼は震え上がる『千翼貴族ミルエール』に向き合った。彼らの瞳には下弦の月を思わせる口の形をした、返り血塗れの復讐者じぶんが映っていた。





 ノーアが殺戮を免れたのは全くの幸運と言えるだろう。壁際に立ち、密着するような近さで他の陽動部隊のメンバーが並んでいた為だ。ノーアは武器を持っていなかった。火を熾す力があるからとされたのだ。漠然とした不安を拭う事が出来ずに集団の中で足を動かしていると、議場の裏口から見知った竜人メリュジーヌが入って来た。ただその表情はノーアの知らないものだった。、こいつがおれの感じていた不安の正体だ。彼は直感し、ほとんど反射的に――周囲を盾にするように――その場で蹲った。直後、自分の傍に立っていた魔人の頭が爆ぜた。ノーアは目を疑った。いかな力自慢の竜人メリュジーヌと言えども、ただ殴っただけで頭を風船よろしく破裂させる事など出来はしない。常軌を逸しているのだ――囁きがした。夢の中で聞いた父の声によく似ていた。あれは現在いま役割じぶんを忘れ、に立ち返ったまさに怪物ウンゲホイアーだ――頭を失った肉体が手足をばたつかせながら彼の上に覆い被さった。

 エル=アセムだったものはノーアの生死をいちいち確かめる事はなかった。床に穴が開く程の膂力で飛び跳ね、議場に向かっていく。ノーアは助かった事に安堵しかけて、別の脅威に気付いた。

 死体を押しのけて立ち上がった。場内には逃げ場がない、レアが単独でそこから脱出出来るとはとても思えない。

 怪物を追いかけて議場に駆け込んだ。そこはシュトゥルムのような殺戮会場と化していた。怪物エル=アセムは入って来た者には構わなかった。生かしてそこから出すつもりがないのだ。獲物が増えた、というくらいにしか考えていないのだ――が自然と、あるいは怪物から発散されるどす黒いエーテルが伝えていた。

 恋する者の目は、有象無象の中から唯一人レアを速やかに見つけ出した。奥に行くにつれて高くなってゆく議席、その一番高い席でルフルに抱かれて震えていた。その目にはありありと恐怖が浮かんでいた。

「レア! レア! こっちだ、こっちに来るんだ!」椅子も机もお構いなし、ノーアが駆け上って手を差し出すとレアがこちらを見た。刹那の迷いを見せた後に、彼女はノーアの手を取った。ノーアはその体を引っ張って抱きかかえるような格好になり、来た道ならぬ道を下った。

「あっ、待てこら! レアを返せ、泥棒め!」ルフルが慌てて椅子から飛び上がって追いかける。逃げようとするノーアを怪物エル=アセムが迎え撃つべく立ち塞がる。前門の虎、後門の狼。ノーアは一時、足を止めて振り返った。気迫のこもったのルフルがレアを取り戻そうと手を伸ばす、その手をむんずと掴み、エル=アセムの方に投げ遣った。ルフルの目が驚愕に見開かれる。エル=アセムの視界が一瞬天使で覆われる、その隙にノーアは怪物の視界から逃げ出した。

 議席に座っていた面々がノーアにつられて我も我もと出入り口に殺到し、エル=アセムはそれらを追う羽目になった。苛立たしげに咆哮し、一番手近にいた犠牲者の頭を叩き潰す。『解放軍』と『千翼貴族ミルエール』を区別しない、。ノーアは首の皮一枚でそこから逃げおおせた。

「ノーア、ねえノーア」レアが恐怖に潤んだ目で見つめていた。「何処に行くの」

「……取り合えず、おれの部屋に行こう。ここにいちゃ駄目だ」

 初めて腕に抱くレアは驚く程軽い。だがその感慨を味わっている余裕はなかった。二人は正門から逃げ出した。

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