恨み募る竜

 その日の朝はいつもと違った。アンドレア訓導せんせいは、オレが持って来た書類には目もくれずに言った。

「ねえエル=アセム、今日は一緒に出掛けましょうか」

「ええー、仕事はいいんですか?」

「何を言いますか。一番大切な仕事をしに行くんですよ」せんせーはいつもと同じ、やさしい笑顔だった。

 何か持ち物は要るかと訊いたけど、せんせーは首を横に振った。

「でも、仕事ってどんな事するんですか?」オレは訊いてみた。何も持たずにどこかに出掛けるなんて、今までにない事だ。それは物覚えの悪いオレでも気付けた。

をするのです。きっと、君も楽しいですよ」せんせーはいつもやるみたいに片目をつぶった。


 道を歩いて行くと、大きくて立派な建物が見えてきた。オレはものが好きじゃない。『出来損ない』の自分が更に惨めに思えてくるから。せんせーはいつも「気にするな」って言ってくれるけど……。

 せんせーは建物から少し離れた所で足を止めて振り返った。「エル=アセム、君は今までたいへんよく頑張りました」

「えっ、どうしたんですか。急にそんな改まっちゃって」

「自分の所為ではないのに両親に捨てられ、拾われた先で頑張ろうとしてもなかなか覚えられなくて。さぞ苦しかった事でしょう、零れて行く記憶をどうする事も出来ずに落としていく人生は。自分の本質エッセンスから目を背け続ける生き方は」

「何を言って――」

「でも、もう大丈夫。君の苦しみは今日を限りに、すっきり全部終わります。」せんせーがオレをじっと見る、いやそれだけじゃない、せんせーの周りに青い目が数えきれないくらい浮かんで、。何処か奥深くで『早く逃げろ取り返しがつかなくなる』と警告が聞こえた、でも動けなかった。たくさんの目に見つめられて目が逸らせない、体が動かない。

思い出しなさいRappelle-toi、最奥に眠る恨みルサンチマンを。抑圧され続けた本当の自分Dragonを」


 ああそうだオレは本当はずっとずっと羨ましかった妬ましかった恨めしかったんだせんせーが自由に飛べる同族セレスティアがオレ自身が/どうしてオレが捨てられなきゃいけないんだオレが何したって言うんだ何回も何回も教えられてそれでも覚えられなくて気にしなくていいって言われたってそれだけは忘れる事が出来なかったって/必死に覚えようとしているのに忘れてしまう何度も繰り返した忘れたという事しか思い出せないのは本当に辛くて悲しくて恨めしくて堪らなかった/いつだったかせんせーにオレのほんとの両親はどうしているか訊いた事があった訊かなきゃよかった男の子が二人と女の子が一人みんな普通に飛べて元気に育っているなんて/学校エグリーズに来た子供達がオレを見て言った「ねえ、なんであの人、竜人メリュジーヌなのに掃除なんてしてるの?」畜生どいつもこいつも馬鹿にしやがってオレはお前らなんかよりうんと強いんだせんせーがやめろって言わなければそれを見せつけてやれたのに♭恨みルサンチマンが止まらない止められないオレの中にこんなものがこんなにあったなんて知らなかった♯空が飛べないから何だって言うんだ見ろオレはきちんと仕事が出来るんだ今せんせーが言った事だってきちんと出来るんだほら見ろオレの中にはこんなに恨みがあってでも抑え込んでたんだ今日の今日まで♭もうやめるんだこれ以上やったら本当に駄目になってしまう♯構うものかもう戻れやしないんだ本当の自分を思い出してしまったからオレは奇形児だ出来損ないだ祝福されなかったものの成れの果て/いいやそれも間違いだ。

 オレは復讐者ヴァンジャンスだ/オレは本当はずっと復讐したかった/何に? /全部Tousに!さっきまでオレだったものが燃えていくのが分かるでもまだ足りないもっともっと火を大きくしてやらなきゃ世界を壊すにはまだまだ弱いもっと燃料を足さなくちゃきっとこの苦しみもみんな燃えてなくなってそれで/

「さあ、ほら」目の前の翼を持ったヤツが何か言っている/誰だったっけ/もう思い出せない/どうでもいいそんな事――「あの建物の中に、君のご両親がちょうど来ていますよ」そう言って大きな建物を指した/あそこにやつらがいる/ならやる事は一つしかない/馬鹿イディオのオレでも分かる事。






 かつて見た事が無いくらい獰猛な顔つきになったエル=アセムが議場目掛けて驀進するのをアンドレアは笑顔で見送った。距離があっても分かる程、喧噪に溢れた場へ。

 騒ぎが鎮まった頃を見計らって、彼もまた議場の出入り口に向かった。翼をはためかし、軽やかに宙を舞いながら。

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