議会襲撃計画

「何をしているんだい、レア」ルフルが呼びかけるとレアはゆっくりと振り向いた。「まだ夜風は冷たい、体を冷やしちゃいけないよ」

「何……?」鸚鵡返し。明確な答えは最初から期待していない。自我の曖昧な次の器レアに意志はない。全て『何となく』だ。

「外に出たい?」

「外……」レアは暮れなずむ風景に目を遣った。

「今度、議会がある。連れていってあげるよ。大丈夫、あのおかしなエルフはもう来ないから」さして背丈の変わらぬ体はそっと抱くとやはり冷たくなりかけていた。

「もう、来ないの?」

「ああ、きっちり締め上げておいたからね。何も心配はいらないんだ。さあお風呂に入ろう、レアはいつも綺麗なままでいなくちゃ」

 書記官の仕事は記録である。何でも見通す事ではない。

 レアの内面の蠢動は見過ごされた。





 さて『おかしなエルフ』ことノーアだが、彼は大いに困っていた。先日、終業後にアイズベルクに呼び出され、このような事を言われたのだ。

「これから夜は『勉強会』に充てる事にします。全員の考えや士気を均一にする必要がありますので」

 日中は仕事、夜は『解放軍』の会合に費やしたら、レアとの逢瀬は一体何処に組み込めというのか。ノーアの抗議は一蹴された。

「革命が終わった後に好きなだけやればいいでしょう。現状をもっと正確に認識しなさい。今のままではあなたはただの犯罪者なのですよ」そういう事だった。

 勉強会は監督官セニャールの事務所にほど近い空き倉庫にて行われた。題目スローガンの真の意味の解説、自由とは何を指すか、隷従とは、平和とは、力とは。アイズベルクが教師の役、アンドレアが時々補足を入れる。消灯時間ぎりぎりまでそんな事をするのである。

 会合は毎日開催された。たまに休みを挟むのは怪しまれないようにする為らしい。しかし毎日夜になると何処かへ出かけて行くノーアを宿舎の守衛は訝しげに見ていた。「あんたは一体何処へ行くんだ」と言葉にして尋ねられた時は焦った。詩作の為に夜の風景を記憶インプットしているのだ、というのは我ながら気の利いた答えだと思ったが守衛のしかめっ面は変わらなかった。ノーアは守衛の男にも変人として認識された。

 嗚呼、愛しのマイネ・リーベレア。彼女はどうしているだろうか。待ち合わせの約束フェアシュプレッヒェンをせずとも窓辺で待っているのだろうか? まだ夜は肌寒いというのに。あの監督官は彼女を『空っぽの人形ガラテア』と言ったが信じられない、だって彼女はおれの詩を聞きたいと言った。空っぽの器はきっとそんな事をしない。どうしたいですか? 記憶の中で問われた。もう一度彼女に会いたい。


「もうじき議会コングレが始まります」その日の講義の後、アイズベルクは百人程のに向かって口を開いた。「『千翼貴族ミルエール』による、彼らの為だけの政治。そこを襲撃します」広がるざわめきを一喝して黙らせる。

「陽動、実行、後方支援と分担して計画を実行します。誰が何処に割り振られるかは次回公表します。いいですか、くれぐれもこの事を気取られないように。解散」

 三々五々倉庫を出て行く者を掻き分けてやって来た者がいた。ノーアだった。

「急過ぎるだろう、議会の襲撃なんて」やはり文句を言いに来たのだ。

「急ではありません。体制側むこうも我々の存在に気付きつつあります。一斉摘発の計画さえ持ち上がっているという話です。もたもたしている暇はありません」

「そうは言っても――」尚も抗議しようとするノーアを制したのはアンドレアだった。

「君の考えている事は分かります、書記官の娘の事でしょう。心配はご無用。貴方を陽動班に入れましょう、目的を達成したら即座に離脱する班です。実行班が議場を制圧する前に、陽動ついでに娘を攫っていけばいい。貴方の言う事にも一理あります。何もしていない者を罰する道理はない。貴方に差し上げましょう」

「……気持ちは有難いけど、って言い方は違うだろ」

「そんな事を気にしてはいけませんよ。我々はもっと大きな事を成さねばならないのですから。視野を広く持ちましょう」

「ああ、そうかい。分かったよ」ノーアは背を向けた。

 アイズベルクの険しい視線を受けても、アンドレアは涼しい顔をしている。「いいではないですか、一人くらい。天族セレスティアを全て処罰するなんてのは労力もそれなりにかかります。彼が監視の役を申し出ていると思えば、難しい話ではないでしょう?」

「判断するのは私です。あなたではない」

「勿論ですとも。しかしいくら視野を広くしようとも、一人で見られる物事には限界があります。その手助けをしているだけですよ」

「それは、まあ、そうですけど」






「ところで、あなたの部下、エル=アセムと言いましたか。彼は何者なのですか?」帰り道は薄暗い。月明りが遮られた場所、いわばを歩くからだ。アイズベルクは傍らのアンドレアに問うた。

「私の部下ですが、それ以上の事が知りたいと?」

「彼の仕事は掃除や客人への応対、雑用ばかりです。普通の竜人なら誇りを傷付けられたと思うでしょう。何より私の故郷の監督官にはああいうのはいなかった」

、まあそうでしょうね。彼は普通ではありませんから」アンドレアは月を見上げた、アイズベルクもつられて視線を上げた。大きな満月リュヌがそこにはあった。

「彼の両親はどちらも優れた武人でした。武芸だけでなく戦術指揮にも秀でていた。そんな二人の第一子は、しかし奇形児だったのです。生まれつき翼がおかしな形で固まっていて、いくら解しても動く事はなかった。夫婦は打つ手がないと知るや彼を捨てようとしました。表向き病死という事にして。それを拾ったのが私です。飛べなくとも出来る事はいくらでもある、きっとその子もいつか役に立つだろうと」

 アイズベルクはエル=アセムの姿を脳裏に描いた。確かに、彼の翼は中途半端に折り畳まれたような格好で、少しでも動いているのを見た事がなかった。

「それと彼の雑用とは何の関連が?」

「彼は能力的にも問題があります。記憶力が低く、文字を理解出来ない。翼も併せて、恐らく脳髄セルヴォーの器質異常なのでしょう」

「文字を理解出来ない、とは?」

「文章を読むのに恐ろしく時間が掛かる。それも一つひとつの音を拾うようにして読んだり、単語や文節の途中で区切ってしまう。知っての通り、会話だけなら問題はありません。ただ読み書き、これだけがどうしても多大なる困難を伴うのです」

「成程」

「彼はそれ故に自尊心があまりない。自分を捨てた両親にもあまりいい感情を持っていない。故に単純労働を嫌がらないのです」

「どうして」

「はい?」

「どうして、彼を拾おうと思ったのですか?」

 アンドレアは笑った。「言ったでしょう、彼は役に立つと思ったからですよ」

「あなたの手腕ならあの程度の雑事をこなすのに別の人間を置く必要はないのでは?」

「私達は慈悲深いのです。ある目的に合致しないからと言って簡単に見捨てたりしない。必ず他の道があると信じてそれを模索する。それだけです」

「――あなたが善人なのか悪人なのか分からなくなってきました」アイズベルクはこめかみを押さえた。

「この世界はそんなに単純ではありません。二元論では推し量れない事ばかりです。まあ私は生粋の悪人ブランジですがね」

「世の中に、あなたのような人がもっといれば良かったのに」

「私のような奴ばかりではもっと住みにくいでしょう」

 言葉は陰に消えていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る