密告
ノーアは呼びかけられている事に気付かなかった。物思いに耽っていたからだ。後ろから肩を掴まれ、驚いて振り向くと獣人がそこにいた。
「何故無視するんだ」
「覚えてないのか。集会の時、隣に座っていただろう」
「周りの顔なんていちいち見ない」
「お前は見ていなくとも、俺は見ていたんだ。お前は会の間中他の事を考えてるって顔だった。それにアイズベルクに何を話しに行っていたのか気になってな」
「あんたには関係ない話だ」レアの事を説明するのは面倒だったし、初対面の人間をそこまで信用出来なかった。
「ひょっとして」獣人が顔を近づけて来る。「あんたも一連の計画に疑問を持っているんじゃないのか」
はて、疑問。ノーアは首を傾げた。「疑問って、例えば?」
「
ノーアは夢の中で両親が言った事を思い出した。
――あれは恐ろしく悪辣です。
さっきの遣り取りはどうだっただろうか。いやそれ以前、レアの処遇についてアイズベルクと言い合いになった時。いずれも柔らかく割り込み、仲裁を買って出たが、アイズベルクを言いくるめていたような――気がした。
ノーアが考え込む姿を獣人は肯定と受け取った。「そうだろう。それでここからが本題なんだが――」
「ちょっと待って」ノーアが片手を挙げた。
「うん?」
「まだ名前を聞いてないぞ」
あー、と獣人は空を見上げた。月明りが二人の
「……ノーア。詩人だ」
「ノーアな、分かった。本題に入るぞ。この計画を密告しないか?」
「――は?」ノーアは彼の言葉が意味する所を捉えかねた。
「隣の三十二区の監督官とか、保安班長とかそういう人間にだ。
ノーアは暫し絶句した。「……なんで、そんな事を? なんの
「利益しかないだろう。あいつが反逆者として認められれば、告発者としての褒章で俺達のやらかしも有耶無耶に出来る。何より――これは俺の直感だが――あいつを野放しにしておくのは危険だ」
エリヤが、ノーアの顔をじっと見る。なあそうだろう、と言外に促すように。それでもノーアは素直に頷けなかった。目の前の男と、アンドレア、アイズベルク、どれも信用に足りるとは言い切れない。第一、それではレアとの距離を縮められないではないか。だがそれを相手は理解するだろうか。「
「
「……やっぱり駄目だ。その話には乗れない」ノーアはエリヤの顔が僅かに強張るのを見た。
「何故。
「いや、そうじゃあない。おれには愛する人がいる。
エリヤはノーアの言葉に少なからず動揺した様子を見せた。「お前、もしかして知らないのか。連中がエルフを陰で何と呼んでいるのか」
「?」
「
ノーアは目の前の男が狂っているのではないかと思った。「突然何を言うんだ。あんたの言ってる事は滅茶苦茶だ」
「嘘じゃない。天使どもはそれを他の種族にも隠している。俺は連中向けの
ノーアの脳髄がある記憶を呼び戻した。自分の指を咥えたレア。彼女は「おいしい」と言った。甘美な記憶がたちまち寒気を伴うものに変質していく。あれは親愛の情から出たものではなかったのか。あの
「――それでも」ノーアは自分の体が震えるのを感じた。「それでも、おれは彼女に会って確かめるまで信じない」
エリヤはそれを聞くと落胆を露わにした。「そうか。ならもういい。議会襲撃まではまだ日数がある、他を当たるとしよう。今の話は忘れてくれ、その方がお互いの為になる」そう言い捨ててエリヤは背を向けた。
ノーアは気付くと自分の部屋にいた。寝台の上に丸まって横たわり、粗末な
エリヤは今後について考えていた。ノーアには他を当たると言ったが、実際の所当てがあるわけではない。集会がなければ、各々が日中を何処で過ごしているかも分からない。取り合えず、次の集会に行った時、適当に目星を付けて誘ってみようか。そんな事を考えながら暗い自室に戻ると、違和感が彼を襲った。
部屋の隅、暗がりに何かがいる。
闇の中で
何かは
「余計な事をしましたね。そうでなければ、今暫くの自由を与えられたというのに」残虐な笑みの周りに
翌日、成人したばかりの獣人の青年に飛翔機点検の仕事が割り振られた。
前任者の事を気に掛ける者も、思い出す者もいなかった。
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