密告


 ノーアは呼びかけられている事に気付かなかった。物思いに耽っていたからだ。後ろから肩を掴まれ、驚いて振り向くと獣人がそこにいた。

「何故無視するんだ」こわく青黒いけなみ、氷のような色の目。ノーアは彼を知らなかった。無視していない――始めから耳に届いていない――ので、どう返せばいいのかも分からない。この人物はおれにどんな答えを求めている? 相手の顔をじっと見つめていると獣人は根負けしたように肩を竦めた。

「覚えてないのか。集会の時、隣に座っていただろう」

「周りの顔なんていちいち見ない」

「お前は見ていなくとも、俺は見ていたんだ。お前は会の間中他の事を考えてるって顔だった。それにアイズベルクに何を話しに行っていたのか気になってな」

「あんたには関係ない話だ」レアの事を説明するのは面倒だったし、の人間をそこまで信用出来なかった。

「ひょっとして」獣人が顔を近づけて来る。「あんたも一連の計画に疑問を持っているんじゃないのか」

 はて、疑問。ノーアは首を傾げた。「疑問って、例えば?」

監督官セニャールのアンドレアだ。あいつはどうも。アイズベルクに助言する振りをして、思考を誘導しているように見える。そうは思わないか?」

 ノーアは夢の中で両親が言った事を思い出した。

 ――あれは恐ろしく悪辣です。

 さっきの遣り取りはどうだっただろうか。いやそれ以前、レアの処遇についてアイズベルクと言い合いになった時。いずれも柔らかく割り込み、仲裁を買って出たが、アイズベルクを言いくるめていたような――気がした。

 ノーアが考え込む姿を獣人は肯定と受け取った。「そうだろう。それでここからが本題なんだが――」

「ちょっと待って」ノーアが片手を挙げた。

「うん?」

「まだ名前を聞いてないぞ」

 あー、と獣人は空を見上げた。月明りが二人のシルエットを浮かび上がらせた。「俺はエリヤ。普段は飛翔機くるまの点検をしてる。そっちは?」

「……ノーア。詩人だ」

「ノーアな、分かった。本題に入るぞ。?」

「――は?」ノーアは彼の言葉が意味する所を捉えかねた。

「隣の三十二区の監督官とか、保安班長とかそういう人間にだ。三十一区ここのは駄目だ、アンドレアの息が掛かっているかもしれない。一人だと相手にしてもらえないかもしれないから、こうして頼みに来た」

 ノーアは暫し絶句した。「……なんで、そんな事を? なんの利益プロフィットがある?」

「利益しかないだろう。あいつが反逆者として認められれば、告発者としての褒章で俺達のも有耶無耶に出来る。何より――これは俺の直感だが――あいつを野放しにしておくのは危険だ」

 エリヤが、ノーアの顔をじっと見る。なあそうだろう、と言外に促すように。それでもノーアは素直に頷けなかった。目の前の男と、アンドレア、アイズベルク、どれも信用に足りるとは言い切れない。第一、それではレアとの距離を縮められないではないか。だがそれを相手は理解するだろうか。「ティーアの勘、ってやつか……」ぽつりと呟きが漏れた。

お前達アールヴは馬鹿にするがな、無下には出来ないものだ」エリヤは頷いた。

「……やっぱり駄目だ。その話には乗れない」ノーアはエリヤの顔が僅かに強張るのを見た。

「何故。お前達アールヴ俺達ヴェアヴォルフを『下賤なけだもの』と思っているのは知っているが、お前もそうなのか? だから信用出来ないと?」

「いや、そうじゃあない。おれには愛する人がいる。天使族アポートルの女の子だ。彼女と一緒に暮らすには、この世界を壊さなければならない。アンドレアやアイズベルクが駄目だとしても、そこは譲れない」

 エリヤはノーアの言葉に少なからず動揺した様子を見せた。「お前、もしかして知らないのか。連中がエルフを陰で何と呼んでいるのか」

「?」

長耳ラパンというのを聞いた事があるか? 奴らは反逆的なエルフを捕まえては食料に加工している。ネクタルとアンブロシアの原料はエルフの血肉だ」

 ノーアは目の前の男が狂っているのではないかと思った。「突然何を言うんだ。あんたの言ってる事は滅茶苦茶だ」

「嘘じゃない。天使どもはそれを他の種族にも隠している。俺は連中向けの教科書レーアブーフを読んだんだ。間違いない」

 ノーアの脳髄がある記憶を呼び戻した。自分の指を咥えたレア。彼女は「おいしい」と言った。甘美な記憶がたちまち寒気を伴うものに変質していく。あれは親愛の情から出たものではなかったのか。あの監督官アンドレアが言う通り、彼女は人形でしかないのか。虚ろな器に過ぎないと言うのか――

「――それでも」ノーアは自分の体が震えるのを感じた。「それでも、おれは彼女に会って確かめるまで信じない」

 エリヤはそれを聞くと落胆を露わにした。「そうか。ならもういい。議会襲撃まではまだ日数がある、他を当たるとしよう。今の話は忘れてくれ、その方がお互いの為になる」そう言い捨ててエリヤは背を向けた。

 

 ノーアは気付くと自分の部屋にいた。寝台の上に丸まって横たわり、粗末な毛布デッケを頭から被っても震えが止まる事はなかった。






 エリヤは今後について考えていた。ノーアには他を当たると言ったが、実際の所当てがあるわけではない。集会がなければ、各々が日中を何処で過ごしているかも分からない。取り合えず、次の集会に行った時、適当に目星を付けて誘ってみようか。そんな事を考えながら暗い自室に戻ると、違和感が彼を襲った。

 部屋の隅、暗がりにがいる。

 闇の中で孔雀緑プファオ・グリューンの双眸が――まるでそれ自体が発光でもしているかのように――輝いていた。

 まなこの下に三日月モーントズィヒェル型の裂け目を造り出した。笑ったのだ。

「余計な事をしましたね。そうでなければ、今暫くの自由を与えられたというのに」残虐な笑みの周りにあおい目が何百と開き、その全てがエリヤを見据えた。





 翌日、成人したばかりの獣人の青年に飛翔機点検の仕事が割り振られた。

 前任者の事を気に掛ける者も、思い出す者もいなかった。

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