食堂

 眠りを妨げたのはやけにアップテンポな音楽だった。半分眠ったままのノーアの脳髄に監督官マルコの説明がリフレインする。

 ――ここと違って起床や就業、休憩などの時間は音楽によって伝えられます。

 実際は夕食や就寝の音楽もあるのだがそれはノーアの到着が遅かったために聞く事がなかったのである。

ねっむい……」とはいえ時間を守る程度の能力を彼は持っている。体をほぐすイメージを描きつつ起き上がった。

 部屋を出ると他の住人がぞろぞろと一方向目指して歩みを進めている光景に出くわした。恐らくその先に食堂があるのだろうと考え、後を追う。目の前を歩くのは自分よりも頭一つ分背が低いエルフアールヴの女。薄い色の髪を後頭部で結い上げ、歩くのに合わせてそれが揺れたり跳ねたりしている。ノーアは昨日レアを追いかけた事を思い出した。でも今日は悪い事してないぞ、と心の中で言い返す。

 食堂Cafétériaと書かれた扉の前で、人々は一列を成し中に入って行く。ノーアは一つ結びポニーテールの女の後ろに引き続き並んだ。

 カウンターでトレイを受け取り、めいめい適当な席に着いた。ほとんどの住人は親しい者同士で座っているらしいがノーアには無論知り合いなどいない。一番隅っこに座を占めたポニーテールの女の向かいに盆を置いた。

「見ない顔だね。新入り?」女が顔を上げた。ノーアはぎょっとした。まだ子供のような顔の半開きの目の下はくまでどす黒い色をしていた。

「あ、ああ、まあね」努めて冷静を装いながら椅子に腰を下ろした。

「アンタは何するの? ゲディヒトビルトそれともオーダー音楽ムジーク?」ねっとりとした口調と陰気な笑い、あるいはそれは眠たげな眼と凄まじい隈のためにそう思えたのかもしれないが。

「一応、詩人メネストレルの職を賜って来たんだけど」

「なら私の後輩だぁ。ねえ、なんで昨日来なかったのさ」女は野菜がどろどろに溶けた煮込みの入った鉢に匙を突っ込んだ。

「ちょっと急な予定が入って」あまり聞かれたくない問いだ。

編集長シェフストーブオーフェンみたいにカンカンに怒ってたよ。監督官セニャールに連絡したら『その人なら書記官様にしょっぴかれましたよ』とか言われたってさあ。かなり挑戦的じゃなァい? 何やらかしたらそんな超法規的処遇になるのか、後学の為に教えて欲しいけどなあ」ノーアは確信した。間違いない、この女は自覚的に陰気な笑い方をしている。

 彼は話題を変えようと試みた。「そういや、まだ名前を聞いてなかったな。おれはノーア。あんたは?」

「聞かれたくないってか。まあいいや。あたしはポーリア。聖なるセントポーリアって花はご存じ? 聖性はないから、ただのポーリア。つまんない名前だけどこうして話のネタにはなるからまあいいかな、って感じ」

「いい名前じゃないか」煮込みを口にしながらノーアはそう言った。少なくともそれは本心だった。

「いやあ、個人的にはもっと勇ましいヤツをお願いしたかったんだけどねえ。ペンネームノム・ド・プルームは本名じゃなきゃいけないんだから尚更よ。作風と合ってないなんて言われるのはしょっちゅうだしさあ」

「作風?」しかしここの飯は不味い。故郷の村のは味気ないがまだましだったと思い知った。

「詩と一口に言っても色々あるわけでさ。あたしは正義ゲレヒティヒカイトとか、発揚エアムーティグングとかを主題テーマにしたのを書いてんのよ。竜人メリュジーヌの武人様方にウケるようなのをね」

「それは自分の意志で? それとも誰かの指示アンオルドヌング?」

「半々かな。もとは当たり障りのない教育用のをやってたんだけど。その日たまたまむしゃくしゃしててさあ。反逆者なんてみんなぶちのめせ、その血を不毛の地しんてんちにぶちまけろ、みたいな事を書きなぐって提出したらそいつが大ヒットおおうけしてさ。今までそういうジャンルが少なかったってのもあるんだろうけど。編集長が『お前はこれからこの路線で行け』なんて言うわけ。最初は自分の意志だったけど、今じゃ必死にネタを捻り出してるような有様。毎日毎日イェーデン・ターグ朝起きてから夜寝るまでそんな事ばっかり考えてるからなかなか寝付けないんだよね、もう慣れっこだけど」

「ああ、それでその目の隈か。不眠症シュラーフローズィヒカイトと言うわけだ」ノーアは合点がいった。

「そう言う事。続きは工房アトリエでね」ポーリアは空になった器をトレイごと持ち上げて立ち上がる。「メシ食ったら、せめて寝ぐせくらいは直してから来なよ」ししし、と嗤って去って行った。

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