「シネ・ヌーヴォ」

 2007年3月。


 大阪市西区にある、地下鉄の九条駅。周辺には複数の小・中学校と商店街が集まり、いかにも市井の暮らしの中心地といった街だ。


 私は改札を通って阪神高速の南側に出ると、東に向かって伸びるアーケード「ナインモール九条」に足を踏み入れた。どの店にも活気が感じられ、道幅も広くて歩きやすい。いい商店街だ。自転車のカゴから野菜を生やしたオバちゃんに、パチンコ屋に並ぶお爺ちゃん。すれ違う人々から、地元の商店街ならではの生活感が伝わってくる。


「ここで右折だったな」


 100メートルほど進んだところでひとつ隣の通りへ出ると、そこには多くの民家が立ち並んでいた。学校帰りの子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる、典型的な下町だ。そんな住宅街を歩いていると、唐突に激しい違和感に襲われた。


 赤レンガの外壁を、鉄で出来たいくつもの巨大な薔薇のオブジェが彩っている。入口の半分は地下に埋もれていて、その奥はやたらに薄暗い。地下への階段の脇に置かれたコンクリートブロック……その上に無造作に立て掛けられた看板には、『シネ・ヌーヴォ』の文字が刻まれていた。


 閑静な住宅街に突如現れた別世界の建物……そんな異物感が、この映画館の印象だった。


「あいかわらず、ここで上映している映画は知らないものが多いな」


 入口脇の丸テーブルに置かれた、様々な映画のチラシを眺めて呟く。ここで上映される映画は、一般の映画誌やテレビではほとんど取り上げられることのない作家性の強い作品……いわゆるアート系が多い。もちろんそれだけではなく著名監督の特集上映を行ったりもするが、関西の映画ファンの認識としては、第七藝術劇場とこのシネ・ヌーヴォが大阪の2大アート系劇場というのが一般的ではないだろうか。


「『ルナシー』一枚」


 チケットを購入し、薄暗い廊下へと進む。受付の周りには映画に関する書籍がうず高く積まれ、通路には懐かしい映画ポスターたちが額に入れて飾られている。劇場というよりは、お洒落な雑貨店といった雰囲気だ。


 このシネ・ヌーヴォは、アート系作品が台頭してきた90年代に、大阪でそれらを上映するハコが無いからと、一般の映画ファンたちがお金を出し合い、市民株主となって開館した劇場である。もちろん商売として経営されているが、その志の通り、インディペンデント映画や埋もれてしまった名作の掘り起こしから、観客に一定以上の知識や素養を求めるために、全国上映では採算をとるのが難しい芸術映画の上映まで、大手がやれないことを積極的に行ってくれる、まさに映画ファンによる映画ファンのための劇場なのである。廊下の壁にびっしりと記された数多くの映画人たちのサインが、その証拠と言えるだろう。


「ヤン・シュヴァンクマイエル監督の新作を上映してくれる映画館なんてここぐらいだからな。ありがたいことだ」


 シアターはキャパ69席と小さいが、シャンデリアの吊られた高い天井のおかげで、あまり狭さは感じない。見やすい席を確保して待っていると、上映が始まる頃にはほとんどの座席が埋まっていた。いくら需要が少ない作品でも、関西でここでしか上映していないということは、つまりすべての客がこの場所に集まってくるということなのだ。


※ ※ ※


「まさか、冒頭からシュヴァンクマイエル本人が出てきて説教垂れるとは思わなかったな。この、商業映画とは一線を画す作りがたまらん」


 踊る肉。裸の狂人。たっぷりとアート系作品の魅力を楽しんで外に出ると、目の前を半ズボンの小学生たちが叫びながら走っていった。虚構と現実は、たった一歩で繋がっている。


※ ※ ※


[シネ・ヌーヴォ:2020年現在も営業中]

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