第18話:朱雀

 影の蝙蝠が狼が、議事堂を埋め尽くさんとする中で、術士の狼少女の神楽を守る蒼き炎はそれを寄せ付けないでいた。神楽舞が佳境を迎え、術士の狼少女は詞をことほぐ。


「わらわらと鬱陶しいのぅ。秩序にして全なる神々の一柱なる火産霊命ホムスビよ、その羽の一端を地に降臨せしめることを許し給え。」


 纏わりつこうとした影が吹き飛ぶその光景は、夜明けに太陽が顕現するが如くであった。蒼き炎は灼熱の赤へと転じ、それは火の属性の最高精霊を喚び降ろした。焼き尽くす焔の王、全ての羽持つものの王、五大属性の火を司るもの。


「全ての羽を持つものらの王よ、朱し毛や啼け、緋色の鳥よ、草食み根食み、気を伸ばせ。」


 真横に掲げた錫杖がしゃんと音を立て、それをとまり木にするかのように、それは舞い降りた。


精霊招来サモン・スピリット朱雀フェニックス


 美しい白銀の髪が灼炎に照らされ、赤く染まっている。超高熱の側にありながら、その表情は涼しいものだった。急激に熱せられた空気が対流を起こし、その風にのって髪が、マントが、扇情的な巫女装束が揺れている。


 その錫杖に降り立つは、美しい孔雀のような、燃え盛る翼を持つ鳥であった。その光景を見た古き人々は、その光景を神降ろしとも呼んだ。巫術師のまさに奥義である。


  轟く啼声ていせいは夜明けを告げる鶏のように高らかで、それ自体が闇を振り払わんが如き威力を持っている。それは、まさに夜明けであった。


 熟達した魔術師は、その一撃を持って戦場を覆すという。その光景は、まさにそれであった。一度ひっくり返された盤が、さらに一手でひっくり返った。


「ゆけよや。」


 朱雀はその飾り羽を大きく広げた。無数の目のような紋様から放たれるのは、その一つ一つが、上位の魔術師の『火矢ファイアボルト』や『火球ファイヤボール』に匹敵する。さながら火山の噴火か、太陽フレアの様相であった。


 それは無数の影を焼き、死を焼き、屍を焼き、混沌の尽くを焼き尽くした。復活しつつあった屍肉喰らいは、もう灰すら残っていない。死霊術師は、その感動の中で、焼かれながらにその炎にいつまでも魅入られて、やがて影となり、光に飲まれて消えた。


「あぶねぇ! 」


 無差別に降り注ぐ災害のようなそれに、冒険者一党も巻き込まれる。女神官に向かって飛ぶそれに大剣使いが割り込んだ。とっさに構えた大剣にぶつかった炎の塊は、それをするりと、いや、大剣使いの体すら、後ろに隠れた女神官すらももすり抜けて消えた。


「驚かせるなよ……。」

「驚くなとは、作戦会議の際に言ったと思うが……。」


 気の抜けたような大剣使いの消えるような声に、碧鈷鋼の重戦士がなんでもないように応えた。驚くなと言うくらいなら、最初から詳細を伝えてほしいと、大剣使いは眼で訴えたが、重戦士は首をかしげるばかりだ。


 ただ単純な火を用いた魔術とは、更に一線を画するそれは、焼くべきものを見定めて焼く炎、まさに神代の魔法であった。それを起こせるのはやはり神の分霊である朱雀の権能である。


「言ったろ。いい女だって。」


 議事堂を包み込む爆炎の中でもまだその影を残す吸血鬼を警戒する剣士の問い掛けに、大剣使いは何も気の利いた返しができなかった。そして絞り出すように、あぁ、とだけ応えた。


 永遠に続くような朱雀の豪炎だったが、それは突然たちまち消えた。神降ろしの儀など、分霊であっても一人の巫女が持たせられるのは一つの手番、一瞬だけである。それでも場を一掃したその威力は、驚嘆に値する。


 そして、超新星爆発のような閃光とともに、精霊は御座へと帰っていった。


「流石に、力を使うでな。わしはしばし休む……。」

「すまない、頼んだ。」

「心得ました。」


 大きく力を使って消耗した術士を女神官に託して、剣士は今尚立ち上がる影に剣を向けた。


「まだ生きてやがるか。しぶといな。」

「…………。」


 自身の精神力を限界まですりきって、生み出した影を全て盾につぎ込み、吸血鬼はなんとか、なんとか耐えきっていた。まだ再生できていない喉笛が、ひゅうひゅうと音を立てている。黒焦げの表皮や筋肉が、それぞれの白や赤を取り戻しつつある。再生しているのだ。


「あれで生きているのか。吸血鬼というものは。」

「吸血鬼は五主の火たる血脈を根源とする者じゃからのぅ。火で火を焼こうにも都合が悪かろうて。」


 重戦士が戦鎚を構え、老魔剣士が銀の刃を煌めかせる。


「ともあれ、決戦クライマックスってところか。」


 最後に、大剣使いが獅子飾りよりも獰猛な笑みで得物を大上段に構えた。


「ふ、ふざけるな……。なんだ、今のは……。」


 やっとのことで面影を取り戻した吸血鬼が、いびつな声で、泣き言を言う。知ったことか、相手の手札を見誤るほうが悪いのだと、だれかの行った言葉を、吸血鬼は思い出していた。そしてそれを振り払うかのように、焼けてなお恐ろしい膂力で一番脆そうな老魔剣士に向かって走り出した。


「まずは力を取り戻す! お前からだ!」


 しかし、老魔剣士はそれに微動だにもせず、静かに細剣を揺らす。


「来るのが分かっとりゃあ、恐ろしくもないわい。」


 突きつけられた鉤爪の下を潜って、脇腹から肺や他の臓器ごとまとめて心臓を突き刺した。いくら驚異的な再生能力を持つ吸血鬼とて、これではひとたまりもない。多くの血を吸ってきたであろう口から、血反吐が逆流した。それが老魔剣士の赤いローブに吸い込まれ、より赤を増すようだった。


 老魔剣士は剣を引く抜くために吸血鬼の腹を蹴り、そこに獅子と音超えの刃が殺到する。


 獅子の一撃がその素っ首を切り落とし、黒の剣が胴体ごと心臓を叩き切った。うめき声すらもう残さずに、吸血鬼は灰へと帰っていった。


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Trivial story―忘れられた元勇者が名声を取り戻す話― 錨 凪 @Ikaling_2316

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