第7話:喧嘩騒ぎ

 かたやはちきれんばかりに禿頭に血管を浮かべ、かたや涼し気な表情でにらみ合う二人の男に、冒険者ギルドの酒場の空気は本人そっちのけで青天井に高騰していた。


「貴族下りのジェイムズがまたやらかしたぞ! 」

「だからいつまで経っても下級アマチュアから抜け出さんのよ。」

「今度の相手は誰だ? 」

「いつもどおり流れのよそ者だ。」

「なんだ?『つまらない』やつだな。」

「賭け表作れ! どっちに賭ける! 」

「今のところはジェイムズんとこのブランドンが連勝しとるようじゃぞ。」

「俺はあのよそ者に賭けるね。」

「大穴狙いか? たしかにガタイはいいが……。」

「よう、よそ者の連れかい? お前はどうする。」


 話を振られた少女は狼の耳を愉快に震わせながら、口元を緩ませて応えた。


「当然、わしの旦那様に金貨50枚はかけるぞ。」


 金貨50枚、相当な金額だ。今この場にいる全員に酒を振る舞って余りある。場の空気が一気に盛り上がった。相方の荷物から勝手に取り出された金貨袋が胴元の座るテーブルに置かれた。それでもまだ賭け金は大男ブランドンの方が多い。そこに、新しく酒場に入ってきた人影が、よそ者トリヴィアルの方に金貨袋をまるごと置いた。


 胴元の男が見上げると、そこには碧鈷鋼コバルタイトの全身鎧を身にまとった見事な重戦士が立っていた。胴元は奇妙な形の兜が気になったが、実用よりも見栄えを重視する冒険者も多いため聞くことはなかった。


「おい、あんた。そっちでいいのか? 」

「あぁ。あいつが勝つ。」

「よそ者同士馴れ合おうってか?」

「ん、いや、そうだな、そんなところだ。」


 重戦士は酒場の店主から麦酒エールのジョッキを受け取ると壁に寄りかかって成り行きを見定めることにしたようだ。


 一方、よそ者と大男は一触即発であった。冒険者同士の喧嘩は武器を使わないものと相場が決まっている。負けた時に良い武器を使ってたから勝てたなどと言われると名が廃るというのもあるし、単純に冒険者が街で同業者に殺されるなど間抜けもいいところだからだ。


「おいよそ者、こうなったらいまさら引けねぇぞ! 」

「愛しい女の前で恥はかかないさ。」

「俺を怒らせて神殿の世話にならなかったやつはいない。」

「たまにはあんたも世話になったらどうだい。」


 大男は拳を固めて首を慣らした。


「ブランドン。お前を今からぶちのめす男の名前だ。」


 よそ者はボサボサの髪を細い革紐で一つに縛りながらそれに応えた。


「トリヴィアル。『取るに足らない』男の名前だ。」


 お互いが名乗る。名声を良しとする冒険者どうしの喧嘩、否、決闘の礼儀だ。剃り上げた禿頭を茹でダコのように真っ赤にしながらも、すぐに殴りかからないのは冒険者としての最後の矜持だった。


「おぬしよ、勝てば資金が倍になるぞ。」

「勝手に財布をあさる悪い子には後でお仕置きが必要だな。」

「なによそ見してやがる! 」


 大男は拳を振りかぶって殴りかかるが、よそ者はその内側へ潜り込んでその顎を殴りつけた。見事なまでにお手本通りのクロスカウンターが決まる。意識が一瞬で刈り取られた大男はそのまま崩れ落ちた。誰もが、もう立ち上がらないだろうと確信する倒れ方だ。


 こともなさそうに手を払うよそ者を歓声が酒場ごと包み込んだ。


「なんだ、打たれ弱いな。それでも冒険者か? 」

「おぬしよ、かっこよかったぞ。」

「俺の実力を十分に引き出せる喧嘩じゃなかったけどな。」


 よそ者は連れのいる席に戻って乾杯をする。安酒のような勝利の美酒よりも、よっぽどうまい。


「おい胴元、さっさと分け前をよこしな。ちょろまかしたらぶちのめすからな。」

「わかってるよ。ほれ、持っていきな。」

「そういやジェイムズはどこいった? 」


 大男の飼い主である青年がいつの間にかいないようだった。こういうときに逃げ出すから跡取りになれんのだと誰かが言った。碧鈷鋼の重戦士のこもった声がそれに応えた。


「ここだ。」


 重戦士に視線が集中する。喧騒に紛れてギルドから退散しようとしていた貴族下り青年は腕を固めて捕らわれていた。


「何をする! 俺を誰だと思ってる。トールボット男爵の三男、ジェイムズだぞ! 」

「貴族の息子なら堂々としていろ。見苦しい。」


 押し出されるようにして酒場の中央に放り出された青年に視線が集中した。倒れ込んだ青年は金属鎧の重量のためにもたついて上手く動けない。見栄えだけ良くても使いこなせないのでは意味がないだろう。


「アッシュ! ヒリング! どこに行った! 」


 倒れている大男の他にも取り巻き、もとい一党の同胞がいるはずなのだが、頭目リーダーが呼んでも誰も出てこようとはしなかった。それを横目に少女は伸びている大男の首から下がった認識票を汚いものを持つような手付きでつまみ上げた。


「金等級、中位の最上級冒険者か。そりゃあ得意げになるわけじゃの。」


 冒険者には上中下の位にそれぞれ5等級、そしてそれ以上の規格外とそれ以下の見習いを含めた合計17等級が存在する。金の認識票は中位最上級、そこそこの実力がある冒険者と言えるだろう。間抜けな貴族に与している辺り信用点を稼げていないことを踏まえると実力はもっと高い可能性もあった。


「よぉ『田舎者』。確かに金等級はこの街じゃあ実力者かもしれないが、世の中にはもっと上の冒険者も居るんだ。よそ者と喧嘩をするときは相手を選ぶんだな。」


 そう言って胴元の男は青年の腰の金貨袋をふんだくった。それと入れ替わるようによそ者の『取るに足らない』男はにこやかな表情で肩を叩く。


「よぉ大将。俺の女に手を出そうとした落とし前はどうするつもりだ? 」


 頼みの綱の金を奪われた貴族下りの青年は、酒のグラスがないにも関わらず、股間を温かいもので濡らしていた。

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