妹:もうひとり

 本当は断ろうかと思った。

 頭痛いし。

 でも、嫌そうに電話に出てるお兄ちゃんの様子に、嫌がらせという訳じゃないんだけど、気にしてほしいというか、ちょっとだけ淡い期待みたいなものが湧いて承諾してしまった。だって高山さんと関わると、お兄ちゃんの様子が少し変わる気がするんだもん。


 結果的には全然気にされてないんだけどね……「あんまり飲むな」なんて、相変わらず健康面は気にしてくれるのにね。

 とりあえずコンビニでウコンとか水とか購入して、早めに二日酔いを脱する努力をする。功を奏したのか昼過ぎには頭痛も治まって、現状を冷静に振り返る余裕も出来た。

 高山さんから送られてきたお店は行ったことのない居酒屋だったけど、時間は遅め。迷って遅れるということはないだろう。



 * * *



 予定の時間より五分ほど早く着いてしまった。店内には他に二組ほどお客がいただけだったけれど、個室に通された。掘りごたつ式のテーブルの上にあった、予約済みの札を店員さんが回収して、ごゆっくり、と笑顔を残して去って行く。

 木製のカウンターや柱は落ち着いた雰囲気で、障子ではなく布で入口を仕切ってあったり、照明がランプを模してたり、ガラスの浮き玉が飾られていたりとお洒落な番屋風といった感じだ。


 高山さんからは少し遅れそうだと土下座のスタンプが送られてきていた。忙しいならまた別の日でもいいのに、と思いつつ、のんびりお待ちしてますと返事をする。

 そのままネットをあちこち徘徊して時間を潰し、高山さんがやってきたのは二十分ほど経った頃だった。


「遅くなってごめん」


 「いえ」とスマホをしまいつつ顔を向けると、高山さんが布の仕切りを押さえたまま、誰かを促した。


「なかなかタイミングが合わなくてさ。今日を逃したらまたしばらく無理だったから……急な呼び出しで悪かったね」


 布の向こう側から少し緊張気味に顔を出したのは、ストレートのロングヘアでタイトなスーツを着こなしたお姉さんだった。切れ長の瞳があたしを捉えると軽く伏せられて会釈される。

 他の誰かを想定していなかったあたしが呆けていると、首を傾げた高山さんが「ああ」と声を上げた。


「大空が電話に出たから、言ってなかったっけ。川口千早ちはや。会ってくれるって話だったよな?」

「あっ。はい」


 千早さんって、名前だったんだ。お兄ちゃんも高山さんも苗字で呼びあってるから、千早さんもてっきりそうなんだと……男性を想定してたわけじゃないけど、女性だとも思ってなくてなんだか急に恥ずかしくなってきた。

 背筋を伸ばして慌てて頭を下げる。


「大空、朋生です。初めまして」

「初めまして。びっくりさせちゃったかな。この人達、いつも連絡適当なのよね……」


 半眼で見つめられた高山さんは、それに気付かないふりをしてテーブルに着いた。


「まぁ、まぁ。腹減ったし、乾杯してから話そう。ビールでいい?」


 頷くと、後ろに待機していた店員さんに指を三つ立ててよろしくと笑顔を向けた。




 あたしと千早さんはお互いがなんとなくそわそわとしていた。それをちょっと面白そうに高山さんが眺めている。乾杯を済ませてビールに口をつけても肝心の話のとっかかりが掴めずに、天気やドラマの話をし続けていた。好きな俳優の傾向や萌えポイントが似ていて、もしかしたら凄く気が合うかもしれないと思い始める。話を合わせてくれているだけかもしれないけど。

 一呼吸空いたところで高山さんが水を向けてくれる。


「朋生さんは大空と暮らし始めてどのくらいなの?」


 千早さんが持ち上げかけたジョッキを元に戻した。


「夏で二年になります……あの、お兄ちゃんがいなくなってたのって……」

「三年くらいかな」


 少なくとも、あたしと会う前に一年はあるってことだ。


「あいつ、身寄りがないし、携帯も持ってなかったし、タイミング悪くて、仕事辞めたのに気付いたのもちょっと経ってからで……ただの同僚だった俺達じゃ捜索願も――今は行方不明者届っていうんだけどね。受け付けてもらえなくて。家にも荒らされた形跡も争った跡も無くて、ないのは財布と車だけ。ふらっとコンビニでも行きましたって風だった」

「……ご両親をお墓に納めた直後だったから、それまで張っていた気力が無くなっちゃって、妙なことを考えなければいいって随分心配して……」


 おずおずと千早さんは口を挟む。


「しばらくは首つりとか水死体とか聞くたびに青褪めてたっけ。まあ、それが理由はどうあれ女性と暮らしてるって、ちょっと拍子抜けだよね?」


 高山さんは大げさに息を吐き出しながら、肩をすくめてみせた。


「お二人が思うほど、多分、あたしたち仲良くないですよ? シェアしてるくらいの感覚ですから。特にお兄ちゃんは」

「でも、二人で出掛けたりしてるんでしょう?」

「あたしが本当の兄妹だと思ってる間は、そこそこ付き合ってくれましたけど、今はほとんど断られます。高山さんと会った時は必要に迫られて、でしたし。あ、でも車での送り迎えはしてくれるかな。遅くなったときとか、天気の悪いときとか」

「ああ、そうね。そういうとこは変わってないのね」


 ほっとしたように、千早さんは微笑んだ。


「お兄ちゃん、変わりましたか?」


 この質問に、千早さんも高山さんの方を見る。

 高山さんはもったいぶるようにジョッキに口をつけた。


「変わったような、変わってないような。雰囲気はよりクールになったかな。うん。冷たくなった」

「それは浩二がからかうからじゃないの?」

「からかい甲斐がなくなった」

「自業自得じゃない」


 嘆く高山さんの肩を千早さんは拳でぐいと押し付けた。


「……今日は、やっぱり来るの嫌だって言ってた?」

「あ、いいえ。今日は当直しごとなんです。休みでも来なかった確率は高いですけど……それはお二人に限ったことじゃないっていうか……えぇと、そう、人間不信気味っていうか」

「人間不信……」


 きゅっと眉を顰めて、千早さんは視線を落とす。


「そうなら、理由の一端は俺達にあるかもな」


 ジョッキを空にしてしまった高山さんは、悪びれる様子も無くそう言って、布の向こうにビールのおかわりを頼みに行った。

 軽く唇を噛む千早さんに違いますと言ってあげられなくて、なんだか申し訳ない。あたしはお兄ちゃんの理由を知らないから……


「本人、怒ってはいないって言ってたけどな」


 戻ってきた高山さんを千早さんが見上げる。


「朋生さんをこうやって誘うのは止められなかったし、アイツだけの問題なら気にしても仕方ない。頑固なんだよ」


 うんうんと、あたしも頷く。


「今はダメでも、時間を置いたらわからないですし……会いたいなら、いつか連れてきます。保証はできませんけど」

「……ありがとう。直接会えたら、言いたいことがあるって伝えておいてくれるかな?」

「いいですよ。逆になんかすみません。会うくらい、すればいいのに」


 ふふ、と笑った千早さんはちょっと悪戯っぽく首を傾げる。


「朋生さん的には、私が個人的にお兄さんに会っても構わないのかな?」

「え? どうぞ?」


 何を気にしてるのかよく解らずに答えてから、千早さんの綺麗な笑みにどきりと胸が鳴った。


「いくら美人でも、おばさんに負ける気はしないってさ」

「えっ!? そ、そんなこと思ってません!」


 千早さんは綺麗な笑みを怖い笑みに変えて、そっと高山さんの二の腕に手を伸ばした。


、てててて! ぼ、暴力反対!」

「私もどうこうしようなんて思ってないわよ。だけど、兄妹だって、急に昔の知り合いですって知らない人が近付いて来たら不安になるでしょ?」


 うんうんうん、と高山さんは雑に頷く。ようやくつねられてた手を離されると、涙目で二の腕をさすっていた。仲良いな。この二人。

 ここにお兄ちゃんが加わってるところを想像してみる。んー。高山さんに弄られたり、それを千早さんが窘めたり? あ、意外とハマるのか。


「なんだよ。いい人ぶって。朋生、大空、昔コイツのこと好きだったから気を付けるに越したことないぞ」

「本人に聞いたわけでもないのに、勝手な事言わない!」


 笑いながらガードするように上げた高山さんの腕を、千早さんは容赦なくばしばしと叩きつける。


「言わなくても、分かることってあるよなぁ? ……言えないってこともあるし」


 小さく自嘲気味に付け足された言葉に、何故かどきどきする。

 千早さんは美人さんだし、ないことじゃないだろう。頑なに二人に会うのを嫌がるのは、そういう気持ちを再燃させたくないから……なのかな……ピンときて、確かめる。


「あの。お二人って」

「付き合ってないよ。今は」


 今は。


「だから、何も心配することはないんだけどさー。だって、朋生ちゃん、『お兄ちゃん』が好きでしょ」


 ほへっと変な声が出た。

 え。嫌だ。待って。どういう意味?!

 字面通りに受け止めればいいのに、妙な勘繰りが出て、言葉に詰まる。

 そのいっときの間で、高山さんは楽しそうににやにやとして、生暖かい目であたしを見つめた。

 お、お兄。お兄の言ってた厄介って意味、何となく解った気がする!

 あたしは取敢えずその目から逃れようとジョッキに手を伸ばして、半分ほど残っていたビールを飲み干した。

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