第35話 パールバディー号の航海
パールバティー号の調理室では調理用の大鍋を前にヤースミーンが神妙な顔で椅子に掛けており、彼女の持つ杖からは細い光線が大鍋に向かって伸びていた。
光線は鍋に当たる部分で青白い炎に変わり、ガスバーナーのように鍋を加熱している。
ヤースミーンは懸命に目を見開いていたが、やがてその目は閉じて行き杖から伸びる光線は大鍋から逸れて行こうとした。
「ヤースミーンさん起きてください!」
ヤースミーンの居眠り防止役として張り付いていたホルストが杖を支えながら呼びかけると、ヤースミーンはハッとした表情で再び目を開ける。
「すいません。また眠ってしまったのですね」
ヤースミーンは申し訳なさそうにつぶやくが、ホルストは励ますように答える。
「無理もないですよ。魔法の継続使用なんてどれだけ体力を消耗するか僕たちには想像もつかないくらいですからね。タリーさんが普通に自分で火を焚けばいいのにヤースミーンさんに安易に頼り過ぎなのですよ」
ヤースミーンが威力を限定した火炎の魔法で加熱している鍋の中では透明な液体が煮えたぎり次第に煮詰まっている状態だった。
「ヤースミーンお疲れ様。パールバティー号の船首の穴は嵐で敗れた帆を使ってどうにか塞いだよ。後はその膠を使って布を防水したらどうにか帆走できそうだ」
甲板から降りてきた貴史が状況を説明し、その後に続いたタリーが大鍋の中の液体を検分している。
「どうやら膠として使える状態に仕上がったようだな。ヤースミーン、もう加熱を止めてもいいよ」
ヤースミーンは火炎の魔法を止めるとホッと息をついて言う。
「シーサーペントの皮の煮汁が防水剤になるなんて思ってもいませんでした」
タリーはシーサーペントの皮を加工用に保存したくて煮沸していたのだが、皮の裏側にコラーゲンが沢山含まれていることに気が付き膠にすることを思い立ったのだった。
「膠ができたのはヤースミーンのおかげだよ」
タリーがヤースミーンをねぎらっている間に貴史は船の補修にあたっている船員を呼び、船員たちは大鍋から桶を使って膠を汲み上げ、船首の補修箇所へと向かう。
桶から柄杓を使って破損した船首に詰められた布に膠を染み込ませ、防水していくのだ。
「膠が固まったら、帆走可能となるはずだ。総員持ち場に付け」
パールバティー号の船長の指示で船員たちは忙しく立ち働き、やがて三本のマストに白い帆が張られ、追い風を受けた船はゆっくりと動き始めた。
「シーサーペントの皮から作った膠が船の修理に使えるなんてあっしも初めて知りやした。ドラゴン以外に工芸品に使える魔物がいたなんて感動しやしたよ」
甲板で広がった帆を眺めながらリヒターが言うとセーラが微笑を浮かべる。
「私はシーサーペントの皮でハンドバッグでも作ってみたいわ。ちょっと他では見られない皮目が楽しめるのではないかしら」
「それはいい考えだ。ガイアに戻った暁には革細工のマイスターに依頼して最高のデザインのハンドバックに仕立てることにし、ここに居あわせた者にはもれなく一品贈呈しよう」
ムネモシュネはセーラの話に乗って、本格的に製品化を考え始めた様子だ。
パールバティー号が無事に航走を始めたので、船員以外の人々は乗客の気分に戻り呑気な会話に興じている。
かつて、壮絶な戦いを繰り広げた宿敵同士が魔物の皮でバッグを作る話をしているのは平和で微笑ましい。
「私もそのバッグいただけるのですね!」
ヤースミーンもちゃっかりとハンドバッグ受領者に名乗りを上げたが、尻尾の一部とはいえシーサーペントの皮は相当な面積があるためハンドバッグにするだけでは使いきれない雰囲気だった。
「そういえば、ホルストは戦闘時にはシマダタカシの旦那の焼きガニの鎧を借りているんでやしたね。シーサーペントの皮のうちハンドバッグに向かない部分を集めてホルストの鎧をつくるのはどうでやしょうか」
リヒターが提案すると、今度はタリーが話に加わった。
「ふむ、それは面白そうだな。暇つぶしになる上にホルストの生存確率も高まり一石二鳥というものだ。シーサーペントの尻尾とはいえ、腹側は白っぽい横縞なのでその部分を正面装甲に当てることにしよう。背側はシーサーペントの背骨の上を覆う硬い部分を使うとよさそうだな」
料理だけではなく、工作も好きなタリーはリヒターの提案にすっかり乗り気になっている。
シーサーペントの皮はうろこの隙間を狙っても貴史やハヌマーンが刺し貫くのに苦労したくらい丈夫なもので、重量も軽いため鎧の材質には向いていると言えた。
そして、タリーはムネモシュネの侍女のバルカと相談し、皮目の模様から判断してハンドバッグ用の部分と鎧に回す部分を線引きして分配を始めるのだった。
「僕のために鎧をデザインしてくれるなんてありがとうございます」
根が素直なホルストは鎧が出来上がる前からタリーに礼を言っているが、貴史はタリーの趣味や美意識を知っているだけに自分の鎧を作る話でなくてよかったと密かに胸をなでおろしている。
そして、ヤンを誘うと食糧確保のためと名目を作って釣りをすることにした。
「シマダタカシ、こんな速度で航行している帆船から釣り糸を垂らしても釣れる魚などいないのではないかな」
ヤンは北にあるヒマリアのしかも内陸部に住んでいたため、海で釣りと言ってもピンとこないらしく、何か獲物が釣れることに対しては半信半疑の様子だ。
「僕のいた世界にはトローリングという釣り方があったから、こうして疑似餌を引っ張っていればきっと釣れるよ。もしかしたらマグロが連れるのではないかな」
貴史にしてもトローリングなどしたことは無いのだが、そこは釣り道具を作ったタリーの言葉の受け売りだった。
タリーはパロの港で釣り竿や釣り針、そして釣り糸を仕入れていたのだ。
タリーの作ったルアーは相当な性能を発揮し、貴史達がしばらく釣り糸を垂れていると、ヤンの竿と貴史の竿が立て続けに大きくしなった。
「何だこれは?」
「いや、魚が疑似餌にくいついただけの話だと思うけど」
ヤンと貴史は予想外の大物に驚いたが、少しづつ釣り糸を巻き取り船尾近くの海面に魚の姿が見える。
手の空いていた船員が大きな網ですくいあげると、その魚は丸い頭をした鮮やかな青い色の魚だった。
そしてその体長は一メートル近くある。
「これは、セイレーンのような魚系の魔物かもしれませんね」
ヤースミーンは真面目な顔でコメントするが、貴史はその魚の姿に見覚えがある。
北国の内陸育ちのヤースミーン達に正しい名前を教えなければと思い、貴史はどうにかその魚の名前を思い出した。
「それはシイラという名前の魚だよ。でも、魔物ではないがきっとタリーさんが料理してくれると思うよ」
貴史とヤンはそれぞれの獲物を抱えると、甲板から船室に入りタリーの姿を探した。
タリーはホルストのための鎧の製作を続けていたらしく床の上にはシーサーペントの皮の断片が散らばっている。
「タリーさんシマダタカシとヤン君が魚の魔物みたいなものを釣り上げたのですよ。早速料理してください」
ヤースミーンの声を聞いて、貴史とヤンの手にしている獲物を見たタリーは顔をほころばせた。
「ふむ、それは魔物ではなくてハワイでマヒマヒと呼んでいた魚みたいだ。今夜の夕食に使うことにしよう。ホルストの鎧だが、ラフなデザインが決まったので、バルカさんが仮組してホルストが試着することになったのだ。今からお披露目するから諸君も見てくれ」
貴史とヤンは釣り上げたシイラを調理場に置くと再び戻って、ホルストの鎧の出来栄えを見ることにした。
やがて、ホルストが仮組みした鎧を身に着けて皆の前に姿を現した。
「どうですか、この鎧は?」
「すごくいい出来だと思うよ。これなら軽い上に防御力も高まって最高だね」
人格が出来ているヤンは無難に答えるが、ヤースミーンは微妙に笑いをこらえているように見えた。
「私にはなんだかアルマジロに似ているように見えるのですが」
「それを言っちゃあだめだよ」
ホルストの鎧は胴の部分の背側にはシーサーペントの背骨の上にあるごつごつした部分を使っていたが、腹側にはシーサーペントの腹側の白っぽい皮を使用して筒状に仕上げている。
そして腕や足、頭にはシーサーペントの背側の硬い部分を使って手甲やヘルメットを装備しており、トータルなデザインとしてはアルマジロにそっくりな姿となっていた。
貴史は折角ホルストが気に入っているのだから笑っては駄目だと思い必死にまじめな表情を保つのだった。
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