会戦の朝(3)

勝算ありやなしや

「本当に戦うんですね」


 群臣たちが戦の準備のために軍議の席を離れると、側仕えの女騎士がグレイスに尋ねた。


「戦う気がないならわざわざこんなところまで来ないさ」


 平素、目下の者と接するときも丁寧な言葉遣いで話すよう心がけているグレイスだが、この女騎士に対してはぞんざいな口の利き方をする。


「マリア様に勝てるとお思いですか?」


「またあのときのようにわたしが苦杯を舐めさせられると思っているのかな。は」


「……グレイス様!」


 ぷうっと、女騎士が頬を膨らませる。グレイスと同年代だから、若くとも二十代にはなっているはずだが、十代の少女のような仕草だった。


「すまないジュディス。君があまり不安がるからつい茶化してしまったんだ」


 ジュディス・カミングスは、あの思い出深い馬上試合の朝に寝坊したグレイス、マリアの学友だった。元々はブルーローズと縁の遠い地方領主の娘だったが、大陸の動乱で親兄弟を失ったため、グレイスの元に身を寄せ、側に仕えることになったのだ。


「勝算はあるよ。わたしなりにね」


 グレイスは、辛い過去にも関わらず、寄宿学校時代の屈託のなさを失わずにいるジュディスを微笑ましい思いで見つめながら、言った。


「不敗の戦姫は勝てない戦を好まない、ですか。しかし、グレイス様は軍議の席で一つたいへん重要なことを議題にしませんでしたよね」


「と言うと?」


「私に言わせるんですか? 神器のことですよ」


「ああ、そんなことか」


 グレイスが煩わしげに言うとジュディスは顔を真っ赤にして吠えた。


「そんなことで済みますか! 火剣ヒケン聖槍セイソウ烈弓レッキュウ雷鎚ライツチ竜鱗リュウリン封盾フウジュン、そして理杖リジョウ――マリア様は神器の全てを手中に収めているんですよ? 彼我の兵力差はともかく戦力差は絶望的じゃないですか!」


「心配ないよ。マリア様がこの戦場に神器を持ち込むことはありえないから」


 あくまであっけらかんとした口調で言うと、ジュディスは毒気を抜かれたように目を白黒させてから「何故そう言い切れるのですか?」と尋ねてきた。


「……確かに神器は強力だ。たとえば我がブルーローズの至宝・火剣は、その一振りで数十人を灼き払うと言われている。他の王国に伝わる神器にも強力な力が備わっていると聞く。だが、その力は戦場の勇者が用いてこその力だ。マリア様自らが用いるものではない」


下賜かしすれば良いではありませんか」


「ダメさ。神器は政治的にも大きな力、大きな意味を持っている。ゴールデンフリースの女帝たるマリア様が神器を下賜するということはすなわち、


「おおぅ」


「理解したようだな。純軍事的には神器は強力な兵器だが、にはとほうもない価値を持つ恩賞なのさ。その恩賞を戦も終わらぬうちに下賜すれば戦に勝ったとしても後の禍根となることは火を見るより明らかだ。単純な戦力ではこちらを圧倒しているわけだし、いくらマリア様でも神器を下賜できる情勢ではないんだ」


 グレイスがそう言って口をつぐむと、ジュディスは腕を組んで「軍事的には正しい選択……政治が許さない……ふむふむ……ほむほむ……」呟き出した。


 グレイスはこの分から納得してくれそうだなと思ったが、その見込みは甘かった。


「待ってください、グレイス様」


「ん?」


「グレイス様はただ今のご説明でも、一つたいへん重要なことに触れませんでしたね」


 ばれたか。グレイスは心の中で舌を出した。


「確かに六王国の神器については仰る通りでしょう。しかし、帝国の神器――理杖リジョウだけは話が違います。千日先をも見通す魔力を有するあの神器だけは、マリア様自らがお持ちになってこそ真価を発揮できるはずなのです。純政治的にも、純軍事的にも」


理杖リジョウがジュディスが想像したとおりのものならば、そうなんだろうね」


「どういうことです?」


「伝説の邪竜を打ち破った王子と六人の勇者が用いたとされる七つの神器――そのうち、ゴールデンフリースの帝王が持つとされる理杖リジョウは存在しないんだ」

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