第47話 綾からの頼み


 重綱が江戸にいるとはいえ、仕事があってのこと。当然といえばそれまでだが、屋敷にいないことも多かった。

 そんな時を見計らったかのように綾から人払いされた奥の間に呼ばれ、阿梅はただならぬ気配を感じた。けれども、まさか綾がこれ程までに追い詰められていようとは、阿梅は知りもしなかった。

「お方様! どうか、どうか面を上げてくださりませ!」

 半泣きで懇願する阿梅に、しかし綾は垂れた頭を上げることはない。

「私の願いを聞き入れてちょうだい。お願い、阿梅」

 しかし、どうして頷けようか。

 阿梅が綾に頼まれたことは、「小十郎様の妻になってほしい」という、今までにない直球なものだったのだ。

「そんな、そんな願いを、どうして」

「全ては小十郎様の為。その為ならば、私は何でもいたします。貴方に頭を下げることなんて簡単なこと」

「そんな! 小十郎様はそんなことは望んでおりません。私も…………お方様の幸せを、望んでいるのに」

 重綱にあれ程に愛されているのに、何故。

 阿梅は痛む胸を押し殺し、綾に言い募った。

「お子様でしたら、方法はあります。お方様がそのように頭を下げてまで、解決せねばならないものではありません!」

 しかし綾は頑として譲らなかった。

「お願い、阿梅。…………私はそう長く生きられないわ。それが分かるから、こうして頼んでいるの」

「その頼み方はあんまりです、お方様!」

 阿梅の目に涙が浮かんだ。

「そんなこと……………おっしゃらないでください。貴方様がいなくなるなどと」

「………………阿梅、私を思ってくれているというのなら、どうか」

 阿梅は堪らず叫んだ。

「なります! 側室にでもなんでも、なりますから!」

 やっと顔を上げた綾の目にも涙が浮かんでいた。

「ありがとう、阿梅。こんな我が儘を聞き入れてくれて」

「お方様………」

「私は酷い女ね。貴方が辛いことを承知で、こんな頼みごとをするのだから」

 綾は潤んだ瞳で、しかし笑うのだ。

「だから、私に気がねなどせず、小十郎様を支えてさしあげてね、阿梅」

 綾は己の死期を悟っている。阿梅はぞっとした。

 信じたくないと思った。けれど綾の言葉はまるで遺言のように感じられた。

(お方様は自身の死を見通し、その上でこうおっしゃっている)

 綾は本気だ。阿梅はきつく拳を握り締めた。そして綾を真っ直ぐに見つめると、低い声で切り出した。

「お方様の頼みは引き受けましょう。ただしひとつだけ、お許しいただきたいことがございます」

 綾の目が揺らいだ。しかし何かを覚悟したように彼女はこくりと頷く。

 阿梅は深呼吸をして、あの鈴の音のような声で、きっぱりと言った。

「私と彼の御方の想いが、けして通じあうことはないと、そう貴方様に誓わせてくださりませ」

 綾は目を見開いた。と同時に、阿梅の覚悟を感じないわけにはいかなかった。

「阿梅……………貴方という人は」

「お方様、お許しくださりませ」

 綾は視線を落として、こぼすように呟く。

「どうして貴方達は、こうも」

 だが阿梅に視線を戻した綾の顔は慈愛に満ちていた。綾は阿梅に近寄り、そっと彼女を抱き締めた。

「そんな誓いなどたてないでと言っても、聞き入れてはくれないわね」

「はい。誓わせてくださりませ、お方様」

 阿梅は綾の胸に額を押し付ける。そんな彼女の頭を綾は愛しげに撫でた。

「許します。けれど、務めは果たすのですよ?」

「分かっております」

 阿梅の返事に自嘲するように囁いた。

「私は本当に酷い女ですね。阿梅、いつでも誓いを破っていいのですからね」

「いいえ、お方様。私だって十分に酷いのですから」

 お互いの顔を見ることもなく、綾と阿梅は声も上げずに涙をこぼしていた。

「それでも、私は貴方に頼みます。小十郎様を、片倉家を、どうか支えてくださいまし、と」

「頼まれました、お方様。けれども、片倉小十郎重綱様の正室はただ一人。貴方様だけにございます」

「……………阿梅」

 綾は言葉を詰まらせた。

 この気高く、情にもろい姫に、幸せになってもらいたいという綾の気持ちは嘘ではないのだ。阿梅の、綾に幸せでいてほしいという気持ちが嘘でないように。

 だが、二人はそれを口にはしなかった。

「後を頼みます、阿梅」

「――――――はい」

 受け継ぐ覚悟、譲る覚悟。愛も忠義も、葛藤も苦しみも、全て飲み込んで。彼女達はそこにいた。

 阿梅の心は定まった。愛するがゆえに。その誓いをたてて。

 いずれ片倉小十郎重綱の妻になるという未来を、こうして阿梅は受け入れたのだった。









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