第48話 不器用な人達


 阿梅が綾から頼まれごとを受けた、その日の晩。重綱は向かい合った綾の顔に嫌な予感を覚えた。

 覚悟を決めた、死地に向かう者と同じ目だ。綾が何を言い出すか、薄々のところ重綱は分かっていた。

 であるから、先んじて綾に言い放った。

「たとえ阿梅であろうと、側室には迎えないぞ」

 綾は目を丸くし、それから「どうしてそう、頑ななのです」と弱った顔で呟いた。

「どうしてと、お前が言ってくれるな。私はお前が大切なのだ」

「…………我が殿、お話しを聞いてくださりませ」

「いいや、聞かぬ。子供なら養子を迎えればよい。お前が心配することは何もない」

 しかしそう言われても、この晩の綾は引かなかった。

「この心は、そんな言葉では静まりませぬ。殿、話しを聞いてくださりませ」

 重綱はため息を吐いた。

「何故、そのように心乱れる。何がそうさせる」

「貴方様が、貴方様の頑な心が、そうさせるのです」

「お前が大切だという、私がか。どうして分かってくれない」

「分かってくださらないのは、貴方様の方でございます!」

 滅多なことでは声を荒げない綾のそれに、さすがに重綱もたじろいだ。

「私が、分かっていないと?」

「はい。貴方様は何も分かっていらっしゃらない。私がどれほど貴方様や片倉を重んじているか」

「なッ、それ分からない私だと――――」

 だが綾は重綱の言葉を遮った。

「では私がいなくなったら、どうするおつもりです。独り身でおられるおつもりですか」

 重綱は絶句した。

「自分の身体のことくらい分かります。私は貴方様をおいてこの世を去るでしょう。それを考えたら、いてもたってもいられないのです」

「………そのようなことを言うな。お前は、そうはならない」

「殿」

 弱々しく言う重綱に綾は真っ直ぐに瞳を向ける。

「私の心が乱れるのは、そうした殿のせいなのです」

「綾」

「私の心を落ち着かせたいと、本気で考えてくださるのでしたら、誓ってくださいまし」

「何を…………だ」

「私が死んだのなら、必ず阿梅をめとると」

 重綱は思わず呻いた。

 しかし綾の瞳は重綱をひたと見つめ、引く気配はいっさいない。それも当たり前だが。

「―――――お前が死ぬだなんて、そんなことは」

「起こらぬと? 馬鹿げておりまする!」

 重綱は堪らず叫んだ。

「たとえ! たとえ、そうなったとして!!」

 苦悶の表情を浮かべながら重綱は叫んでいた。

「私の妻はお前だけだ!」

 思わず綾は重綱に詰め寄った。

「なりませぬ、小十郎様!」

 綾の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。重綱は息をのんだ。

 その重綱に綾は切々と訴える。

「片倉家を支える女性がいないなど、あってはなりませぬ。それは貴方様にも分かっておりましょう」

「しかし…………何も阿梅でなくとも」

「本気でそのようなことをおっしゃっているのですか? 阿梅の他に相応しい者がいるとでも?」

「いや、すまぬ。だが、阿梅はそれで良いのかと」

「我が殿!」

 綾はほとんどその胸元をつかまんばかりの距離で、まなじりもきつく重綱を睨んだ。

「阿梅は覚悟しております」

「何?」

 綾は少しだけ迷ったがそれも一瞬だ。

「阿梅は私のこの我が儘に応と答えてくれました。その時、あの子が何と言ったかお分かりになりますか?」

 分かるわけがない。いや、綾のそれに重綱は驚愕していた。まさか綾が阿梅にそんな頼みごとをしていようとは。

 無言の重綱に綾は張り裂けそうな声で教えた。

「ええ、殿にはお分かりになりませんとも! あの子は私に、貴方様とは想い合わないとの誓いをたてたのですよ!!」

 重綱は目を見開いた。

 妻になることを受け入れて、綾にそう誓う阿梅に。その覚悟に。

 重綱はいつかのように頭をガツンと殴られたような心地だった。

「あの子がどれほど貴方様をお慕いしているか、どれ程の覚悟で誓ったか! よくよくお考えくださりませ!!」

 重綱に返せる言葉はなかった。

 苦々しく顔を歪め黙りこくり、そうして。

「―――――分かった。もし、もしもお前がこの世を去ったのなら、必ず阿梅を妻にすると誓う」

 絞り出すような声で言った重綱に、綾はやっと顔を緩ませた。

「有り難きお言葉にございます」

「だが、そんなことは起こらない。お前はこの世を去ったりなどせぬのだから。だから、私の妻はお前なのだ」

 綾は重綱の顔を覗き込み、それにほっそりとした手を伸ばして触れた。

「不器用な人―――――いいえ、人達、ですね」

「人達?」

 首を傾げる重綱に綾はにっこりと笑った。

「貴方様と阿梅は似ておりまする。真っ直ぐに強くて優しくて。だからこそ弱くて、愛しい」

「綾」

 重綱は綾の細い肩を抱いた。

 綾は触れた重綱の頬に額を寄せる。

「予言いたしましょう。殿は阿梅を愛します」

「お前のようには愛せまいよ」

「当たり前でございます。貴方様はそのような器用な方ではありませんもの。私には私への愛を。阿梅には、阿梅への愛を与えてくださる。そうなりますとも」

「……………万が一にも、お前がこの世を去ったのなら、だ」

「ええ。そうです。でも、きっと」

 淡く微笑んだ綾の瞳には重綱が映っていた。

 愛し愛された夫の弱り顔と、凛とした少女の顔を重ねて。

 綾は重綱の背に手を回すのだった。




 片倉小十郎重綱の正室である綾は、寛永三年にこの世を去ることになる。

 江戸の屋敷でその生涯を終えた彼女には、最期まで侍女の阿梅が付き添っていた。

 そして重綱は―――――「どうか、必ずや阿梅を妻に」という綾の遺言を守り、彼女の死後、阿梅を継室とするのであった。










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