【異世界・恋愛・令嬢】公爵令嬢は鍋をふるまう

お題「鍋」

裏お題「宇宙」「失恋」


公爵令嬢オリヴィアは、異世界から来た勇者ユートに想いを寄せている。

ある日、彼女はユートに鍋料理をふるまうが、それを食べたユートは倒れてしまう。

そんなとき、倒したはずの魔王が復活したとの報せが入った。


下記のサイトに同じ作品を載せています。

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鍋物なべもの、ですの?」


 聞き慣れない言葉にオリヴィアは首を傾げた。


「ええ。鍋の中に出汁だしと具材を入れて煮る料理です」


 そう答えて相手は微笑む。

 黒い瞳が懐かしそうに細められている。おおかた故郷のことを思い出しているのだろう。

 冗談じゃない、とオリヴィアは唇をかむ。彼にはこちらを向いてもらわなくては。


「鍋を使った料理ならこの世界にもございますわ。スープや煮込み料理のことでしょう」

「いえ、それとは少し違うのです」

「どのように?」


 少しでも会話を長引かせたくて、オリヴィアはいかにも興味があるそぶりで話の先を促す。

 今のオリヴィアを見たら、この屋敷の料理長やメイドたちはきっと「お嬢様は何か悪いものでも召し上がったのだろうか」と疑うだろう。それほど普段のオリヴィアは料理というものに疎かった。


 いや、正確には今でも料理のことなどどうでもいい。

 本当に興味があるのは、目の前にいる男性――異世界から勇者として召喚されたという若者、ユートなのだから。


 金や銀の髪色を持つ者が大半を占めるこの世界で、夜の闇を紡いだような彼の黒髪と瞳は一瞬でオリヴィアの心を虜にした。

 それに、話してみれば声は穏やか、物腰も柔らかで、オリヴィアはますます彼に夢中になった。

 今だって、彼はオリヴィアになんと答えようかと真剣に考えている。そんな誠実さも好きだ。


「……そうですね、『鍋物』は食べ方に特徴があるのかもしれません。一人でも食べることはできますが、たいていは何人かで集まって、ひとつの小さな机を囲んで。その中央に大きな鍋を置いて、みんなで少しずつ中身を取りながら食べるんです」


 まあ、とオリヴィアは口元を手で覆った。


「一人分ずつよそって出すのではなく、食事のときに鍋から取るのですか?」

「はい。体が温まりますよ」

「……そう」


 彼と『鍋物』を食べる場面を想像し、オリヴィアの頬が赤く染まる。

 だって、小さな机を大勢で囲むということは、それだけ互いに密着した状態で食事をするということで。もしかしたら食事中に手が触れることだってあるかもしれない。

 いや、手どころか、肩とか、腕とか、ひょっとしたら腰だって――ああ、なんということなのかしら。


「い……いかにも、庶民の食べ方ですわね」


 破廉恥な、だとか、いやらしい、だとか、そういう言葉を呑み込んだだけ褒めてほしい。彼の声を聴いているだけで頭がぼんやりとして、つい思ってもいないことを口走ってしまうのだ。

 きっと今夜もベッドの上で一人反省会をしては枕に顔をうずめ、脚をバタバタさせることになるだろう。


 ちらりと彼を盗み見れば、少し困った顔で笑っていた。

 そんな表情さえも魅力的で、オリヴィアは息が止まりそうになる。


「たしかに、貴族のご令嬢にとってはそう見えるでしょうね。でも、寒い季節になるとやはり鍋物が恋しくなるのです」


 不躾ともとれるオリヴィアの物言いを咎めることもなく、相手はただ静かに微笑んでいる。その姿は、とても魔王を打ち倒した勇者とは思えない。


 勇者という役目を終えた今、彼は次の「月欠けの夜」を待っている。

 空にある3個の月が重なるとき、異世界への扉が開いて元の世界へ帰ることができるのだという。

 彼にとっては待ち望んだ瞬間だろう。

 だけど、オリヴィアはその日のことを思うたびに胸が苦しくなった。


「そうだわ。あなたが元の世界へ帰る前に、わたくしがこの世界の『鍋物』を作って差し上げますわ」

「えっ、オリヴィア嬢が?」


 彼に名前を呼ばれた。

 ただそれだけのことで、オリヴィアの胸が燃えるように熱くなる。

 そのことを素直に告げることができたら、どれほど素晴らしいか。

 だが、相手は近々この世界を去る身なのだ。想いを告げて困らせるわけにはいかない。


「野菜は何を入れるの?」

「葉物や甘みの少ない根菜のたぐいが合うと思います」

「肉はどのモンスターが合うのかしら」

「そうですね……臭みの少ないものがいいかもしれませんが、実際に作ってみないとなんとも」


 彼の説明はどうにもふわふわして要領を得ない。

 いつまでも料理のイメージがぼんやりしているのは、オリヴィアに料理の心得がないことだけが原因ではなさそうだ。


「あら。あなたの世界ではモンスターの肉を入れないの?」

「そもそもモンスターがいないのです。野菜も同じものはありませんし、こちらの世界のように火の魔法を使って料理することもありません」


 モンスターがいない。野菜もこの世界のものとは違う。そして魔法がない。

 それはいったいどのような世界なのか、オリヴィアには想像もつかない。

 目の前の男性はそれだけ遠くからやってきたのだと改めて思い知り、オリヴィアは寂しくなった。




 数日後、オリヴィアは彼をふたたび自宅に招いた。

 彼から聞いた話によれば『鍋物』とは要するに肉と野菜を煮込んだ料理であり、具材よりは食べ方に特徴があるようだ。

 だからわざわざ小さいテーブルを用意させ、ユートの言葉に従ってその中央に鍋を置いた。二人きりの食事を想像するだけで恥ずかしさに身もだえしそうだったが、なんとか耐えて当日を迎えた。


 でも、鍋の中身を見たユートはすぐに食べようとはしなかった。


「……オリヴィア嬢。この鍋は?」


 ユートがおそるおそる尋ねる。

 心なしか声が震えているのは、鍋の中身が高級食材であふれていることに気付いたからだろうか。


「ユート様のお話をもとに『鍋物』を用意いたしましたわ。不死鳥の肉をメインに、世界樹の実や薬草などを入れてみました。寿命が二倍になるというグリーンマッシュルームも取り寄せましたの」


 その他にも、隠し味に賢者の石を粉末にしたものを入れ、鍋つゆには最高級ポーションを使うというこだわりようだ。

 いくつかの食材は少々高価だったが、ユートのためなら安いものだ。


 心なしかユートの瞳が潤んでいる。

 よほど嬉しいのだろう。そんなに喜んでもらえるなら、高級食材を手に入れる苦労も、慣れない料理で手を切り傷だらけにしたことも(すぐにヒーリングで治したが)、すべて報われる。


 さあさあ、とオリヴィアは促し、それでも遠慮して手をつけようとしないユートの器にみずから鍋の中身をよそって差し出した。


「腕によりをかけて、わたくしが作りましたのよ。お口に合うと良いのですけれど」

「……い、いただきます」


 オリヴィアは彼の様子をじっと見つめた。

 ユートはフォークを手に取り、肉の塊を口に入れた。

 最初はおそるおそるといった様子だったが、次第に彼の黒い瞳が見開かれてゆく。


「……んんっ? 美味しい!」

「それは不死鳥の肉ですわ」

「初めて食べましたが、やわらかいし臭みもないですね」


 どうやら好感触の様子だ。

 次にユートは金色の丸い実を口に入れる。


「おお。これはもっちりしていてクセになりそうです」

「それは世界樹の実ですのよ。お気に召したのでしたらまた取り寄せますわ」


 世界樹の実は、百年に一度しかできない貴重なものだ。

 だが、それを保管している商会から金に物を言わせて買い取った。


「こちらの野菜は?」

「それは薬草ですの。臭み消しにもなりますし、色どりも綺麗でしょう? 体にもよろしくってよ」


 オリヴィアは料理長からの受け売りを得意顔で話す。

 体が温まってきたのか、ユートの頬が赤くなってきている。


「いやあ、最初に見たときは汁が鮮やかな緑色をしていたので内心不安でしたが、食べてみると美味しいですね。力がみなぎってくるようです」


 ユートはにこにこと、鍋の汁を一口飲み――次の瞬間、ぐらりと椅子から崩れ落ちた。彼の体はそのまま強く床に打ちつけられ、それっきり動かなくなった。

 手から滑り落ちた食器が床の上で派手に割れ、中身ごと四方に飛び散る。

 穏やかだった食卓は一気に様相を変えた。


「きゃああぁっ、ユート様!?」


 オリヴィアは慌てて駆け寄り、ドレスが汚れるのも構わず彼の名を呼ぶ。

 しかし、ユートは固く目を閉じたまま微動だにしない。


「……ユート様、いやっ、どうして……誰か、誰か来てちょうだい!」


 彼女の泣き叫ぶ声が響いても、どんなに強く体をゆすっても、彼が目を開けることはなかった。




 次にユートが目を覚ましたとき、彼はベッドの上にいた。


「……あれ?」


 不思議そうな彼に、すぐそばで待機していたオリヴィアが声をかける。


「お目覚めですか、ユート様っ!」

「ええ。いったい何が?」

「お食事をなさっている最中に倒れられたのです」

「え? あっ、そういえば……」


 ユートの記憶に、あの鮮やかな緑色をした鍋が浮かび上がる。

 あの汁を飲んだ直後から記憶が途切れている。


「わたくしの手料理のせいで、大変申し訳ございませんでした。医者が言うには毒の類ではないと、むしろ健康状態は良いとのことでしたので様子を見させていただきましたが……お加減はいかがですの?」


 ユートは苦笑いを漏らす。

 倒れた原因はおそらくあの鍋だろう。

 不死鳥の肉、世界樹の実、数種類の薬草。異世界の食べ物に慣れない体でそれらを一気に食すことで、元の世界でいうなら栄養ドリンクを大量に飲んだのと同じような状態になってしまったのだろう。


「体調はむしろ良いくらいですよ。ご心配をおかけしました」

「そう……それなら良かったですわ」


 オリヴィアがほっと胸をなでおろしたとき、血相を変えたメイドが部屋に飛び込んできた。


「お嬢様!」

「ちょっと、ノックくらい……」


 たしなめる声を遮り、メイドは叫ぶ。


「たいへんでございます! 魔王が復活しました!」

「「なんですって!?」」


 ユートとオリヴィアの声が重なる。


「魔王は死んだはずでは?」

「ええ、たしかに討伐したはずです。この目でしかとその最期を見届けました」

「ですが、王城が襲われていると警護の方が……!」


 オリヴィアはカーテンを勢いよく開けた。

 三階の寝室の窓から、ゆらゆらと立ち昇る黒煙が見えた。王城の方角だ。

 ユートは立ち上がりオリヴィアに告げる。


「失礼、すぐに向かいます」

「でも、ユート様はたった今まで寝ていらしたのですよ!?」

「行かなくては。そのための勇者です」


 止める暇もなく、ユートは屋敷を飛び出した。

 オリヴィアは王城の方角を見つめ、ただ彼の無事を祈るばかりだった。




 だが、その日の夜には良い報せと悪い報せが届いた。

 復活しつつあった魔王は今度こそ完全に倒すことができたものの、多大なる犠牲者が出たと。

 そしてその中には、勇者も含まれていたのだという。


「……ユート様」


 もうこの世にはいない想い人の名前を呟き、オリヴィアは静かに涙を流す。

 こんなことになるなら、恥ずかしがらずにもっとたくさん話をすればよかった。

 彼の故郷の話をもっと聞きたかった。

 素直に好きだと言えばよかった。


 窓ガラスの向こうに広がる夜は、彼の瞳に似ている。

 オリヴィアはその闇をいつまでも眺めていた。


 ふと、闇の中に人影がうごめいた。

 不審者だろうか。今日は次から次へといろんなことが起こる。もう疲れた。

 投げやりな気持ちでオリヴィアは人影を見つめる。

 すると、相手はこちらへ近寄ってきて小さく窓を叩いた。


「オリヴィア嬢」


 それは、黒く焦げた鎧を身に着けたユートだった。


「ユート様!?」


 死んだと聞かされていた勇者が屋敷の庭に現れた。

 オリヴィアは必死で窓を開け、手が汚れるのも構わず相手の頬に触れる。


「ああ、ユート様。生きていらしたのですね……!」

「夜分にこのような姿で恐れ入ります。実は折り入ってオリヴィア嬢にお願いしたいことがあって来ました」

「なんでもおっしゃってくださいませ」

「あの料理をもう一度作ってはいただけないでしょうか」 




 ユートがオリヴィアの庭に現れた経緯は、こうだった。

 王城では、復活した魔王と激しい戦いが繰り広げられていた。仲間や城の兵士たちの協力もあり、どうにか魔王を倒したユートだったが、死の間際に魔王が放った業火によりその場にいた者たちは全滅した。

 ところが、気がつくとユートは無傷でその場に横たわっていたのだという。


「おそらくはオリヴィア嬢の手料理のおかげでしょう。あの鍋物のおかげで俺は死の淵から生還できたのです」


 さっそくオリヴィアは金に物を言わせて再度材料を集めさせ、料理をこしらえ、城へ運ばせた。

 鍋の汁を飲ませると、瀕死の者や重症を負った者たちの傷はたちどころにふさがり、それどころか死んだ者さえも蘇った。

 彼らに鍋物を与えるオリヴィアの姿は聖女のように美しく、その姿に惚れたユートから求婚されることになるのだが、それはまた別の話。


 めでたし、めでたし。

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