【時代小説】蜃気楼騒動

お題「夜空」「蜃気楼」「ヤカン」

ジャンル「時代小説」


江戸時代の、海岸付近にある小さな町を舞台とした和風ファンタジー。

「蛤=蜃気楼」「蛤=江戸時代の薬の入れ物」というネタは、歴史に詳しい知人からいただきました。ありがとうございます。

「コミカルな話がいい」とリクエストを受けたため、このようになりました。

――――――


 蜃氣楼


 史記の天官書にいはく、海旁蜃氣は樓台に象ると云々

 蜃とは大蛤なり

 海上に氣をふきて、楼閣城市のかたちをなす

 これを蜃氣楼と名づく

                (今昔百鬼拾遺より)



 ● 〇 ● 〇 ●



 その日、診療所に訪れたのは、大工の辰吉たつきちと下駄職人の玄太郎げんたろうだった。

 派手な喧嘩をしたらしく、そこかしこに青痣やひっかき傷が見えている。

 診察室に座らせてもなお、二人は睨み合っていた。


「だって、コイツがおかしなことを言いやがるから!」

「俺はたしかにこの目で見たって言ってるだろ!」

「じゃあちょうどいい、診療所ここで目薬を出してもらえよ!」

「なんだと! 俺の目はおかしくねぇやい!」


 このままではまた取っ組み合いになりかねない。

 見かねた医者が「まあまあ」と声をかけ、くらくらと沸いた薬缶やかんから湯を注ぎ、生薬の入った茶を二人に出す。

 二人はそれを受け取り口に含んだが、よほど苦かったのか同時に吐き出した。


「ゲホッ……じゅ、寿老先生、これは何の薬なんで?」

 涙目になりながら、辰吉が訪ねる。

 茶を差し出した医者は、白く長いあごひげをでて「ふぉふぉ」と笑った。

 彼はこの海沿いの小さな町にいる唯一の医者で、その容姿が七福神の寿老人に似ていることから「寿老じゅろう先生」の名で親しまれている。


「心を落ち着ける薬じゃ」

「そんなぁ。傷が治る薬をくださいよ」

 辰吉が涙目で訴える。

 医者はそれを無視して、玄太郎に尋ねた。

「して、お前さんは何を見たのかね」

「へえ。それが……」


 玄太郎の話はこうだった。

 早朝、海岸をぶらりと歩いていたら、海の向こうに立派な町が見えたのだという。

 それは江戸や京などではなく、見知らぬ土地の建物だったのだそうだ。


 その話を聞いて、医者はすくと立ち上がった。

「玄太郎、案内を頼む」

「へっ……海岸ですかい?」

「そうじゃ」

「寿老先生! コイツの話は嘘ですぜ。海の上に町が建つわけがねぇ」

「だから、嘘じゃねぇって言ってるだろうが!」


 息巻く辰吉と玄太郎に医者が「お茶をもう一杯どうかの」と声をかけると、二人はぶんぶんと首を横に振った。



 ● 〇 ● 〇 ●



 海岸につくと、玄太郎は遥か遠くの水平線を指さした。

「あのあたりに見えたんでさぁ」

「そうか、そうか。ご苦労じゃったのう」


 医者はあごひげを撫で、玄太郎の示した方角ではなく、足元の砂浜を眺めていた。

 見れば、ふつふつと泡が出ている箇所がある。

 それに気付いた医者は、辰吉と玄太郎に言った。


「そこを掘るのじゃ」

「え?」

「ここを?」


 二人は首を傾げつつ、手で砂を掘った。

 すると、なにやらつるりとした白いものが見える。

 辰吉が叩くと、ぐらりと地面が揺れた。


「わわっ! なんだこりゃ?」

「地面が生きてやがる!」


 医者は満足げに目を細めた。

「それは、しんじゃ。そいつが蜃気楼を出しておる」

「蜃気楼?」

「幻の一種じゃよ。が吐くによってが出現するから『蜃気楼』と呼ばれておる。楼は建物、気はあくびのようなものじゃな。ふぉふぉ」

 あごひげを撫でながら医者が頷く。


「要するに玄太郎が見たのは、この蜃てぇ奴が見せた幻だったってことですかい?」

「まあ、そういうことじゃな」

「それで寿老先生、蜃とはいったい何者なのです?」

「それは、こやつを掘り出せばわかる」


 訳知り顔で頷く医者に、二人は顔を見合わせた。



 ● 〇 ● 〇 ●



 くわを持ち出し、二人はまるで畑仕事でもするかのように砂浜を掘った。

 そして一刻も経つ頃には、ようやく蜃の姿が見えてきた。


「なんでぇ、こいつは」

「やたらと馬鹿でかいな」


 それは、四畳半もの大きさのはまぐりだった。

 しかし、殻の上面が砂の外に出ただけで、まだ貝の半分以上は砂の中だ。

 そこで二人は町の人たちを呼ぶことにした。


 漁師も菓子売りも火消しも、女房や子どもたちも掻き集め、蜃に金具を引っ掻け、そこに綱を結び、総出で引っ張る。

 それに気づいた蜃が砂に潜り込もうとしたが、辰吉と玄太郎がその上で飛び跳ねると目を回しておとなしくなった。


 一方で蜃を引き、一方で鍬を振い砂を掘る。

 その作業を続けるうちに、やがて蜃はすぽんと砂から抜け、その姿をさらした。

 板前が殻をこじあけて鍛冶屋が貝柱を断ち切れば、ぱかりと開いた貝は、その身をうねうねとよじらせるばかりになった。


 その様子に目を細め、医者が呟く。

「蛤は古くから薬として使われており、古事記にも記述があるのじゃ。身はもちろん、身から出る汁、そして貝殻を砕いた粉も薬に使えるのじゃよ。そうそう、貝殻に軟膏を詰めたりもするのう」


 彼は懐から蛤を二つ取り出し、辰吉と玄太郎に手渡した。

「寿老先生、これは?」

「傷薬じゃよ。手のマメに塗るがいい、ふぉふぉ」

「なんでぇ。やっぱり傷薬あるんじゃねぇか」

「もったいぶりやがって。あの苦い茶はもうこりごりだ」


 浜辺には町人たちが集まり、火を焚いている。

 蜃の身は切り分けられ、鍋の具と醤油焼きになった。

 波の音を掻き消すように、賑やかな笑い声が響く。

 辰吉と玄太郎も肩を組んで酒を飲み明かした。

 医者が二人の目の前に薬缶やかんをかざし、「この汁と蜃の身をあわせるとうまいのじゃが、お前さんたちもどうかの?」と尋ねる。

 二人は「いやぁ……」「あっしは遠慮します」などと苦笑いをした。


 そうして彼らは、夜空の下で、いつまでも楽しく酒盛りをした。



 ● 〇 ● 〇 ●



【参考資料】


●Wikipedia 蜃

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%83


●Wikipedia 本朝食鑑

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%A3%9F%E9%91%91


●蜃気楼(しんきろう) - 妖怪うぃき的妖怪図鑑

http://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/03/16/190459


●生薬の玉手箱 【文蛤(ブンゴウ)】 - 株式会社ウチダ和漢薬

https://www.uchidawakanyaku.co.jp/tamatebako/shoyaku_s.html?page=223

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