第15話 絞め殺しの木

 あの角を曲がれば、ハクがつながれている金網が続く道に出る。

 タケルは大きく深呼吸をし負けるものか、と地面を踏みしめて歩いた。

 あかりがちらりと自分を見上げているのが分かったが、タケルは黙って彼女よりも先に出ようと歩を早めた。


 角を曲がるとキラリと光るものが見える。

 あの鎖だ。そして、ハクがいた。


 ハクは赤ん坊くらいに縮んでいた。

 体のバランスが変わったわけではない、頭も手足も同じ比率で小さくなっている。メルヘンチックな小妖精か、小人のようだった。ただし、昔見た絵本のような可愛らしさや愛らしさは微塵もなかったが。


 タケルが二、三メートルまで近づくと、ハクはうっすらと目を開けた。


「……来たか。キヒヒ……」


 タケルはあかりからボストンバッグを受け取り、口を開けると足元に下ろした。

 銀のアクセサリーやフォークがギラリと光った。


「お前を封じる」

「ケッ!! 俺を封じるだって!? できるものかぁっ! なぁ、あかりぃ!」

「なんとでも言えば」


 あかりは見下すように言った。そして、銀鎖のネックレスを取り出した。

 タケルはゴクリと唾を飲むが、内心の動揺を押し隠してあかりから鎖をするりと奪った。

 心臓が口から飛び出してきそうだ。だが、女の子にやらせるわけにはいかない。

 するとあかりが小さく微笑んだので、勇気を貰えたような気がした。


 恐ろしい目つきでにらみつけてくるハクと目を合わせないように、一気に鎖を妖魔の腰にぐるぐると巻きつけた。

 悲鳴を上げ暴れるハクを抑えつけて、急いで何重にも巻く。と言っても、すでに弱りきっているハクの抵抗は、頭をふることぐらいであったが。


「早く、もっとたくさん巻つけて!」

「ああ」


 もうもうと白煙が上がり、ハクはグアァと悲鳴を上げる。

 更にもう一本、あかりが銀鎖を取り出しタケルに手渡す。その鎖をハクに見せつけて、意を決っする。


「なあ、瀧本の寿命を返せよ……なんか方法あるんじゃないのか」

「……んあぁ? バ、バカだろお前……そ、そっちから取引、もちかける気か……」

「返せよ」


 銀鎖をピシンピシンと緩めては伸ばして音を立てる。そのタケルの手をあかりがそっと押しとどめる。


「神埼くんダメよ。取引なんて通用しないの。さあ、早く……」


 あかりはタケルの手から銀鎖を取り戻し、自分でさっとハクを拘束した。

 本当にそれでいいのかと、不安になるタケルにはお構いなしだった。

 タケルは耳障りな絶叫に顔を歪め、そしてあかりの自分の命に対する無頓着さに理解ができないとため息をついた。


 がんじがらめにされたハクは白眼を剥いて動かなくなった。

 タケルとあかりはうなずきあった。

 胸の中にしこりが残るが、取り敢えずここまでは成功だ。後はあかりの家の祠に閉じ込めればいい。できるだけ多くの銀製品を詰め込んで、厳重に鍵をかけてやるのだ。

 ホッと安堵の息を吐き、微笑みあった。

 



 と、突然かすかな腐臭がした。

 二人は跳ね上がるように同時に振り返った。

 男がいた。

 一昨日、駅前のアーケードで遭遇したあのイカレた男だった。どこを見ているのかわからないうつろな目で、男はふらふらと歩いてくる。ぶつぶつと何かつぶやいていた。


「なんで、ここに……?」


 タケルの胸に、不安が急速に広がっていく。


「神崎くん。……一度悪夢や悪果を食べた人間の行動をある程度操ることができるって、トキが言ってたわね」


 あかりの声が震えていた。


 そうか、操られていたのかと、今になって理解した。

 タケルが昨日、何故かこの場所に来てしまったのはそういうことだったのだ。人に助けを求められないように、ハクが人けのない場所に誘導していたのだ。そしてこの男をここに導いているのも、ハクなのだ。

 男は二人が全く目に入っていないようで、まっすぐに前を向いたまま通り過ぎていく。


「ああ、わかってるわかってる。いまからやるからやるよやるよやるって。やる。やるさわかっているやってやる。……殺ッテヤルヨ」


 男のつぶやきが聞こえた。

 なんだ? 何が起ころうとしているんだ。

 不穏な男の言葉に、タケルはツツとあかりの前にでる。胸の中がざわついているが、男から彼女を少しでも遠ざけたかった。


「神崎くん。よく見て」


 あかりがタケルの背中にしがみつくようにしてつぶやく。手が微かに震えていた。

 タケルは、夢中で男の横顔を見つめた。

 男の口から、ずるずると蔓草のようなものが何本も蠢きながら伸び出している。耳からも、鼻から、目からさえも。体は、びっしりと根に巻きつかれ、ギリギリと締め付けられているようだった。


 おぞましい姿に成長した木が枝葉を広げ、大きな紫色の果実をいくつもつけていた。それが腐臭を放っていたのだ。男の一足ごとに、根は巻き付きを強くし太くなっていく。どんどんと男の心のエネルギーを吸い取り、成長しているように見えた。


「……まるで、絞め殺しの木ね」


 あかりのつぶやきも震えていた。

 イチジク属の植物の中には、宿主の木に巻き付いて成長ゆくものがある。そしてついには宿主を絞め殺してしまうことがあるのだ。男の木はそれを連想させた。

 イカれた男はそのまま、どんどん歩いていってしまった。


 二人の背後でハクが小さく笑った。薄目を開け、息も絶え絶えに笑っていた。


「……キヒ。あ、あの男は、妄想の中で生きてる……もう、戻れやしない。へっへ……自分を認めない世の中が狂ってるんだと信じこみ、恨んでるのさ。……ヒヒ」


 ハクは乱れる息を振り絞って、二人を煽るように言葉を投げつける。

 あの男を使って何かとしようとしている。あの男は、ハクの獲物なのだ。


「なにを企んでるんだ!」

「あ、あいつは、復讐、しにいく、のさ。この世、の全てに……」


 ハクは言葉をぶつ切りにしてしゃべる。苦しさ故だろうが、挑発の響きも感じさせていた。妖魔の目は生気を失ってはいなかった。


「言いなさい。何をする気なの?」

「俺には、何もできやしないさ。……お前らに、こ、んなにされて、しまったから、なぁ、あかりぃ」

「言いなさい!」


 あかりが怒鳴った。昨日の冷静さが消えている。

 掴みかかりそうな勢いの彼女を、タケルは腕を掴んで引き止めた。


「フフ……散歩がてらに、人を殺しに行くのさ。誰だもいい。殺せるだけ、殺す。あいつは包丁を三本持っている。……どこに行くのかな。向こうは何があったっけ……? 大勢、人がいるのかな? ヒヒヒ」


 ハクは男が歩み去った方向に小さく顎をふった。

 それはタケル達が歩いてきた方向で、更にその先には駅がある。

 あのアーケード?! そこで人を殺すと言うのか?


「通り魔殺人、無差別殺人、大量殺人……なんて呼ばれるのかなぁ? ああ、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。辺り一面の血の海だ」


 ハクは歌うように言った。


「お前がやらせているんだろう!?」

「いや、ちょっと違うね。アイツの妄想を後押ししただけさ……さあ、どうする? このままヤツを行かせるのか?」


 行かせられる訳がない。行かせれば、本当に地獄絵図が描かれてしまうだろう。ハクの言葉は誇張ではないと、あの男を見れば嫌でも分かった。

 だが、あの男をどうやって止めればいい?

 あの尋常ではない男に説得など無意味だろう。警察を呼ぶか……だが事件が起きる前に来てくれるだろうか。理由など話しても信じてはもらえまい。そして起きてからでは遅すぎる。

 では、とにかく力づく取り押さえるしかないのか。

 刃物を持った相手を? いや、返り討ちにあうだけだろう……。

 タケルは男が去った方を凝視して歯噛みした。

 ハクが、ニタニタと笑う。


「俺が、止めてやろうか?」



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