第13話 狩るもの

 深夜。

 そこは街灯が極端に少ない暗い道で、人は殆ど通らない。

 放置された広い土地を囲む金網に、乱雑に結びつけられた鎖が、月に照らされて輝いていた。鎖には銀製のアクセサリー、フォークやナイフがいくつも付けてあり、それが冷たい月光を受けて白く光る様子は、呪術めいて奇異だった。

 そして、鎖がかすかに揺れる。

 常人の目に映るのはそこまでだ。


 だが見える者には、この光景の中に尋常ではないものを見つけられるはずだ。そこには人ならざるモノが拘束されているのだ。

 それは鎖で金網に縫い付けられ、身体に銀が触れている部分から微かな白煙を上げている。

 拘束されているのは、人の形をしていながらも決して人ではないモノ。

 人間の悪夢、そして心に実る悪果を喰らう魔物、ハクだ。


 ギリギリと歯を鳴らし、喘ぎながら震える指で鎖を握る。

 しかし、やっとのことで握っただけだった。外すことは決してできなかった。

 ハクの体はタケルとあかりが立ち去った時よりも、更に小さくなっている。ようやく歩き始めた幼児ほどの大きさだった。


「あかりめ……!!」


 ハクは、苦しげに空を仰ぎ見る。

 雲ひとつなく、月が煌々と輝いている。正円に少し満たない形の月を見つめ、ハクの唇の端が釣り上がった。明後日は満月だ。

 苦しさに喘ぎながらも、くっくと喉の奥で小さく笑った。自分の魔力が最大に高まるのは満月の光を浴びた時だ。それまで耐えさえすれば、こんな鎖など引きちぎれるはずだと、唇を歪めて笑うのだった。


「あのクソガキ……」


 どんな恐怖を与えてやろうかと、舌なめずりしヒヒッと声を上げた。復讐せずにはいられない。しかし、その笑いはすぐに消えた。

 見上げた月が、空が、突然と一変していたのだ。

 空の色が変わったのでも、月の大きさが変わったのでもない。しかし、何かがおかしい。空はぺったりとした一枚の絵のようになり、現実味を失っていたのだ。

 ハクの赤い瞳が小刻みに揺れた。そして、まさかと呟く。


 不意に、空にクシャリとシワが入った。

 ハクの頬が引きつる。誰かが、向こう側・ ・ ・ ・で紙を軽く握ったような、そんなシワがクシャクシャと広がっていった。

 そしてぷつりと月に穴が開いた。千枚通しで貫いたような小さな穴、それが黒い点のように見えていた。


 異様な光景にハクの頬が引きつり、鼓動が激しくなっていた。

 つい先ほどまで、タケルに恐怖に突き落としてやろうと考えていたというのに、今やハク自身が恐怖の虜になっていた。

 月に開いた穴が広がっていく。ピリピリと薄紙を破く音を立てて、穴が裂けていく。


「……やめろ……やめろ。く、来るなよ……来るなって……」


 掠れた呟きよりも、暴れまわる鼓動の方が大きのでは思われた。

 月にできた裂けめを睨みながら、ハクは震えていた。


 来るなという願いとは裏腹に、破けた月から黒い影が顔を出した。

 向こう側からやってきた真っ黒な影。小さな点のようにしか見えないが、そいつは確実に自分を見ているのだと、ハクは慄いていた。

 ゾロリと、影が這い出した。

 と同時に何かが砕ける乾いた音がいくつも響いた。しわくちゃになった絵の様な空が散りぢりに破れ落ち消えてゆく。全て剥がれた後には、通常の夜空が戻っていたが、辺りには恐ろしい程の緊張感が満ちていた。

 影がどんどんと大きくなってくる。月を背に、それは降下していた。

 逃れようとハクは懸命にもがくが、鎖が首に食い込んだだけだ。


「くそ! くそ! くそ…………」


 なおも降下して来る。その形が、徐々にはっきりとしてくると、急に降下速度を上げて迫ってきた。

 ハクは歯をむき出し、目を見開いて唸り声を上げた。


「く、来るなぁぁ!」


 天空から舞い降りてきたのはは、時代がかった黒いドレスを来た少女だった。アンティークを模したというより、そのものといったドレスの裾がサワサワと揺れている。ゆるい巻き毛の暗い金髪、陶磁器のような白い肌、ビスクドールさながらといった少女だった。

 いや、少女の姿をした何か、だ。三対の翼が彼女の背を飾っているのだがら。

 それはハクの頭上一メートルほどの位置で停止した。

 少女の目は固く閉じられていたが、全てを見通しているのかもしれない。


「美味そうな匂いをまき散らしていると思ったら……。お前、夢喰いだな……」


 地の底から響くような冷たい声だった。少女とは思えない重く低い声は、どこか機械じみた音を含んでいる。

 少女が確かめるように息を吸い込むと、ハクから立ち上る白煙が小さな鼻腔に吸い込まれていった。彼女は少しかさついた唇を、チロリと舐めた。

 ハクは、少女をキリキリと睨みつけている。

 が、少女がさらに降下すると、ヒッと声を上げ、怯えをあらわにした。


「やめろ……。くるな!」


 少女は無表情で、静かに言う。


「お前の前に立つのは、これが最初で最後だ」

「い、嫌だ! ま、待ってくれ! 頼む、頼むから!」


 すぐ目の前に少女が降り立つと、ハクは金切り声をあげた。

 少女は一切の感情を持たぬかのように、冷徹な表情のままだ。恐怖に固まるハクの首に巻かれた銀の鎖を、指でチャラリと鳴らした。


「あ、あ、あんたも狩人なら、自分の力で獲物を狩れよ。その方が美味いだろ。こんな弱ってるの喰ったって仕方ないだろう」

「楽に手に入るならそれにこしたことはない。……だが、より美味いものを食べたい、狩りを楽しみたいという気持ちもある。 お前をそこから解放して、今から狩りをはじめようか」

「い、いや、待ってくれ!」


 懸命に命乞いをするハクだったが、最後の台詞には心底震えあがっていた。よそをあたれと言ったつもりだったのに、結局自分はターゲットから外してもらえなかった。鎖を解かれても、今の自分にはこの少女から逃げ切る力は残ってはいないだろう。命運尽きたかと、ハクは唇を噛む。


「やり残したことがあるんだ。それが済むまで待ってくれ。後生だから」

「何をしたい」

「…………復讐だ。俺を磔にした人間に復讐するんだ……」

「餌に出し抜かれては、黙ってはおれぬか」


 少女の問いに、ハクはカクカクと頷く。

 すると少女が初めて表情を緩めた。軽く唇が弧を描いている。


「いいだろう。人間に、霊的上位者の意地と力の差を見せつけやれ。捕食者への恐怖をしっかり味あわせてやればいい。お前が味わう恐怖を上乗せにしてな。明後日は満月だ。それがお前が見る、最後の満月になる」

「ああ……」

「月がのぼりきるまでだ。そして忘れるな。お前にも私という捕食者がいるということを」


 ニタリと笑うと、少女の姿は霞のように消えてしまった。






 同時刻、二体の人ならざる者達から遠く離れた小さなマンションで異変が起きようとしていた。

 マンションの廊下を小柄な人影が歩いてゆく。まだ子どものようだ。

 その人影がふと立ち止まり、廊下の手すりから大きく身を乗り出した。しばらくそのまま動かず、下を眺めている。植え込みや駐車スペースがあるぐらいで、特に変わった物は無いし誰もいない。わざわざ深夜に起きだしてまで見るべきものなどは何もなかった。

 人影が吹い不意に動き出した。ふらふらと手すりを乗り越え、頭から墜落してゆく。

 大きな音がマンションの壁に反響して、暗い地面に真っ赤な花が咲いた。






 少年が、ベランダで外を眺めていた。

 高層マンションの上層階に位置する部屋だった。眼下に街の光が星のように輝いて見える。

 空に星は見えなくても、ここから見下ろせばすべての星を自分のものにできる、そう錯覚しそうになる美しい夜景だった。

 心地良い風が吹いている。


 いや、錯覚ではない。この風景は自分のものだ。

 少年は、満足そうに笑った。


 突然少年の視界を、黒いものが遮った。大きな人影が少年の前に現れたのだ。

 両手を大きく広げたその影は、皮膜のような翼を持っていた。

 少年はその影を見上げ、悠然と笑う。


「ありがとう。お疲れさま」


 月光が黒い影の主を照らし出した。

 全身黒ずくめの、青年だった。高くすっきりと通った鼻筋、柔和な口元、緩やかにウエーブした髪。

 青年は優しげな目を細め、少年に向かって天使のように微笑んだ。


「君に出会えて本当に良かったよ。この世界がこんなに楽しくなるなんてね、思ってもみなかった」

「それは僕の方こそだよ。これまでで一番楽しい気分なんだ。あとは仕上げだけだしね。……でね、一つ気になることがあるんだ。もう少しだけ力を貸してくれるよね?」


 青年は少年の頼み事に、しっかりと頷いた。

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