#3

 鴻巣亜弓は読書が好きなただの女子高校生の二年生である。

彼女は河川敷の傾斜に座って、瞬きをしたらいつの間にかこの巨大な図書館にいた。鴻巣は自分の状況を把握しきれず困惑していたが、やがて立ち上がり本棚を眺めていく。そこには古今東西の様々な書物が収められており、知っている著者の見たことも聞いたこともない本すらある。


「おかしいな、私、この人の定本全集持ってるんだけど、こんなタイトルの作品なんて収められていなかったぞ。最近発見されたものなのかな?それにしても本の状態が古いけれど。」


 周りを見渡すとアムステルダム国立美術館図書室をそのまま広くしたような立派な図書館で、自分以外の他には誰も居らずがらんとしていた。

人の姿もなく心細く感じたが大きな声で呼びかけるのは、図書館故に憚られた。


「記憶が飛んでいるのかな、小寿と別れたあとにひとりで図書館に来たとか。それにしたって、こんな図書館、東京にあったかしら。」


 本来ならば出口を探そうものだが、彼女は抗いがたい好奇心と、やはり本を読みたいという欲求に逆らえず、好きな作家の数冊の本を手に取ると、席に腰掛けて紐解いていく。


* * *


 小寿は図書館を端まで見て回ったが悪夢らしき物を発見できなかった。ノルベルトによる探知では、確かにこの周辺で検知していたのだが、どこに行っても一定の反応があるだけだ。


「おかしい、何処に行っても反応が変わらない。近くにいるはずなのに姿が見えないのも気になる。」


「ケケケ、対象が我々と一定の距離を保って移動している可能性があるな。」


「と、なるとターゲットは私たちを既に観測しているのかもしれない。」


 改めて周囲を見回す。一階の自分らをずっと監視していられるとしたら、この階ではなく、階上にいる筈だ。小寿は頭上を見上げながら歩く。図書館はひんやりとしていて、少し肌寒い。館内はとても静かで、コツコツという自分が歩く足音だけが寒々しく響く。ノルベルトは小寿の近くを飛びなら離れず付いてくる。


「鴻巣さんは何処にいるのだろう。一応安全の確認もしたい。こちらに気付かれず見つけられると良いのだけれども。ノルベルト、重力操作。」


 小寿がそう言うとノルベルトは仄かに光り、彼女の周りの重力を変化させた。小寿は跳躍すると月面の人のように緩やかに弧を描きながら飛び、二階、三階と上がっていく。


 最上階である四階まで到達すると、視界の端に人影が見える。素早く武器を構えてそちらを向くと、球体関節人形が一体あった。手足があべこべに生えており、その根本の位置も左右でずれていて気味が悪い。そして奇妙に首の曲がった顔はじっとこちらを見ていた。


「ハンス・ベルメールの人形みたいで嫌いじゃないですね。」


 小寿がグラディーヴァを手元でくるりと回すと、杖は直ちに槍に変形した。一気に距離を詰めての槍の一突き。しかしその一撃は人形の足のような右腕によって攻撃の軌道を逸らされる。すると槍は衝撃派を伴い、人形の背後にある本棚をえぐり、粉砕した。


 人形は足のような左手を軸にイソギンチャクのように手足を広げる。手のような足の二連撃がまるでナイフのような鋭さで迫るが、小寿はそれを紙一重で躱す。人形はその勢いのまま回転し、続いて間髪入れずに右手の攻撃が来る。小寿はグラディーヴァで弾くと後ろに飛び距離を取った。


「くっ、動きの軌道が読みづらくて厄介。」


 人形は足で立ち上がると、左腕の関節を外して飛ばしてくる。中にはワイヤーのようなものが仕込まれており、不意を突かれた小寿に絡まり捉えたが、グラディーヴァは太刀に変形するとそのワイヤーを細切れに切断する。


「ノルベルト、時間加速」


「了解。」


 小寿は目にも留まらぬ疾さで人形へ再び距離を詰めると右腕を切断する。距離を取ろうとした人形だが、小寿はその動きに合わせて離れないように移動する。刹那、彼女の太刀は人形を十文字に斬り裂く。人形は完全に活動を停止し、そのまま動かなくなった。


「よし、これで終わりましたね。すぐに夢世界の崩壊が始まるはず。」


「ケケケ、楽な仕事だったな、小寿。」


 しかし、暫く待っても夢世界はそのままに残り続け、巨大な図書館は水上を疾駆し続けている。訝しんだ小寿がノルベルトの探知を確認すると、未だに一定の距離を保ち反応が残り続けている。


「今のは悪夢ではない?だがあれは明らかな悪意を持ってこちらを襲ってきた。悪夢が複数いるのか、それともあれとは別に本物が存在するのか。」


「ケケ、反応が一定距離を保ち続けているのも気持ちが悪いな。」


 小寿は拳に顎を乗せて考えるように歩き回る。静かな館内に響き渡るまるで閉め忘れた蛇口から滴り落ちる水滴のような忙しない靴音が、彼女の焦りを表しているようであった。


「一定の距離、歩き回っても変わらない。監視している存在は見当たらない。」


 小寿がピタリと立ち止まる。


「!!もしかして反応が一定なのは、悪夢が巨大だから?」


「可能性はあるな。この図書館と同等の大きさを持っている悪夢。有り得る話だ。」


「しかし外にもそれらしきものは見えなかった。ということは地下!」


 小寿は急いで階下に飛び降りると、地下への通路を探して歩き回る。すると、本棚が一つ不自然にずれて置かれている。小寿はノルベルトの能力で外骨格的な補助エネルギーの助けにより本棚を軽々と移動させると、果たして大きな階段が現れた。


「やはり、地下がある!」


 地下は薄暗く、じめじめしている。ノルベルトの明かりと、グラディーヴァのランタンで周囲を照らすと、そこはだだっ広いだけの空間であった。


「あれは!」


 小寿の視線の先には巨大な象のような生き物が、鼻の先から先程の人形を吐き出していた。辺りには人形が数多く転がっており、暗闇の中それらが一斉に小寿を見た。


「これは、気合を入れないと危なそう。」


 人形たちが一斉に襲いかかる、グラディーヴァは杖から弓へと変形し、強力なエネルギーの矢を射出する。数体の人形を粉々に吹き飛ばし、距離を詰められる前に数を減らす。そして接近してきた人形を大鎚で粉砕しながら前進する。


 恐らくはあの巨大な象が悪夢であり夢の核であろう。小寿は襲い来る人形を撃退しながら徐々に距離を詰めていく。しかし、その人形の量は想像以上に多く、激しい攻撃を避けながら進むのは非常に困難だった。

 小寿は軽快な身のこなしで確実に人形を破壊するが、象は一定間隔で人形を生み続けている。数を減らし続けることはできても、全てを処理し切ることは難しそうだ。


「では、一気に行きます。」


 グラディーヴァを振りかぶると、それは大鎌へと姿を変える。そこに襲いかかる大量の人形たち。小寿が体を回転させると、大鎌は勢い良く周囲の人形を両断する。そして、その軌道上に大きく破壊的な衝撃が発生し、広範囲に渡る人形が粉微塵に吹き飛んだ。鎌は槍へと変化し、その回転の勢いのまま強烈な突きを放つ。槍の先にあるものは、衝撃波により消滅し、それは象の眼前の人形まで一息に破壊せしめた。


 槍の破壊の軌跡により象への一直線の道が切り拓かれた。小寿はこの隙を逃さず、ノルベルトによる加速で素早く前進する。象が人形を吐き出しながらその鼻をムチのようにしならせて攻撃を繰り出すが、彼女は体勢低くその下を走り抜け、太刀に変化させたグラディーヴァで鼻を切り落とす。


「グォオオオッ!」


 象のような生物は痛みで叫び声をあげる。その声は非常に低く大きく、小寿は体が振動で体が震えるのを感じた。その振動で人形たちが次々と壊れていく。小寿はノルベルトの機能により、衝撃を軽減しダメージを受けずに済んだが、もしノルベルトがなかったら、この大きな叫び声で内臓が破裂していただろう。


「ケケケ、感謝するんだな、小寿。」


「うん、ありがとう、ノルベルト。」


 槍を構え跳躍する。


「これで、おしまい!」


 グラディーヴァが光り輝く。槍は象の頭に深々と刺さると、エネルギーの奔流となり象を飲み込む。象の巨大な肉体は光の中で崩れ去り、完全に消滅した。

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