#2

 山入端小寿は夢の請負人である。

夢の請負人とは何か。

その役目とは夢に捉えられた人々を開放する夢の壊し屋である。

甘い夢もつらい夢も、優しい夢も怖い夢も、等しく彼女によって破壊される。


「おはよう、山入端さん!今日の小テスト嫌だねえ。」


「おはようございます。あ、なんてこった、忘れていました。勉強していない。」


「またまた~、そう言って良い点取っちゃうのが山入端さんじゃない!」


 夢の請負人ではないときの彼女は東京の学校に通う普通の高校二年生。

少し浮世離れしていて近寄り難い雰囲気を出してはいるが、友達がいないわけではなく、ちょっとした不思議ちゃんとして愛されているようだ。

小寿もまた学校やクラスメートが好きだし、学校に通うことを大事にしている。


「それじゃあテストを始めますよ。」


 窓際の席、秋の香りのする午前中。答案用紙に記入を終えると、小寿は窓の外を眺めた。誰もいない校庭と、少しずつ色を落とし始める木々が、授業中の静けさを強調する。この時間が愛おしい。

彼女は頬杖をつくと微笑む。


 昼休み、友人の鴻巣が小さく手を振りながら弁当を持って席に来た。

小寿はにこやかに歓迎すると鴻巣が座りやすいように机を動かす。


「いや~、テストやばかったなぁ。小寿はどうだった?」


「多分、そこそこできました。」


「流石だなぁ。私は自己採点ができないくらいだった。赤点はないと思いたい。」


「鴻巣さんならきっと大丈夫。あ、そうだ、借りてたモーリス・ブランショ小説選、お返しする。謎の男トマが面白かった。」


 小寿は鞄からビニール袋に包んだ赤いハードカバー本を取り出すと、それを鴻巣に渡した。鴻巣はそんなに丁寧に扱わなくていいのに、と笑いつつそれを受け取る。


「相変わらず読むの早いねえ。私も小寿が貸してくれたアントニオ・タブッキ読み終わったよ。今日は持ってきてないから明日持ってくるわ。」


「急がなくていい。覚えてたらで大丈夫。」


「うん、メモったから覚えた。」


 そう言うとスマートフォンのToDo画面を見せて、にへへという茶目っ気たっぷりに鴻巣が笑う。その顔がかわいらしくて小寿は嬉しくなる。


「そう言えば小寿って一人暮らしよね?いいなぁ。私も早く一人暮らししたい。」


「掃除や洗濯、ご飯の用意も大変だし、朝起きるのもいつも起きれないんじゃないかって思ってひやひやしてる。一人暮らし、あんまり好きじゃないかも。」


「あー、朝は私もお母さんに起こしてもらうこと多いわ。

そう考えると朝怖いわね。」


 チャイムが鳴り学校が終わる。部活動に加わっていない小寿は教室を出て、上履きをローファーに履き替える。すると鴻巣も現れて一緒に帰ることになった。


 草木が黄色く彩る河川敷、二人は並んで歩く。比較的背の高い鴻巣と小さな小寿が並ぶとまるで姉妹のようだ。屋台でジェラートを買うと斜面に横並びに座る。暑くもなく、寒くもない非常に過ごしやすい秋晴れの日、陸上部が彼女らの後ろを走っていく。小寿はジェラートの甘さに頬へ手を当てて喜ぶ。


「来年もう受験だね~、小寿は進路決めてる?」


「あ、まだ決めていません。鴻巣さんは文学系ですか?」


「多分ね~。でも働きたくもあるんだよなぁ。悩ましいぜ。」


「働く、やりたい仕事があるんですか?」


「いや、そうじゃないんだけどね、早く自立したいんだ。親の金で生きてるっていう状況から抜け出して自分ひとりの力で生きたいというか。」


「それで一人暮らしの話を。なるほど。鴻巣さんはしっかりしているからお金さえあればすぐにひとりで生きていける強さがありそうですよね。私はぼうっとしているところがあるので、あなたのそのビッとしたところは憧れる。」


 小寿はまっすぐと鴻巣を見つめながら言うと、鴻巣は恥ずかしそうに目を逸らす。


「多分人への語気が強めなだけでそこまでビッとしてないと思うな~。」


「そんなことないですよ、鴻巣さんの物怖じせず歯に衣着せぬ忌憚ない意見はいつも正鵠を射てますし、クラスの人達も非常に頼りにしている。」


「あはは、そりゃ嬉しいな。いや~、小寿ちゃんを前にするとつい日和っちゃうね。弱音を吐くというか。甘えてしまっているのかも知れない。」


「どんと来いです。いつでも甘えてください!」


「小寿ちゃんも私に甘えてくれよな!」


「もちろん!ベロベロに甘えます!」


 そう言って二人で笑い合う。小寿は視線を前に戻し川の流れを眺める。緩やかに流れる水と微かなせせらぎで、のんびりと過ぎて行く時間を味わう。


「鴻巣さん、東京の学校に来て、右も左もわからず孤独で寂しかった私の友達になってくれてありがとうございます。」


 そう言って鴻巣に向き直って笑顔を見せる。


「鴻巣さん?」


 しかしそこに鴻巣の姿はない。立ち上がった気配もなく、ましてや何処かに行ったなんてことはなかった。小寿は嫌な予感がして心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「まさか……。」


 スマートフォンを急いで取り出すとコールする。焦る気持ちで待ち時間がとても長く感じる。暫く呼び出し音が鳴った後、紋田が電話に出た。


「お、小寿ちゃん。どした~?」


「あの、落夢の反応はありませんか!?」


 小寿の焦りを察した紋田は素早くキーボードを叩き、F.Y.D.ファイドシステムによる近辺の影響を観測する。一件だけ強い作用反応が発見された。落夢だ。


「あったわ!小寿ちゃんの学校の近く、川沿いで一件発生してる!」


 小寿は険しい顔で立ち上がり、ノルベルトを素早く鞄から取り出すと地面に置く。


「やはり、友人が目の前で消えました。すぐに潜ります!

夢世界座標をノルベルトに転送してください!」


「判ったわ!検知中。えーっと……、何処だ~……?あった、ノルベルトに送信完了!……気を付けてね、小寿ちゃん。」


「はい……!ありがとうございます!起きて、ノルベルト!」


 ノルベルトのディスプレイにドット絵の顔が出現する。


「ケケケ、随分と切羽つまってるようだな。どうした?今すぐ飛ぶのか?」


 小寿は強く頷くと、答える。


「うん!お願い!」


「了解、夢世界固有ナンバー確認、照合。誤差修正、許容範囲内に調整完了、全システム正常、F.Y.D.介入システム起動。介入成功。夢世界へ飛びます。」


 その瞬間、鞄も、河川敷も水しぶきとなって飛び散る。空中で制止する水滴、それが少しの間を置いて小寿の背後へと流れるように動き始める。走る水しぶきは虹を掛けて、少しずつ明瞭になる視界を彩る。


 そこは海を疾走する大きな建物だった。長方形のその建物は屋上はガラス張りになっており、中の様子が見える。疾駆する大きな図書館。これが鴻巣の夢世界だ。


「く、建物の移動速度が速すぎて振り落とされそう。いきなり手荒になってしまいますが、仕方がありません。グラディーヴァ!」


 小寿がその名を叫ぶと、先端にランタンの付いた美しい装飾の身の丈ほどもある杖が何もない空間から姿を表した。それを大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろす。強烈な衝撃派が発生し、大きな音をたててガラスが割れる。そして建物の中へ侵入し、真下の吹き抜けを飛び降りる。勢いよく落下しながら一階まで到達しようとする瞬間、小寿の周りの重力が変化し、落下速度は減少してゆっくりと地面に着地した。


 広々とした空間に均一の距離に置かれた本棚。館内の見通しは良く、中に入れば、外観ほど広大ではなかった。バベルの図書館のような果てしない代物ではなくて良かったと小寿は安堵する。


「さて、鴻巣さんに会わずに夢の核を破壊できるのが理想……。

私が人の夢でこんなことをしているなんて、あまり知られたくない。」


「そうだな、ケケ、夢世界の小寿を見たら腰を抜かしてしまうだろう。」


「学校とこの仕事は切り分けて置きたい。日常と非日常として。

高校生活は私の憩いです。それを乱されるわけにはいかない。」


「悪夢の反応が近い。鴻巣と接触する前に発見して破壊するぞ。」

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