少女は人類の為に夢を破壊することにした

柚木呂高

#1

 顔だけで5メートル程もある巨大な蛇のようなものが女性を睨め付ける。

周囲には死体の山が築かれ、建物は無残にも崩れている。まるで世界の終わりだ。

女性は恐怖の余り立ち上がれなくなり、ただただ目に涙を湛えて命乞いをする。


「助けて、助けてください。し、死にたくない……。」


 蛇はまるで嗤うように舌をちろりと出すと、女性めがけて大きく口を開けて突進する。女性はもはや観念して目を強く瞑った。

だがその瞬間、蛇は下顎を吹き飛ばされて廃墟に激突する。

女性が恐る恐る目を開けると、眼前に槍を持った少女が百合薊ユリアザミのように凛と立っている。


「ケケケ、わかりやすい悪夢の姿で良かったな小寿。」


「そうだね、ノルベルト。」


 小寿と呼ばれた少女は女性の方に振り向き、ニコリと微笑みかける。

背丈は155センチ程度だろうか、フワフワのパーマがかかった栗色の髪の毛、くりくりと丸くて大きい瞳、透き通るように白い肌で高校の制服を着たかわいらしい少女。


「もう大丈夫、悪い夢は覚めます。」


「キャアッ!気を付けて!後ろ!」


 顎をなくした蛇が激昂して突進してくる。

小寿は振り向くと槍をくるりと回して石突を跳ね上げる。

すると石突は姿を変えて大槌となり、蛇を殴打し大きく跳ね上げた。

その威力は凄まじく、振り上げた反動で地面がえぐれ、蛇は胴体ごと空中に投げ出される。


「ノルベルト、重力操作。」


「了解。」


 ノルベルトと呼ばれた円柱型の機械が仄かな光を放ち、小寿を包み込む。

すると彼女は人間とは思えない跳躍力で空高く舞う。

そして跳ね上げられて空中で踊る蛇の頭上まで到達すると彼女は叫んだ。


「グラディーヴァ!!」


 その声に呼応して大槌は大鎌へと姿を変える。

鎌の刃は蛇の鼻先から頭を斬り裂く。

だが蛇は尚も怒りの形相で小寿を睨み付けている。


「ふっ!」


 大鎌となったグラディーヴァをコンタクトマテリアルの要領で回転させながら、重力操作による加速落下に任せて大蛇の頭から尻尾まで駆け抜ける。

それを追いかけるように蛇が振り向き、襲いかかろうとするが、蛇の視界は十字に裂ける。地面に到達し、背後を向ける小寿が、鎌の石突で地面を叩く。

その瞬間、蛇の肉体は頭から尾まで賽の目となってバラバラに分解された。


 女性はその光景をただ唖然として見守ることしかできなかった。

小寿は女性に近付くと手を伸ばして立ち上がらせる。


「あ、あなたは?」


「私は山入端小寿やまのはこじゅ。夢の請負人です。」


 すると周囲の死体や廃墟が水しぶきとなって飛び散る。

水滴は陽の光を浴びてキラキラと輝き、女性の驚く顔を写す。

水の向こう側で小寿は再び微笑むと、彼女に背を向けて歩いて行く。


「待って!」


 そう言って女性が手を伸ばすとそこは自分の部屋だった。

カーテンが締まり部屋は薄暗く、雨音と時計が時間を刻む音だけが聞こえる。

ざあざあという幽かな音に緊張が解けていく。


「夢?」


* * *


「おかえり小寿ちゃん。大丈夫だった?」


 小寿が部屋に入ると大きな6枚のディスプレイを前にキーボードを叩いていた女性が、座っている椅子をくるりと回して小寿に言う。アッシュにしたマニッシュショートにピアスだらけの耳、首筋にボディピアスを付けた出で立ちの20代なかば程の女性で、痩せてはいるが程よく筋肉で引き締まった体つきをしている。


「はい、紋田もんださん。問題ない。悪夢を倒して夢の核を破壊した。対象の夢世界は消滅を確認している。」


「うん、それは良かったけど、小寿ちゃんは無事かなって。」


「ありがとうございます。見ての通りピンピンしています。」


「そっか、なら安心した!」


「お、山入端さん戻ってきたんだね。」


 そう言って部屋に入ってきたのは、真ん中分けのセミロングの髪に眼鏡という姿の30代手前の男性。彼はハンバーガーを食べながらそれをスプライトで胃に流し込んでいる。


「はい、加賀野井かがのいさん。今さっき終えて戻ってきました。くたくたです。」


「じゃあノルベルトのメンテナンスをしておこうか、貸してごらん。」


 小寿は抱えていた全面がディスプレイになっている円柱型のガジェットを加賀野井に渡す。彼はそれをテーブルに置くと、下部から中身を引き出して点検を始める。


「しかし、最近増えてきたわね。」


「そうだね、ここ一週間で二件も発生している。山入端さんも大変だろう。」


「大丈夫、私は元気な子なので。でも夢世界が増えるのは喜ばしくない。」


 小寿は深刻そうに俯くと、悔しそうに胸元で手を強く握る。


「そうね。予防ができれば良いのだけれど、落夢が発生するきっかけが不明な以上、私たちは発生した夢世界を処置するしかできない。口惜しいわね。」


「仕方ないよ稼働しているF.Y.D.ファイドの仕組みがそもそも不明なんだ。そのシステムを転用しているノルベルトもブラックボックスだらけだしね。」


 加賀野井は目を上げずそう言うと、ノルベルトの複雑な中身に息を吹きかけて埃を飛ばす。眼鏡の右側に付いた何枚もの外付けレンズ下ろし、細かいところまで点検する。


「F.Y.D.を破壊するのでは駄目なのですか?」


「F.Y.D.を直接破壊するのはリスクが大きすぎるの。最悪の場合、効果範囲内の人間全てが夢世界に囚われて、東京が無人化するわ。」


「そんな膨大な数の夢世界が発生したら小寿ちゃんでも助けきれない。それにF.Y.D.が破壊された場合、ノルベルトも機能するかわからない。……よし、メンテナンス終わり!異常なし!」


 するとノルベルトと呼ばれたガジェットが起動する。

ディスプレイにドット絵で描かれた顔が現れ、なめらかな電子音声で喋った。


「ケケケ、小寿、今一度F.Y.D.の説明が必要か?」


「そうだねノルベルト、私はまだ良く理解していないかも知れない。」


「ケケケ、良いだろう。F.Y.D.はFeel Your Dreamフィール・ユア・ドリームというプロジェクト、またはそのシステムを指す。F.Y.D.は対象の夢のエネルギーを利用し、現実化して別世界として存在させる、電子ソーシャルエリアのより高次元なものとして想定されている。人々はその世界を見て、感じて、触る事が可能なもう一つの現実世界として歩くことができる。」


「イメージとしてはVRゲームなどのソーシャルエリアが現実化したものと考えてもらえればいい。その代わりコントローラーやスーツなどのインターフェースは存在せず、自分自身の肉体でその世界を歩き回れる。まさに夢のようなプロジェクトだ。」


「ケケケ、加賀野井、補足に感謝する。ところがそのF.Y.D.はプロジェクトの途中で危険なことが判明し、中止となる。F.Y.D.によって作られた世界、これを我々は便宜的に夢世界と呼んでいる。この夢世界に長時間滞在し続けると、必ず精神に異常をきたす。更にその精神異常に感応して夢世界は不安定化し、最終的には夢世界の主もろとも消滅する。これにより現在我々はF.Y.D.をFeeling Yourself Disinte自己崩壊の感覚grateと呼称している。」


「更に悪いことに、夢世界は入ったら出る方法が確立されていなかったの。夢世界を発生させたら最後、気が狂って世界の消滅を待つのみ。」


「何だかSFというよりファンタジーみたいなお話ですね。」


「実際、ファンタジーみたいなものだよ。何故ならシステムの根幹になっているなんて技術は本当は誰にもわからない。そして誰によってもたらされたのかも不明なんだ。ただそれをベースにプロジェクトだけが走っていた。もしかしたらホラーかもね。」


「プロジェクトが遺棄されて以降、F.Y.D.のシステムは暴走状態に陥った。東京の広範囲に渡って影響を及ぼし、その中で突発的に特定個人の夢世界を発生させるようになった、これを落夢という。周期は不明、対象となる人間にも共通点はなし、恐らくランダムに誰かが落夢させられる。これがF.Y.D.の現状だ。ケケケ、わかったか?」


「うん、なんとなく。それで夢世界に捉えられた人を解放できるのが、私と。」


「そう、小寿ちゃんには夢世界でのみ使えるそのグラディーヴァという特殊な能力がある。その能力を使って夢の核を破壊することで、夢世界を強制終了させ、夢の主が狂気に飲まれて消滅する前に救い出すことができるの。」


 小寿は紋田に淹れて貰ったコーヒーを飲みながら考えているようだった。

そしてやがて口を開く。


「私は一人でも多くの人を救いたい。その為に私は、みんなの夢を破壊する。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る