第五章 ⑧


 尻餅をついてしまった自分が信じられず、リジェッタの顔から表情が抜け落ちた。双眸だけが、これ以上となく見開かれる。

 目の前に、赤マントが仰向けになって倒れていた。その腹部を、マント以上に真っ赤に濡らして。

「赤マントちゃん!」

 這いながら駆け寄り、リジェッタの呼吸が断絶した。銃で撃たれたかのように、赤マントの腹部に穴が開いていた。あきらかに、死に至る重傷だった。

「どうして私を助けたのですか? あなたには、私を助ける理由などないはずです。だというのに、なんで」

 虚ろだった赤マントの目がリジェッタに気が付いた。

 すると、少女は苦痛に苛まされる中で頬を緩めたのだ。

「ふふふ。なんでだろうな。自分でも分からん。ただ、分かったよ。《偽竜》。やはりお前は、竜にはなれない」

 赤マントが手を伸ばした。リジェッタはすかさず両手で握り返す。その冷たさにゾッとした。

 まるで、氷のように冷たかった。

「お前は、人だ。そうだろう、リジェッタ」

「……では、あなたも赤マントにはなれませんね、マリール」

 赤マントが、マリールが〝それ〟に気付いた。そして、ゆっくりと目を閉じてしまう。

「どのみち、私は殺されていただろう。あの方は、そういう人だ」

「駄目です、いけません。生きることを諦めないでください、マリール!」

 リジェッタが必死になって叫ぶも、赤マントは目を開けてくれなかった。ただ一度だけ、こちらの手を握り返してくれた。

「さようならだ、リジェッタ。会えると良いな。美味い朝食を用意してくれるような者と。会えますようにと、私は願う」

 マリールの手から力が抜けた。

 そして、二度目は覚まさなかった。

「彼女は、中途半端でした」

 オルムが口を開けた。その声は起伏に乏しく、電話帳を読むように無機質な音がリジェッタの鼓膜を震わした。

「私に忠誠を誓ったと言っておきながら、騎士団のために死ぬのが惜しくなった。だから、あなたの言葉に耳を傾けた。そのように、どっちつかずの人間はいつか裏切る。後ろから切られるのがオチでしょう。むしろ、ここで手放して正解だったかもしれませんよ?」

 言葉が耳に届く。ああ、それは分かる。はっきりと分かる。たとえ、あっちとこっちの距離が地球の反対側ほどに離れていたとしても聞き逃すはずがない。

 それでも、納得出来はしなかった。

「何故、殺したのですか?」

「これ以上、まだ説明する必要がありますか?」

 リジェッタの両手は空っぽのままだった。ただ、両腕を顔の前で交差させる。それは、嵐のごとく吹き荒れる逆風の中でなおも進もうとする人間の姿に他ならなかった。いつもの《偽竜》では考えられぬほど、その体勢は異様だった。ファニングショットが柔の極地なら、ここから先は剛の到達点、その一つ。腰を大きく屈め、深く膝を折る。真っ直ぐに繋がっていく。

「マリールは、死ぬと分かっていて私を助けてくれました。生き残れる可能性を残していた私とは比べ物にならない。その意志は、その優しさは強さですわ」

 肉体が頑丈だとか、特殊な能力があるとか、そんなことではない。

「あの子の心は、強気モノ《竜》と呼ぶに相応しい」

「《竜》とは本来、邪悪の象徴ではありませんか? 宝物を盗み、人を喰う。恐怖の具現化ではないのですか?」

 オルムが両腕を下げた。

 奇しくも、その姿は先程までのリジェッタに酷似していた。

「いいえ。己が信念を通すことに、善も悪も関係ありません。だから、ここから先は真っ当な善行とは断じて違う。そして、悪行だとも私は想わない」

 そんなの最初から分かっている。

 この街は、生まれた時から混沌を強いられた。

 なにか一つに染まってしまえば、他の街と同じになってしまうからと。ジャックスはけっして、恐怖による圧政をおこなわなかった

 ゆえに、こんな輩が好き勝手してしまう。

「ならば、私が喜んで楔となりましょう」

 ――脚よ。大地を叩き割れ。


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