第六章 ①
両腕の筋肉が限界まで膨張し、服を突き破った。
皮膚に真紅の鱗が浮かび上がり、装甲を成した。
爪が生えそろい、障害を切り裂く刃へと変わる。
単純にして明快。リジェッタの選択は接近だった。己が耐久力だけを信じた攻防一体の突撃は、床を踏み砕きながら後方を灰色の爆煙で飾る。
これを受けきれるか? 無駄だ! この廊下の広さでは横にも前にも回避は不可能。止めようにも、この質力と速度だ。たとえ、最新の大型戦車があろうとも押し負けるわけがない。反撃などありえない。どんなに攻撃が早くとも、タイミングが図れずとも、全てを無に帰す。オルムは、リジェッタの攻撃から無事に生還出来る方法をなに一つ持っていない。このまま足で踏み潰すか爪で切り裂くか。
勝つための選択肢は、勝利への理は《偽竜》であるリジェッタが握っているはずだった。しかし、
「ふふふ。無駄ですよ」
背後から聞こえた声にリジェッタは考えるよりも先に身を反転させた。瞬間、炎を吐き出す。
紅蓮の猛火が廊下を燃やしかけて一閃、冷たい風が鋭さを覚えた。灼熱が縦一文字に両断される。
左右へと逃げるように分かれて消える火の粉に、リジェッタは驚愕した。
そこに立っていたのはオルムだった。
ただし、その肉体は変質していた。
「オルムさん。もしや、あなたも?」
白かった肌が黒く変色していた。まるで、全身に影を塗り固めたかのように。血管が浮き出し、双眸の奥まで闇の濃さに染まりかけていた。
「破壊王代理の汚泥から精製した強化薬を心臓に直接打ち込んでいます。副作用を失くす研究のために、それなりの代償を払ってしまいましたが未来への投資ということで」
「それはつまり、誰かを実験材料にしたということですか? あなた自身は、苦労したのですか?」
すると、オルムはさも不思議そうに首を傾げた。
「私が代償を? なにを言っているんですか。研究材料なら、いくらでも手に入る。貧困窟の人間が少々減ったところで、誰も気には留めませんよ」
「……なるほど、よく分かりました。やはり、私はここであなたを討たなければいけない。これ以上、この街で狼藉を働くことを許すわけにはいきませんわ」
「あなたに出来ますか? 《偽竜》がどれほど強いのか、この街で知らぬ者はいない。逆を言えば、そのうえで私はこうして勝負を仕掛けたのですが?」
「勝負? その認識こそが間違いです」
リジェッタの首筋が真紅に染まる。鱗が、上半身を覆うとしていた。それでもなお、いや、もうすでに《偽竜》は微笑んでいる。
「これは、パーティーです」
リジェッタが両腕を前に突き出した。手の平の表面で金属と金属が擦れ合うような音が爆発した。
「手の内を見せすぎです。種が見える手品ほど、興醒めなモノもありませんわ」
単純だからこそ、そして通常なら不可能だからこそ発見が遅れた。なんら難しいことではない。オルムは爪を伸ばしたのだ。今、リジェッタの爪が剣のごとく変質しているように。細長く超高速の槍として放った。レインシックスを完璧に防げるだけの硬度に威力となれば、赤マントの身体など薄紙同然だった。
オルムは焦らず、むしろ愛しい人が料理の隠し味に気付いてくれたことを喜ぶ恋人のように、嬉しそうに頬の端を吊り上げた。
「では、これならどうでしょう?」
まばたき一つ。
オルムが目の前にいた。
黒影の拳が、リジェッタの眼前に迫る。
寸前で竜を模した五爪を叩き付けるも、あろうことかリジェッタの身体が後方へとはね飛ばされた。
この私が、力勝負で負けた。
壁に両足を置いて着地し、リジェッタは奥歯を強く噛んだ。
また、眼前にオルムが迫る。横に跳んでかわすも、何度も接近を繰り返された。これでは、キリがない。
「私の部下になって忠誠を誓うというのなら、命だけは保証しますが?」
「あらあらまあまあ。お客様に気を遣わせるなんて、私もまだまだですね」
リジェッタは後方へと大きく跳んだ。体積が増した両腕を床に押し当てるようにして身体を支える。
肩が上下し、息が荒くなっている。それでも、オルムから絶対に目を放しはしない。絶対に逃がすまいと、獲物を捉え続ける。
その姿は、人よりも大型の肉食獣に酷似していた。
「ならば、奥の手を使わせてもらいましょう」
リジェッタは大きく息を吸った。胸郭を倍以上も膨らませ、両足を限界まで束ねる。そして、懇切丁寧に、オルムへと宣言をする。
「では、踊りましょうか」
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