第五章 ④
要塞本陣に潜入してしまえばこっちのもの、というわけではない。遮蔽物がろくにない廊下を、多くの騎士達が銃器を構えて占拠していた。侵入者の情報などすでに浸透済み、なにも対処していないわけがない。
騎士達は外の仲間と同じく軽鎧を纏っていた。違うのは、短機関銃とは別に散弾銃を装備している点か。拡散する散弾は、接近戦では絶大な真価を発揮する。室内においては、有効な手の一つだ。それも、常に三人一組で行動し、互いに死角をカバーしている。屋外と違い限定されている空間だからこそ、単純な力技よりも戦術を重視しているのか。曲がり角に隠れたまま、身動きが取れずにいたリジェッタはあれこれと考え、大きく息を吸った。
「すうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
胸郭がいつも以上に膨れ上がる。肺へ限界まで酸素を溜め込んでいく。
騎士達が異様な音に警戒したと同時、ピタリと息を止める。
リジェッタは、左右の手に一振りずつ持つナイフを逆手に構え直した。呼吸を停止させたまま、膝をたわめる。それは肉食獣が獲物へと飛びかかる寸前の構えだった。撃鉄が雷管を叩くように、筋肉が爆発する。
一蹴り。床を構築する灰色の石材に亀裂が走った。リジェッタの身体が砲弾のごとく放たれる。そのまま曲がり角から跳び出した。騎士達が散弾の銃口を向けるも《偽竜》の身体は壁へと激突する。すると、ほとんど減速せずに肉体が軌道を変えた。ビリヤードのように壁を利用して跳ね返りながら標的を目指す。
ただし、リジェッタの場合は三次元的な軌道まで含まれた。床を蹴り、壁を踏み付け、天井を砕きながら不規則に移動する。
騎士が照準を見誤った。見当違いの方向へと散弾が飛び、壁を削る。リジェッタはもう、目の間にいた。
「おはようございます」
銀閃が騎士達を笑顔にした。
首がぱっくりと割れて、第二の口が生まれる。
自嘲の笑い声は血塗られていた。
リジェッタは、そのまま階段へと向かった。ただし、階段自体は利用しない。壁を蹴りながら登り、一階から二階へと移動する。
二階の廊下に着地し、
「あら」
音が消えた。
あれほど騒がしかった音が全て消えた。まるで、要塞から自分以外の人間が消え失せてしまったかのように。
長い廊下に人の姿はなかった。一階から登ってくる様子もない。かといって、どこかに爆薬や銃器などの罠があるわけでもない。
「まるで、このまま進めと言っているかのようですね」
誰が言っている? そんなの、決まっている。
リジェッタはナイフを床に捨てた。両腕から力が抜け、だらりと下がる。ゆっくりと、上半身が揺れ始めた。呼吸が細長く変化し、目がまばたきを忘れる。心臓の鼓動が一定のリズムで強制された。
「では、このまま前に進みましょう」
足音を殺し、細い廊下を進む。
たとえ、背後から銃で狙われても対処出来るだけの自信があった。事実、それだけの実力をリジェッタは有していた。
「お久しぶりです《偽竜》」
目の前だった。
「っふっ」
息が細かく断裂し、右手が飛燕に化けた。腰のホルスターからレインシックスが引き抜かれ、瞬時に発砲する。
一発だけに留まらない。
左手がひるがえりながら舞う。
三発の弾丸がほぼ同時に放たれた。
入神と呼ぶに相応しい速度と精度だった。
しかし、
「まずは、落ち着きませんか?」
その拒絶は、なんと例えるべきか。
ゴムの塊を地面に勢い良く叩き付けるのに似た音が廊下に鈍く響き渡った。見えない壁が立ちはだかったかのよう。わずかに散った火花の残滓が一連の光景が嘘ではないと訴えていた。
十四口径の徹甲弾、タングステンカーバイドにより強化された弾丸が標的に当たる直前で弾き落とされた。それも三発纏めて。
「随分と手荒い挨拶ですね。これが、あなたの礼儀作法ですか?」
それは、きちんと人間の言語を口にした。
だが、リジェッタには目の前にいる存在がどうしても人間には想えなかった。
高く見積もっても十代前半か。リジェッタよりも頭一つ分は小さい。なのに、今は目の前を覆い尽くす山に見える。あるいは、山のように大きな怪物か。
肌は新雪のように白く、人間らしい赤みがどこにも見えない。本当に、真っ白な肌だった。動かなければ白磁器の人形と区別がつかない。戦乙女に遊び道具である殺人人形のごとく。
今日は、長手袋をはめていなかった。爪は肌の色を透かさず、黒く染まっている。
ぱっちりと開いた瞳は燃える炭のもっとも熱い部分と酷似している。静かに、されど鉄さえ融かす熱を孕んでいた。それも、死神の鎌さえ融かす熱を。己が道理を前にして、その他の常識など通用しないと。
夏に力強さを増す深緑を想わせる髪は右手側を肩まで伸ばし、左手側を腰の半ばまで伸ばしたうえで一つに纏めている。左右非対称の髪型は見る角度によって少女の印象を惑わせた。
どこから見ても可憐。
どこから見ても邪悪。
黒いドレスは誰の影を切り裂いて縫い直したのか。きっと、彼女の敵を。犠牲になった者達を。食い物にされた弱き者達を。
純銀の襟章に刻まれているのは、×印に交差する翼だった。それこそが、彼女の生きる証であり、存在理由だ。
可愛い、愛らしい。そんな印象よりも先に、氷に似た凍えを感じさせる少女だった。
今日出会った者達の仲で、
「どなたでしょうか?」
「失礼。私、ワイバーン騎士団の副団長であるオルム・イースト・ライギニーネと申します。今日はパーティーに招いていただき大変恐縮です。ささやかなお礼をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
リジェッタの右手が、オルムへの返答を示した。
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