第36話 諏訪へ配流⑲ ❀呪術・祈祷への傾倒






 家族や乳母、侍女の心配をよそに、千姫は急速に呪術や祈祷に傾倒していった。


 言霊ことだま信仰や呪詛祈祷といえば、だれの胸にもただちに思い出されるのは、往昔おうせきから語り継がれる、おどろおどろしい一件である。


 長屋王ながやのおおきみの祟りで藤原4兄弟が疫病死。

 龍になって天地異変を引き起こした白壁王しらかべおおきみ

 淡路島に流した弟早良さわら親王の怨霊を祓うため平安京に遷都した桓武天皇。

 左遷先の大宰府で薨去こうきょした菅原道真の祟り。

 自らの胴体を求めて京から故郷の坂東へ飛んだ平将門の首。

 保元・承久の乱で隠岐へ流された崇徳上皇、後白河上皇の祟り。

 2度の神風による元寇の撃退。


 それに太閤秀吉の怒りを買って切腹に追い込まれた千利休の祟りがあげられる。

 無益な朝鮮出兵で晩節を汚し、大坂ノ陣で豊家を断絶に追い込んだのは千利休の無念腹の祟りといううわさは、千姫への怨念に先駆けて巷間を駆け巡っていた。


 さらに直近では千姫の祖父・家康も江戸城の建築に当たり、陰陽道と五行思想、風水の四神相応に則った築城を、黒衣の宰相こと天海僧正に命じている。


 良かれ悪しかれ祖父の影響を強く受けている千姫にとり、呪術と祈祷はごく身近で不可欠な存在だった。ましてや、自らの過去に強烈な自責の念を抱く身である。


 葱を背負ってやって来た鴨ごと絡めとってやろうとて、悪辣な下心を抱いて取り入ってくる怪しげな呪術師に、


 ――畏れながら奥方さまのお背中には、恨めしげな目をした男女2体の背後霊が憑いておられます。その者どもを追い払わぬ限り、今後も災厄がつづきましょう。


 まさに図星の指摘をされたり、たびたびのお祓いでも除霊が効かないと見れば、わが背にべったりとしがみついた背後霊を払い落とそうとして御殿を転げまわり、庭園も足袋裸足で飛び降りて半狂乱で走りまわり、周囲を困惑させたりもした。


 託宣花占い、こっくりさん、鳴釜なかま、風水など、往古の昔から物の怪退治に効能ありとされてきたものにも片端から傾倒し、憑かれた目付きで一心不乱に祈りを捧げる。あげくには、異界と行き来する妄想に憑りつかれ、


 ――殿(秀頼)の侍女の何某が身籠ったとき、わたくしに内緒で大坂城奥御殿の井戸に突き落としたであろう。開かずの間に狂女を閉じ込めたのもそなたらの仕業であろう。病の下女に手当もせずに放置したであろう。隠しても無駄じゃ。もはや騙されまいぞ。あの者どもの霊魂が、今頃になってわたくしに祟っておるのじゃ。


 虚実取り混ぜて大騒ぎに騒ぎ立て、忠義一辺倒の乳母や侍女たちを当惑させる。


 ――こより(秀頼)で結わえし袋(淀ノ方)をば 

   打ち捨つるとは如何にせん(千姫)


 何者かが大坂の高札場に狂歌を落書したと聞き、千姫の惑乱は頂点に達した。


 蛇や百足をひとつ籠に入れて共食いさせ、生き残ったほうにこの世に恨みを残す死霊を呼び寄せさせるという、身の毛もよだつほど悍ましい唐伝来の呪術・蠱毒こどくにも手を染めようとしたときは、さすがに夫の忠刻が「胡乱にして醜悪の極みなり」として厳重に禁じさせた。


 千姫の症状の悪化に伴い、忠刻の表情からも目に見えて生気が消失していく。


 ――殿さまのご発病は、奥方さまの物狂いに因するのでは? お気の毒な……。


 日ごとに城内に満ちゆく陰鬱な囁きが、惑乱の千姫をさらに追い詰めていった。

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