第37話 諏訪へ配流⑳ ❀最愛の夫・忠刻の逝去





 元和10年(1624)春。

 いったん快復していた忠刻がふたたび発病した。


 本多家の凶事はさらにつづく。

 息子の病気に追い打ちをかけるように、舅・忠政までが、鷹狩りの際に切り株で負った傷の悪化により、歩行はおろか飲食すらままならなくなった。


 寛永3年(1626)5月7日。

 本多中務大輔忠刻ほんだなかつかさたゆうただときは、最愛の妻・千姫に看取られ、静かに息を引き取った。享年31。如何なる因果か、奇しくも11年前の大坂城の落城と同日の逝去だった。


「殿、後生ですから、お声をお聞かせくださいませ。もう一度眼をお開けになってくださいませ。わたくしをひとり置いていかないで。どうかお願い申し上げます」


 人目も憚らず取り縋った千姫が乳母や侍女らに引き離され、わあわあ幼子のように号泣しながら荼毘に付した忠刻の遺骸は、長男・幸千代、顔も見ないままだった3人の水子が眠る書写山へ葬られた。


 足もとの土がガラガラ崩れ落ち、暗い地の底に向かってどこまでも沈んで行く。

 強烈な喪失感に見舞われた千姫は、従前に増して自責地獄にのたうちまわった。


 けれども、愛してやまない家族を相次いで奪われた究極の悲嘆が、千姫の内部に如何なる摂理を働かせたのであったのか、あれほど周囲を悩ませた呪術と祈祷への偏向は、それこそ狐憑きがとれたように、ぴたりと治まっていた。


 ――いつまでも泣いてはおられぬ。


 わたくしには為さねばならぬことがある。


 気を取り直した千姫は、弟の将軍・家光宛てに切々たる嘆願書を認めた。

 若き寡婦となった姉の願いは将軍にただちに聞き入れられ、忠刻の遺領10万石はそっくり弟の政朝と忠義、それに甥などの本多一族に安堵されることになった。


 だが、不幸の連鎖はそれで終わりではなかった。

 忠刻の死から1か月後、息子のあとを追うように、従姉で姑の国姫が没した。

 失意の底にある千姫にさらなる追い打ちをかけるべく、御台所として江戸城大奥を采配していた生母・お江ノ方の訃報が伝えられたのは、同年9月15日のことだった。


 いまなお絶世の美女の誉れ高いお市ノ方(織田信長の妹)のもと、長姉・茶々(淀ノ方)、次姉・初につづく浅井3姉妹の末っ子として生を享け、信長、秀吉、家康、ときどきの天下を支配する3人の武将たちの政略の具として、きっちり3度の結婚を強いられた。


 激動の戦国においても類い稀な悲劇の主人公でありながら、意思や感情をもたぬ物ではない、人形でもない、ひとりの女人、ひとりの人間として、最後まで自分の頭と心で生き抜くことを諦めなかった誇り高き女人の享年は54だった。


 だが、城主の夫を失ったとたんに、早くも過去の人としての視線を浴びせられ、幸せな結婚生活の象徴だった武蔵野御殿までがよそよそしい雰囲気に包まれ始めた現実を感じていた千姫には、生母の葬儀に江戸へ向かう選択は許されなかった。


 ――大切な人たちはみな異界へ旅立ってしまった。


 長女・勝姫ひとりを残されたわたくしは、どうして生きていけばよいのか。

 悲嘆にくれる千姫の脳裏を、会ったこともない五六八姫の貌がかすめて行く。

 女手ひとつの寡婦道にはこの先、如何なる茨が蒔き敷かれていることだろう。


 夫婦の思い出が籠もった播州姫路城も、今後は身内とはいえ他者の所有となる。

 世子せいしをあげられなかった身の置き場所は、何処にもなくなるにちがいない。


 すでに用済みの者として、城内の片隅の小部屋にでも親子ふたり肩身狭く置いてもらうのか。千姫からすれば身から出た錆とはいえ、なんとも切ないことだった。


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