第25話 流転の時代⑧ ❀「千姫組」の3女傑






 いささか話が前後する。


 お互いにひと目惚れした本多忠刻の、文字どおり大船に乗せられて海路を送ってもらい、千姫にとっては初見の実家となる江戸の千代田城に到着してみると、千姫と同じく秀忠とお江ノ方を両親とする2男・竹千代(のちの3代将軍・家光)12歳と、3男・国千代(のちの駿河大納言忠長)10歳、ふたりの弟を取り巻く勢力が鋭く反目し合っていた。


 それまでの事情をいっさい知らない長女・千姫が第三者の目で観察したところ、所作が敏捷なため、一見賢く見える3男・国千代を両親が揃って贔屓していることもあり、早くも先を見据えた跡目争いで、2男・竹千代は劣勢に置かれていた。


 ――渦の外から眺めれば、事態の是非は明らかなのに。


 兄弟の順位の逆転は、のちの争いの因になることは明白。第一、幼い頃に大坂城に送り込まれ、見知らぬ大人の間で揉まれて来た千姫の目から観察すれば、やたらにちょこまかと才気走らず、ゆったりと鷹揚に構えた竹千代のほうが、次期将軍にふさわしい器に思われた。


 持ち前の博愛精神と義侠心に加え、一家の長姉としての責任感に駆られた千姫は両親から疎まれ、その合わせ鏡として家臣や侍女からも不当に軽んじられ、人気のある弟に比して自分は駄目な人間だ、すべてにおいて劣っているのだと思いこみ、幼心にも委縮しきっている竹千代のもとを足繁く訪ねた。


「あなたは徳川の跡取りなのですよ。それだけの品格を生まれついて備えておいでなのですよ。すでに下地が備わっておられるのですから、あとは才能の開花を待つのみ。後継者としてのお立場を、どうかしっかりとご自覚なさってくださいませ」言葉を尽くして励ました結果、失いかけていた自信を見事に取りもどさせた。


 竹千代の変容をだれよりも喜んだのが、乳母・阿福(のちの春日局)だった。

 阿福の父は、本能寺で織田信長を倒した直後「中国大返し」で駆けもどった豊臣秀吉に呆気なく誅され、侮蔑混じりの「三日天下」の異名を取った明智光秀の重臣だったので、徳川に出仕する際に障害になる父との縁を満徳寺で切ってもらった。


 そうした経緯から、千姫の縁切り祈願の橋渡し役を阿福が務めることになった。

 ここで問題になったのは、千姫に代わり山寺に籠もる、身代わりの人選だった。


「伏見のお屋敷で、おぎゃあと可愛らしい産声をおあげになった、まさにその瞬間からお仕えしているのですよ、わたくしは。なんの因果か、人一倍のご不遇に遭遇された前半生の分まで、これからはお幸せになっていただかねばなりませぬ。そのための関門となる大事なお役目は、このわたくしを置いて余人に考えられませぬ」


「まことにご無礼ながら、近頃はとみに齢を重ねられたやにお見受けいたします御乳母さまに、お身体に障る苛烈な山寺籠もりをお願いするのは後進として如何なものかと。これからは千姫さまと姉妹のように育ったわたくしの出番かと存じます」


「まあまあ、おふたりとも少し落ち着かれてくださいませ。松坂局さまがご指摘のとおり、山寺のお籠もりは相当な難行苦行と聞き及びます。ゆえに、ここは一番、お付きのなかで最も若いわたくしこそが、山寺籠もりの適任かと存じます」


 50歳の大台に乗った刑部卿局、22歳の松坂局、21歳の早尾。

 三者三つ巴の滑稽なほど真剣な論争を千姫は涙ぐんで聞いていた。


 すったもんだのあげく、ようやく役割分担が決まった。

 まずは中堅どころの松坂局が、千姫の代理として満徳寺を表敬参詣する。

 次いで最年長で「千姫さまお命」の刑部卿局が身代わりとして入山する。

 先輩ふたりの留守を、最年少の早尾がしっかり守る。

 重責を分かち合い、落ち着くところへ落ち着いた。


 奥山の枯葉も落ち切った霜月半ば、尼姿の刑部卿局はひそかに満徳寺に入った。


 余談になるが、大坂城脱出の折り、豊臣方の堀内氏久から護衛を引き継いだ坂崎出羽守直盛が高貴な千姫の美しさに懸想し、行く先々で略奪の機会を狙っている。そんな物騒なうわさから千姫を守ったのもまた天晴れ「千姫組」の3女傑だった。

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