第21話 流転の時代④ 🌼居候としての立場






 回想から醒めた阿梅姫は思い出したように呟いた。


「さすがにこの頃は、徳川方の探索も弛んで来たようだわね」

「旅の猿楽師や傀儡子くぐつしがもたらす沙汰が、ご城内でも噂になっているようです」


「郷里の紀州九度山に逃げておられた輝葉姫さまとあぐりさま、おかねさま、阿菖蒲さま方は、残党狩りの追手に捕らえられていたところをようやく許され、輝葉姫さまはご剃髪されて竹林院を号されたとか」

「わずかな朗報には、ほっといたしますね」


「京嵯峨野に落ち延びておられた波瑠姫さまは、町屋で男子を出産され、町娘姿で逃げているところを見つかった御田さまは、江戸城大奥のお女中に送られたとか」

「なにはともあれ命だけは助かったのですから、そちらもやれやれですわね」


「すべては上野沼田の伯父上さまご夫妻の、並々ならぬご援助のおかげだわねえ」

「草葉の陰で亡き殿さま(真田信繁)も、さぞご安堵なさっていることでしょう」


 先年の関ヶ原合戦と同様、今回の大坂ノ陣でもまた、亡父・信繁の兄の真田信之とその正室・小松姫が弟の遺族を援けてくれたことを、阿梅姫も承知していた。


「それにしても、かような話はここでしかできぬのがいささか淋しいわね」

 可憐な唇を無邪気に尖らせてみせる阿梅姫に、蘇鉄が用心深く釘を刺す。


「しい、迂闊にさようなことを仰ってはなりませぬ。万一、わたくしたちを匿っていることが御公儀に知られれば、片倉家はもとより伊達さまにも大難が及びましょう。壁に耳あり障子に目あり。ご城内でもゆめゆめ油断されてはなりませぬよ」


「はいはい。わかったわ」

「はいは一度で結構です」


「んもう、蘇鉄のいけず」

「はいはい。いけずでもなんでも結構ですよ」


「あ、蘇鉄も二度重ねたわね」

「はいはい。申し訳ありません」


「ほら、言うそばからまたしても」

「阿梅姫さまこそ意地悪ですよ」


 城下から吹き上げた風が、ふたりの小袖の袂を気持ちよく膨らませてゆく。

 5年前の極度の緊張から気鬱に陥りがちな阿梅姫を気遣い、蘇鉄が促した。


「そろそろ参りましょう。紅潮つきのさわりも間もなく始まりますゆえ、いまから大事をとっておきませぬと」

「月の物の前後にはまたしても偏頭痛に悩まされるかと思うと、女子のおつとめとはいえ、いささか気分が重くなるわ。いつまで続くのかしら、あの苦しい発作は」


 眉根を寄せた阿梅姫を引き立てようと、蘇鉄は努めて明るい口調で言い添える。

「さあ、あまり遅くなりますと、賄いのみなさま方にご迷惑をおかけしますから」


 賢明な阿梅姫は、わが前言の憂いを潔く捨て、蘇鉄の心遣いを軽妙に打ち返す。

「あのね、蘇鉄。これもここだけの話だけど、食べるもの、着るもの、雨露を凌ぐ屋根の下、生きて行くうえで必要不可欠な一から十まで他人さま任せで、何ひとつ自分のものを持てぬ、わたくしたち居候って、本当に肩身が狭いものだわよね」


「次男や3男坊に生まれたばかりに、生涯を厄介叔父と疎んじられ、小さくなって生きねばならぬ部屋住みの殿方のお気持ち、しみじみとわかりますわね」


「そうね。でも、厄介叔父のみなさんは身内だからまだしも、片倉家に縁もゆかりもないわたくしたちは、正真正銘の厄介者なんですもの、浮かぶ瀬もないわよね」

 悪戯っぽく首を竦めてみせる阿梅姫に、蘇鉄も片目を瞑って同意を示した。


 奥御殿に歩を帰しながら、阿梅姫は散り散りになった家族に思いを馳せていた。

 かすかな縁故を頼るにせよ、赤の他人の温情に縋るにせよ、だれかの世話にならねば生きてゆかれぬ状況は、人としての矜持を丸ごと捨て去る覚悟を強いられる。胸に重い蓋をかぶせられたまま、意思なき物体として生きねばならぬ諦念を……。

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