第19話 流転の時代② 🌼片倉家の御入城記念日






 6,000石の亘理わたり城主を12年つとめた片倉小十郎景綱(重長の父)に、白石城1万2,000石への国替が命じられたのは慶長7年(1602)も押し迫った時節だった。


 一挙に石高倍増のうえ一円知行の特権まで付与されたのは、江戸方面からの敵の侵入を阻む最南端の要塞と位置づける白石城が万一破損した場合、仙台城の主君の許可を待たず、ただちに修理用の木材を確保できるように取り計ったものだった。


 朋輩も羨む破格の抜擢とはいえ、19歳で10歳下の梵天丸(政宗)に初出仕して以来、忠義ひと筋に励んで来た景綱も、当年とって45歳の老域に達していた。


 ここ数年は病気がちで、とつぜんの国替えを拝命したときも病臥していたので、やむなく嫡男・重長を先駆けて入城させ、自身は病の小康を待ち、翌慶長8年2月8日に入城した。


 篤実な当主に倣い、揃って報恩に篤い片倉家臣団は、晴れて大殿・景綱が城入りを果たした当日を「御入城記念日」と定めた。以来、毎年2月の初卯の吉例日にはそれぞれの家紋を染め出した旗指物を、銘々の屋敷の門前や邸内に飾り立て、片倉白石城の礎を築いたお屋形さま(景綱)への敬意と感謝を表す慣例になっていた。


 戦乱の大坂から拉致同然に当地へ連れて来られ、右も左もわからずにいる阿梅姫に、折りに触れて片倉家の昔語りを聞かせてくれたのは重長の正室・綾姫だった。


 もの静かな語らいの傍らには、美人というほどではないがくしゃっと紙を丸めたような愛嬌のある面立ちが母親に生き写しの長女・喜佐姫が附き添っていた。


 34歳の綾姫を歳の離れた姉のように慕い、14歳の喜佐姫を妹と思って愛しむことで、阿梅姫は寝ているところを暗闇にどさっと投げ捨てられたように心許ない身上に、かすかな燈明を見出そうとしていた。


「でも、不思議だわ」

「どうなさいました?」


「父上と母上にお暇乞いした場面を思い出したくなくて、心に蓋をしておいたら、記憶のなかの色や音や匂いや感触が、夢のなかの出来事のようにぼんやり曖昧になっていくみたいなの。薄情なようだけど、そのほうが気持ちが落ち着くのよ」


 しみじみと打ち明ける阿梅姫に、蘇鉄は年嵩らしく大人びた意見を述べた。


「ぜひともそうなさいませ。そうでなければ1日として生きて行かれませんもの」

「ありがとう。それにしても、よくも今日まで生き延びてまいれたものだわねえ」

「まったく。あのような過酷な状況を潜り抜けて……いま思ってもぞっとします」

「すべてはご先祖さまのご加護のおかげね」

「本当にありがたいことでございますわね」


 猛烈に吹き荒れた大坂夏ノ陣の戦乱が嘘のように凪いだあと、阿梅姫と蘇鉄は、泥や煤で汚して目立たなく装った男駕籠に乗せられ、一路白石城へ運ばれて来た。


 落武者の残党狩りに設けられた臨時の関所で、勝ち戦に驕った東軍の荒くれどもに咎められかけたとき、身の丈6尺は若い時分と変わらないが、日々の鍛練の成果で20貫に増えた押し出し効果を宛てにした重長が「一見地味なこのお駕籠には、こたびの戦を逃れて鄙に潜んでおられた某筋のお方がお腹病みで臥せておられる。某筋とは某筋。みなまで言わせずとも雅な筋に決まっておろう。それでも杓子定規を押し通そうというならば、のちのちの厳重なお咎めを覚悟なされよ」大声で一喝すると、戦で捗々しい首級をあげられなかった分、せめて残党狩りでの手柄ほしさに貪欲な目を血走らせている下っ端共も、渋々引き下がざるを得なかった……。


 痛快な武勇譚として宴席の肴に供されていることを、阿梅姫は承知していた。


 ――わたくしたちがあれほどの哀哭と恐怖を味わった愁嘆場も、直接の関わりがなかった人たちにとっては、所詮、他人事。だからあんなに楽し気に話せるのね。


 そのつど、阿梅姫は痛く思い知らされ、人知れず唇を噛み締めて来たのだった。

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