第13話 大坂夏ノ陣⑫ ❀静蘭姫と国松丸






 一方、心を痛めずにいられないのは、戦の犠牲になった幼い者の身上だった。


 7歳で豊家に嫁いだ千姫がまだ幼かった頃、4歳年長で早熟だった秀頼は側室・伊茶を寵愛し、静蘭姫と国松丸の2子を成していた。


 生母の伊茶の病弱もあり、ふたりとも千姫の叔母・初ノ方(淀ノ方の妹、お江ノ方の姉、京極高次の正室)を頼って城外で育てられていたが、先の冬ノ陣のときに長持ちに隠してひそかに城内に運び込まれていた。わが子に恵まれなかった千姫はいちどきに2人の実子を授かったように、大喜びで静蘭姫と国松丸を迎えた。


 豊家直系の血を引く子どもたちは、大坂城落城の寸前、父・秀頼と別れの水杯を交わしたあと、京極家の家臣で国松丸の傅役をつとめた田中六郎左衛門や、わが子同然に愛情をもって育てた乳母らに守られて、さる町屋に落ち延びていたが、残党狩りで捕縛され、京都所司代・板倉勝重のもとに連行されたことを知らされた。


「大御所さま、将軍さま。いえ、お祖父さま、お父上さま。あれほどまでにお願いした夫と姑のご助命をついにお聞き届けくださらなかったのですから、今回ばかりは何としても、きっとふたりをお助けくださいませ」

「ふむ……」

「…………」

「でなければ、わたくしはこの場で髪を降ろし、僧籍に入らせていただきます」


 千姫の懸命な嘆願で7歳の静蘭姫の命はようやく許されたが、のちのち徳川家に災厄をもたらす懸念が拭えぬとして、6歳の国松丸の助命はついに適わなかった。


 そればかりか、見せしめのためとして、大人の罪人となんら変わらず、情け容赦なく市中を引きまわされた国松丸は、手塩にかけて育てた幼子をひとりで逝かせるに偲び得ず、自ら処刑を志願して出た養い親の田中六郎左衛門と共に、関ヶ原合戦での石田三成など数多の罪人の血と脂と呪いが染みついた六条河原で斬首された。


 遺骸は穴に捨てられ、あどけない表情をたたえた首は晒しものにされたと聞いた千姫は、養女に迎えた静蘭姫の幸薄い肩を抱きしめ、おんおんと泣きじゃくった。



 命を呈して最後まで豊臣を守ってくれた武将たち。

 とりわけ自ら東軍の本陣に乗り込み、大御所の家康に二度までも切腹を迫るなど壮絶な死闘を繰り広げた真田左衛門佐信繁の遺族の行方も気懸りのひとつだった。


 秀頼の求めに応じ、配流先の紀州九度山からやって来た妻子はどうなったろう。

 少女時代の自分にどこか面影が似ている阿梅姫の横顔が時折り脳裡をよぎった。


 だが、そうでなくても傷心の千姫の耳に、これ以上余計なことは入れまいとする配慮が働いているのか、知りたいことを訊ねても、だれも教えてはくれなかった。


 家康の6男・松平忠輝をめぐる剣呑なうわさも、5歳下の姪に当たる千姫の心に暗い影を落としていた。


 人並みに父母のもとにあった短い期間、歳の近い叔父として、妹のように愛しんでもらった。父・秀忠が2代将軍に就任した慶長10年(1605)には、新将軍の名代みょうだいとして大坂城の秀頼・千姫夫妻を表敬訪問してくれた。気の合う同年代同士、夜を徹して親しく語り合った記憶はいまだに忘れがたい。


 その忠輝がなぜか父・家康の不興を買っているという。


 ――豪放磊落にして潔癖な性質の叔父さまが、なぜ?


 なにかとんでもなく恐ろしいはかりごとがあったのではないか。

 だが、自分の立場で軽々を口にすれば、せっかく落ち着いた事態が思いもかけぬ方向へ発展するやもしれぬと思えば、この件もまた、だれにも相談できなかった。


 19歳の寡婦となった千姫は、恋のときめきと複雑な煩悶の渦中にあった。

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