第6話 双剣の手入れは水瓶で

七月二十七日


居石の後ろを歩くが、その背中に自信を感じていたかと思うと緊張しか感じていない。犯人が分かったと言って部屋を出たが、警察でもないのに犯人がわかるのだろうか。これから起こることに緊張しかしていない。

一階に降りると、店の商品陳列棚の所に三橋さんがいた。一応開店準備なのだろうか。警察が来るまでにすることがないから働いているのか。ルーチンワークなのかもしれない。

「おはようございます三橋さん。昨夜は遅くにありがとうございました」

居石が朝の挨拶と昨日のお礼を伝えた。

「居石さん、堀田さんおはようございます。居石さん、昨夜は気が晴れましたか?」

「はい。ありがとうございました。おかげでぐっすり眠れました」

嘘である。

「みなさん、喫茶店の方にいらっしゃいますよ。今日は女将さんが体調が悪いので、お嬢が朝食とコーヒーを準備しています」

そういえばここに来てから女将さんの顔を見ていない。体調が悪いとのことだが大丈夫だろうか。

「喫茶アクエリアスっていうのですよね?」居石が言う。

「はい。コーヒーが自慢です。女将さんが淹れてくれるのが美味しいですが、お嬢もなかなかのものです」三橋さんもきっと女将さんのコーヒーのファンなのだろう。

「はい。三橋さんも朝食は摂られたんですか?」居石が喫茶店の方を見ながら言った。

「いえ、まだです。お恥ずかしい話ですが今日は起きるのが遅くて。お嬢もそうだったようです。皆さんのお食事中にこっそりと摂ろうと思っていましたが、皆さんがでは一緒に食べようという提案をしてくれまして」三橋さんが恥ずかしそうに言う。

「ああ、それは良いですね。みんなで食べましょうよ」堀田も言った。

では、お店の方でコーヒーを飲んでお待ちください、と言って三橋は作業を続けた。

居石と堀田は真直ぐ『喫茶アクエリアス』へと向かう。

土産物屋と喫茶店とを繋げる部分は木製のアンティーク調の扉で仕切られていた。

居石がその扉のノブに手をかけて開いた。

やっと入ることが出来た喫茶店の中は、木製の落ち着いた雰囲気の内装だった。入ってきた扉と合わせて、心地よく感じるデザインである。

今の扉から見て左手に簡単なカウンターがあり、そこに美紀さんがいた。コーヒーサイフォンがボコボコと泡を出しているその奥で、フライパンに向かう美紀さんの後姿があった。朝食を作っているのだろう。

カウンターの奥、向かって左手の壁には屋外から入るための扉があった。

喫茶店の大部分はテーブルと椅子が置かれている。これも木製だが、壁や什器とは違う色調で邪魔をしていない。床は板張りでそのままダム湖側にあるテラスまで続いている。テラスは段差がなく同じ床レベルで続いている。今はガラス戸で全面閉められているが、テラスにもイスとテーブルがあり、天気の良い日はとても気持ちが良さそうだと思う。現在はまだ曇り空ではあるが、それはそれで良い雰囲気だと思う。

あくえりあすの常連客達は室内のテーブルに程よく散らばって座っている。

「おう、おはよう。昨日はよく寝られたか?」田辺さんが片手を挙げて言った。

「おはようございます、田辺さん。体調は大丈夫でしたか?」

顔色を見る限りは大丈夫そうだ。

「ああ、すまんな。ちょっと気分が悪くなってな」

無理もない。

「おはよう。どうだった?以外に良く寝れただろう?」西田さんは入り口に背を向けるように座っていたが、わざわざ振り向いて言った。スカイブルーのポロシャツを着ていたが、とても良く似合っていた。

「おはようございます」仁科さんが言った。本当に穏やかだった。朝の挨拶に適切な発音だったと思った。

なぜか三人ともテーブルを一人一つずつ使っている。悪いわけではない。ほかに客はいないのだし。それぞれの定位置があるのかもしれないなと思った。

居石は三人のちょうど真ん中にくらいにあるテーブルに座った。

堀田も続けて座る。

「おはようございます」

美紀さんのやわらかい声がして、二人の座るテーブルにコーヒーカップが二脚置かれた。

「おはようございます。喫茶店、とても雰囲気が良くて好きです」

最後の『好きです』が変なイントネーションになってしまった。何とも情けない。

「昨日ご紹介できませんでしたからね。母がまだ体調が悪くてご挨拶も、母自慢のコーヒーもお出しできませんが、申し訳ありません」

そこで頭を下げる。

「でも、私も母に負けないくらいのコーヒー淹れましたから、ぜひ乾燥聞かせてくださいね」

きっとおいしいコーヒーだろうと思った。

「美紀さん、警察の方はどうなっていますか?」

朝の穏やかな雰囲気に全く合わないような話題で、美紀さんも一瞬息が止まったようになったが、すぐににこやかに笑って、

「早朝に連絡がありました。復旧は午前中で終わるみたいです。警察もそれから来るみたいですね」

そうですか、と言って居石は黙ってコーヒーを飲んだ。

堀田も口をつける。酸味と苦みが丁度よく、また朝の目覚めにぴったりのコーヒーだった。

「美紀さん、美味しいです」

淹れてくれたことへの最大限のお礼を言った。

美紀さんはカウンターの裏で笑顔で返してくれた。

「美紀ちゃん、お母さんに負けないようなコーヒーを淹れるようになったね」

仁科さんも賛辞を贈る。

「ありがとうございます。その言葉だけで努力の甲斐がありました」

数分後、テーブルに並べられた朝食もおいしくいただいた。

美紀さんは「あまり材料がなくて、大したものが出来ませんがご容赦ください」と言っていたが、日頃、朝食抜きもしくはコンビニのおにぎりを頬張るような食生活の人間にとってはありがたいことこの上ない。

扉が開いたので目を向けると三橋さんがやってきた。

最も離れたテーブルに着席する。目が合ったので、軽く会釈をした。

着席と同時に美紀さんがコーヒーと朝食の皿を並べる。

時間をかけて味わって食べ終えた頃、今度は食後のコーヒーが置かれた。

全員がコーヒーにありつけた頃、美紀さんも三橋さんのテーブルに座ってやっと

一息という感じでコーヒーを飲み始めた。

「さて」

向かいにいたはずの先輩がカウンターに移動していた。ご丁寧にコーヒーカップも持っている。

「本当は飯を食べる前の方が頭に血が回っているんで都合が良かったんですけど。せっかく作ってくれたご飯を冷ますのは気が引けるので食べてしまいました」

全員が居石を見る。

「居石君、どうした?まだ酒が残っているか?」

「大丈夫です。僕は酔いません」

全員が『嘘だ』と思ったに違いない。

「もう少ししたら警察が来ます。それまでに花畑さんが刺された事件について、少し俺の話を聞いてもらえませんか?」

そこまで言うと居石は黙ったが、その場にいる全員が黙って居石を見ていた。

「それはどういうことだい?」仁科さんが口を開く。

「皆さんはどう思っているかわかりませんが俺は」

居石はそこまで言うと

「花畑さんは殺されたと思っています」

ショッキングな言葉だとは思うが、意外に場は静かだった。大人になるとこんなも野なのだろうか?

あくえりあすのメンバーは全く表情を変えずに居石を見ていた。

「あの、居石君、状況が飲み込めない」西田さんが言った。

「やはり酒が残っているんだなぁ」田辺さんが目を細くして言った。

「あ、あのですね」堪らず口を出す。

昨日部屋で話したことをかいつまんで説明する。

花畑さんの自殺はありえないこと、外部犯の可能性も考えられないこと、殺害方法について。

皆さん幸いなことに黙って聞いていてくれた。居石までも。

一通り説明し終わると、また静寂が訪れた。居石も黙っている。

それぞれの頭の中で消化する時間を作っているのだろうか?

「君の話は分かった。つまり君たちは我々の中に花畑さんを殺害した人間がいるということを考えているのだな?」

田辺さんが言った。いつの間にか堀田も同類になっていた。居石の話に口を挟んだ代償だろう。

「そうです」

「動機はなんだ?」田辺さんは落ち着いた様子で言う。

「知りません」居石は簡単に言った。

「は?」田辺さんは気の抜けた声を出した。

「それは僕が知る必要ありませんよ。それに考えても意味ないでしょう。全員にあるでしょうからね」

またも全員黙っている。これは肯定の沈黙ということだろう。

「居石君、君はこの中に殺人を犯したものがいると言っているが、それは無理なのではないか?」

仁科さんが言う。

「どうしてでしょう?」

「君らも話しただろうが、花畑さんが殺された場所はお風呂だ」

仁科さんはゆっくりとした口調で話す。

「お風呂にナイフを持ち込むことは、君らも言っているがかなり難しいのではないか?手に持って入っていったらそれこそ気付かれてしまうだろう?」

居石は黙って聞いている。

「タオルとかに隠して持って入ることもかなり困難だと思う。自分自身を傷つけかねない」

居石はコーヒーを一口飲んた。ゆっくりとカップをカウンターに置いた。

「その点に関して何ですが、仁科さんの仰る通りです」

仁科さんは鼻から息を漏らした。

「ナイフを浴室に持ち込むことはちょっと難易度が高いと思いますし、花畑さんが気付くはずですね」

昨夜もこれは答えが出なかった。

「だから、俺はこう考えました。ナイフは浴室に持ち込んではいなかった、と」

どういうことだ?ナイフを持ち込んでいなかったから刺すことは出来ないではないか?

同じことを全員思ったらしく、全員困惑の顔をしていた。

「どういうことだ?」

西田さんが言った。

「そのままの意味です。浴室にナイフは持ち込まれなかったって言うことです。花畑さんが気付かず、刺した本人も無理する必要はないやり方を考えると、そう考えるのが適切だと思います」

「ちょっと待て」

田辺さんが手を広げて止めた。

「はい、なんでしょう」

「言っていることが矛盾していないかい?ナイフを持ち込めなかったら、浴室で刺すことは出来ないだろう」

居石は黙って聞いている。

「やはりナイフは持ち込まれたのではないか?風呂桶に入れて持ち込むことは出来るだろう」

仁科さんが思いついたように言った。

「仁科さん、無理じゃないっすかね。風呂桶は浴室にしかないでしょう?あ、皆さんの中で自分の風呂桶を持っている人いますか?それだとまた話は別ですけれど」

みんな黙っていた。

持っていない、っていう意味だろう。確かに持っていた記憶はない。

ふと思いついたことがあった。

でも変なことにならないだろうか?

まあ良いや居石が何とかしてくれるだろう。

「要さん、もしかして浴室で刺されたと考えることが間違っている?」

今度は堀田に全員の視線が向く。

居石はニコッと笑った。

「いいセンだな」

いいセン?どういうことだ?

自分で口に出すより先に仁科さんが口火を切った。

「居石君、余計わからない」

やれやれといった調子で腕を組んだ。

「ナイフを持ち込むことができない、ならば被害者の方が移動した、と考えた方がすっきりするでしょう?」

居石は言った。

「花畑さんが移動した?立って移動したのですか?」

動揺しているのだろうか、三橋さんが変な質問をした。

「もちろんですよ三橋さん、立って移動した以外にありません」

居石は丁寧に三橋さんの質問を受けてから答えた。

「そう考えれば、花畑さんが倒れていた場所も説明が付きます」

「居石君、ちょっと待ってくれ。あそこは床が滑りやすくなっていて立つことすらできないんだぞ?そんなところに花畑さんも刺した人間もどうやって立っていたんだ?それに、ナイフが持ち込まれなかったことについての説明にはなっていないだろう?」

西田さんが言った。

「すみません、順番に説明したほうが良いですね。この状況は有機的に繋がっているんです」

居石はそう言うと、すっかり冷めているであろうコーヒーをまた一口飲んだ。

「ナイフから片付けましょう。さっきも言った通り、ナイフが浴室に持ち込めなかったのは間違いないと思います。でも、実際に花畑さんはナイフで刺されている。ではナイフはどうやって持ち込まれ、花畑さんは刺されたのか?そこまで考えた時に俺は考え方を変える必要があると思いました」

居石はポケットから煙草を取り出した。そして、美紀さんに煙草を持っている手を挙げて、吸っても良いか?という意味のジェスチャをした。

美紀さんが気付いて立ち上がり、カウンターの中から灰皿を差し出した。

煙草に火をつけた居石は一吸い、二吸いして灰皿に灰を落とした。

「それまで俺は浴室に持ち込まれたナイフで花畑さんをどうやって刺したかと考えていました。だから訳が分からなくなっていたんです。この二つが全く別のタイミングで生じたと考えてみたらどうだろうと思いました」

全員がじっと居石を見ている。

「そうやって考えるどうなるんだ?」田辺さんが身を乗り出して言う。

居石は田辺さんの方を見る。

「はい。最初にナイフが浴室の手前まで持ち込まれるというイベントが起きて、それから時間をおいて花畑さんが刺されたというイベントが起きたということです」

「何が違うんだ?」

「全く違います」

居石は即刻否定する。

「ナイフは浴室には持ち込めない。これは持ち込むであろう人間が裸であるということが障害になっています。お風呂に服や鞄を持って入る人はほぼいないと言って良いでしょう」

「髭剃りや洗顔の道具を持って行く人はいると思いますけれど」

美紀さんが言った。女性らしい意見かもしれない。

「それでも中身がわかるような透明なポーチだったり、メッシュ生地だったり、お風呂に持って行ったとしても脱衣籠に置いておくのが多いと思います。お風呂に持って行くと濡れてしまいますからね。ちなみに昨日お風呂に入った時にそのようなポーチを持って行った方はいますか?」

誰も手を挙げない。居石も中で髭を剃っていたが、脱衣籠で髭剃りだけ持って浴室に入っていった。

「そうすると最低限浴室に持って行くのは身体を洗うタオルだけです。その場合そのタオルにナイフを隠していくことが必要ですが、かなり無理があると思います。無理して包んで行っても持ち方が不自然になるでしょう」

身体を洗うタオルくらいの大きさだとかなり無理しそうである。

「その点、浴室手前まで持ち込むことは難しくなさそうです。バスタオルくらいあれば隠せると思います」

居石は冷めたコーヒーを飲み干す。きっとおいしかったのだろう。煙草も灰皿ですりつぶした。

「つまりナイフは脱衣所のところまでは持ち込まれて、そこで隠されたということです」

ナイフは脱衣所にあったのか。

ナイフをバスタオルに挟んで持ち込む。自室で準備して持ち込めば可能か。

でも堀田が知る限り全員バスタオルを持っていたし、全員が脱衣所でどのような行動をしていたかを見てはいない。誰でもできたということか。

あれ?でも。

「ちょっと待ってくれ、居石君、そうなると誰かがナイフを隠してその後にそのナイフを使って刺したということだな。でも私と西田君と堀田君は、脱衣所で花畑さんの髭剃りを探している。その時にあらかた探したがナイフはなかったぞ?」

そうだ。仁科さんと西田さんと自分で花畑さんの失くした髭剃りの捜索のために脱衣所をしっかりと探したはずだ。しかしそのような物騒なものは見つからなかったはずである。

「堀田に聞きましたが、確かにおっしゃる通り、何も見つからなかったと思います。でもその認識は違いますね」

居石は言った。

「要さん、僕も見ましたけどなかったですよ?」

あの派手なナイフならば見落とすことはなかっただろう。

「いや、お二人が探したところにはなかったはずですよ」

二人が探したところ?仁科さんと目を合わす。

次の瞬間仁科さんと二人でその人を見る。

「その時にすでにナイフはあったんですよ。脱衣所と浴室との間にある二重扉、そこにある珪藻土マットを置いてあるスノコの下です。ですよね?西田さん」

西田は冷めた顔で居石を見ている。

その場の全員が息を飲む音が聞こえた気がした。

「おい居石君、ちょっと度が過ぎやしないか?個性的で面白いやつだと思っていたが、そんな人を貶めるようなことを平気で言うやつとは思わなかったぞ」

田辺さんが低い声で言う。

「そうです。彼はそんな人ではありません」

美紀さんも震えた声で反論した。仁科さんも憤慨だと言わんばかりの顔である。

居石を見ると、とても悲しい顔をしていた。

まさかさんざん言われて落ち込んているのか?そう思ったが、次の瞬間には元の顔に戻った。見間違いだろうか?

「適当に言っているわけではないです。ナイフの隠し場所に関しては、脱衣場の捜索で見つからない以上、そこしかありえません。脱衣籠置き場に洗面所、掃除用のロッカーぐらいですからね。僕らがここにお邪魔した時、しばらく皆さんとお話しをしていたら、三橋さんがお風呂の掃除をして出てきました。お風呂があるということを僕らはその時に知りました。その時に脱衣場も含めて掃除や準備をしているはずなので、ナイフはそれ以降に隠されたということになります」

居石は冷静に話し始める。

その場の全員、大なり小なりの怒りを持っているようだが、まだ居石の話を聞こうと射してくれている。

「一旦、浴室を使用した人間について、堀田にも聞いて浴槽に入った順番を整理します。最初に田辺さんが入ってしばらくして出てきました。次に西田さんがと僕らが入り、仁科さんが入ってきました。それから西田さんがお風呂を出て、花畑さんが入ってきて、仁科さんが出ましたね。それからしばらくして僕らがお風呂を出ました」

居石は全員を見る。無言の肯定だろうが、依然としてピリピリとした雰囲気が漂っている。

「恐らくこの時に西田さんはナイフをスノコの下に隠したのでしょうね。花畑さんが入ってくるまでに時間がありましたから。バスタオルの間に入れておいたナイフをスノコの下に隠してから脱衣所を出たんです」

居石は西田をちらっと見た。

「それから飲み会が入り口前のテーブルで開かれました。すでに田辺さんが飲んでいましたね」

田辺はふんっと花を鳴らした。

「その傍で仁科さんが土嚢を積んでいたのを堀田が手伝い、僕と田辺さんは飲んでいました。その間に三橋さんが入り、作業で汗だくになった仁科さんが入りました。その時に花畑さんが脱衣場で騒いで西田さんと堀田が見に行って、脱衣場で髭剃りを探すことになりました。その時、脱衣場で髭剃りを探したのは仁科さん、西田さん、堀田で三橋さんは花畑さんを抱えて浴室へ戻っていきました」

そこでいったん区切り居石はコーヒーを飲む。

「ちなみに美紀さんは除外していますから」

そう言って続ける。

「髭剃りを見つけ終わった皆さんのその後ですが、仁科さんは風呂に入るということで残って、西田さんと堀田が戻ってきました。それから三橋さん、仁科さんの順で戻ってきた。そして長風呂が好きだった花畑さんにしても度が過ぎるということで西田さんが見に行ったら」

そこまで言って、居石は右手で握り拳を作り胸を叩くようなジェスチャをした。

「さて、ちゃんと整理すれば、脱衣所で髭剃りの捜索をするまでは花畑さんは生きていたはずですよね。だからそれまでずっと飲んでいた田辺さんは除外されます。殺害のタイミングは脱衣所捜索以降に絞られます」

容疑者候補の残りは三橋さん、仁科さん、西田さんである。

「もし仁科さんだったら、スノコの下を自分で調べるはずです。それを西田さんが行っている。このことから除外します」

「ちょっと待ってください。スノコの下にナイフがあったことは確定なのですか?」美紀さんが言った。

「はい。確定です。これはナイフを刺す方法にも直結するので説明はもうちょっと待っていてください」

美紀さんは口を開けたまま黙った。

「三橋さんですが、浴室内で刺すことが出来ないとすでに説明しましたので、この時点で除外しても良いのですが」

居石はそこまで言うとテラス側の窓に向かって歩いて行った。

「ここに来るのは今日が初めてでしたのでこのテラスがあることを知りませんでした。ここから外にも出られますね」

「ここから出られると三橋さんにも殺害できるということになるのか?」

仁科さんが居石を目で追いながら言う

「では殺害した方法について、具体的にはどうやって花畑さんを刺したかということについてですが」

居石は仁科さんの発言を無視して言った。

「花畑さんがここで美紀さんと女将さんと話をしていた時に今日は約束があるからといっていつもより早めに出て行ったと言いましたよね?」

居石は美紀さんを見る。

話を振られた美紀さんは若干動揺したがすぐに、はい、と言った。

「花畑さんはお風呂で会う約束をしていたと言っていたようです。俺はその相手が西田さんだと思っています」

美紀さんが驚愕の目で西田さんを見る。

「それも計画の内だと思います。これで花畑さんはお風呂に足止めされます。外にいる我々からしてみれば、長湯が過ぎると感じるくらいに」

西田さんはじっと前方だけを見ている。

「そこで、西田さんは様子を見てくると言って浴室に向かう。脱衣場に入った西田さんはすぐに二重扉の脱衣所側だけを開けてスノコからナイフを回収します。扉は気密性が高いから余程注意して見なければ浴室側からは脱衣所側の扉の開け閉めがわかりません。ナイフを準備した西田さんは浴室側の扉を半分開けて、花畑さんを呼びます。適当なことを言って自分が立っているところまで来てもらいます。この時花畑さんはさすがの長湯で多少のぼせていたと思います。近づいた花畑さんの胸に向けて西田さんはナイフを突き立てます」

西田さんは一瞬ピクッと身体を動かした。

「西田さんはナイフを突き立てたことを確認すると、花畑さんの身体を思い切り蹴ったんです。前蹴りのようにですね。吹き飛んだ花畑さんはヌルヌルになった床に落ちて、さらに勢いで左手のカランの前まで滑ったんです」

唖然とした。まるでカーリングのように滑る花畑さんを想像してしまった。

「これをしないと、扉近くで倒れていることになって第一発見者である自分が疑われますからね。結果、ヌルヌルの床で刺されているというあの状況が出来てしまいました」

居石はゆっくりカウンターに戻って煙草に火をつけた。

「三橋さんでも同じことが出来るだろう」

西田さんが言う。しばらく声を聴いていなかった気がする。

「浴室から出た三橋さんが喫茶店のテラスから裏手に出て、浴室のドアではなくボイラー室のドアから居石君が言った方法をとることも出来るだろう?ナイフはボイラー室のどこかに隠していたんだよ。ほら、僕だけが出来たわけではないだろう?」

西田さんが少し笑ったと思った。見間違いかもしれない。

「いえ、西田さん、三橋さんはボイラー室からこの方法で殺していません」

「なんでそんなことが言える?」

「まずボイラー室にはナイフを隠しておける場所がありません。昨日ボイラー室に入れてもらって確認しました」

「ボイラーの窯の中に入れておけば良いだろう?」

西田さんは投げやりに言う。

「熱くて持てませんよ」

居石はさらっと言った。

「ボイラー室には三橋さんしか入らない。隠す必要もないだろう。そこら辺の棚にでも置いておけるのでは?」

「諦めないですね。それでも三橋さんはやっていません」

居石はきっぱりと否定した。

「あの日、三橋さんがお風呂を出て再び正面から浴室には入っていません。これは男湯女湯どちら側からもありません。だから実行するならばボイラー室と浴室との間にある扉から刺したということになります。でもそれは行われなかったんです」

「見てもいないのに適当なことを言っているね?」

「いいえ、適当ではありません。あの日、あなたが脱衣所で腰を抜かしていた時に、現場をすぐに確認しました。その時に、左右のカランの鏡が曇っていたんです」

「鏡が曇っていた?それが何なんだ?」

「ボイラー室と浴室との扉のすぐそばには外に通じる扉がありました。昨日は朝からとても寒くて、俺もアロハ出来たことを後悔するくらいでした。あの部屋との扉が開かれれば外の冷気が一気に左側のカランの方から流れ込むことになります。でも脱衣所と浴室との境目には二重扉があります。あの扉は冷気が浴室に流れ込まないように気密性が高く作られている上に、押さえていないと勝手に閉まっていきます。だから脱衣所側から刺した場合は浴室側の気温低下はほとんどなかったと思います。でもボイラー室側から同じことをしようとすると脱衣所側より温度が低くなるんです。その場合、左側のカランの鏡は曇っていないはずです」

だから、と言って居石は続ける。

「最後に浴室に入った西田さんが刺したんです」

今度は誰もが西田さんを見ていた。

西田さんは顔を上げて居石に何か言おうとした。それを制するように

「ちなみに、僕らが風呂を出て以降、誰も正面玄関から出ていませんし、入ってきてもいません。仁科さんが積み上げた土嚢が崩れずにいたからです。ここの扉は引き戸ですからね」

誰か入ってきたら土嚢が崩れます、そう言って居石はタバコに火をつけた。

「蛇足ですけど」そういうと居石は煙を吐いた。

「花畑さんに刺したあのナイフですけれど、恐らく盗まれたのは一本だけじゃなかったかなと思っています」

居石は西田さんを見た。

「最初に盗まれたのを発見したのは西田さんだったそうですね。多分残っていた一本を西田さんが盗んで今回使ったのではないでしょうか?」

美紀さんが口元に手を当てていた。



「どうしてもあいつが許せなかった。この店が、柳本さん達が不当に追い込まれていることも許せなかった。あいつは悪魔だ。悪魔を成敗して何が悪いんだ」

西田さんがポツリポツリと話し始めた。

誰もがそれに聞き入っていた。

堀田は西田さんの気持ちが理解はできた。確かにここは心地が良い。失くしてはもったいないと思う。

でも殺人まで犯すことは理解できない。

他にやり方はなかったのだろうか、

先程から考えている。

そんな方法なんてなかったのだろうか。

先程から皆何も言わない。

「あの、西田さんを警察に引き渡すのはやめませんか?」美紀さんがぽつりと言った。

田辺さん、仁科さん、三橋さんはそれぞれテーブルを見つめていたり、目を瞑って腕を組んでいたりと誰も返答しない。

「美紀さん、あの、完全に部外者の人間ですけれど、やはり人を殺したっていうのは罪だと思うんです。いくらひどいことをしていても、それは人を殺してよいっていう理由にはなりません」

きっと美紀さんも判りきっていることだと思う。でも、誰かが言わなければいけないと思った。

「堀田君、すまない、君にそんなことを言わせてしまった」

西田さんが謝罪する。

「居石君、ありがとう。君が止めてくれなかったら、自分に嘘をついて生きていくことになっていた」

居石にも謝罪した。

「皆さんも申し訳ありませんでした。皆さんにとっても大事な場所を守る目的とは言え、この場所を血塗られた場所にしてしまった。本当に申し訳ない」

頭を下げる。

「もういい。お前のしたかったことをしたんだろう。お前は満足かもしれないが、ただ人の道を外れたことをして、それで満足だったのか、時間をかけて考えてこい」

田辺さんは席を立って喫茶店を出て行った

出て行くときにちらりと居石と目が合ったが、そのまま出て行った。

「君の撮影した写真からは、君がしたことを想像できないんだがなぁ。残念だ」

それだけ言って仁科さんも出て行った。

「悲しいです」

三橋さんはそれだけ言うと深くお辞儀をして出て行った。

そこに残っているのは僕らと美紀さんと西田さんだけだった。

喫茶店の電話が鳴る。

美紀さんが電話に出る。

しばらく話した後、電話を切った。

「あと一時間ほどで道が復旧するそうです。警察も手伝っているそうなので、復旧次第飛んでくるとのことです」

か細い声だった。

その報告を聞くと西田さんは胸ポケットからデジカメを取り出した。

そして、テラスの窓に近づくと、晴れ間が見えてきたダム湖に向けてシャッターを押した。カメラのモニタを見ながら、

「最後の写真がダム湖っていうのも運命かもな」

そういうと、じっとモニタを見つめていた。

しばらく見ていた西田さんがパッと顔を上げた。

「すまないが行きたいところがあるんだ。必ず戻ってくるから心配しないでくれ」

そう言うとデジカメをテーブルに投げるように置いて、喫茶店側のドアから出て行った。

「要さん、西田さん大丈夫かな?」

「まあ、俺らは警察じゃないしな。義務じゃない。でも、大丈夫だと思うよ。あの人は逃げない」

そう言って、西田さんのデジカメを手に取った。

その写真を見た居石は動きが止まった。じっとその写真を見ている。

「がくちゃん、車出るかな?」

「あ、はい。大丈夫だと思いますけど。何でですか?」

「やっぱり、西田さん追いかけよう」

そういうと、こっちの返事も待たずに飛び出して行った。



堀田が居石の後を追って外に出ると、居石はすでに車の所で待っていた。助手席の扉をガチャガチャ開けようとしている。

「ちょっとガチャガチャ辞めてください。わかりましたよ。開けますから」

そう言って運転席の扉を開けて助手席のロックを解除した。

「さあ、早く行こう。まだ遠くには行ってないはず」

堀田はエンジンを始動させてアクセルを踏んだ。

敷地を出ようにも、どちらに進んだらよいかわからない。

「要さん、どっちっすか?」

居石は窓を開けて身を乗り出し、きょろきょろとした。

「がくちゃん左折だ」

言い終わる前には、アクセルを踏んだ。

車があくえりあすの敷地を出る。数秒走らせると、堀田の目にも西田さんが走っている姿が見えた。

車はすぐに西田さんに追いついた。

「西田さーん」居石は声をかける。

車を西田さんの横につけた。今は対向車も後続車もないだろうから、道のど真ん中に大胆に止めた。

「あれ、二人共、なんで?」

ずっと走ってきたのだろう、西田さんの息はすっかり上がっており、しゃべるのもしんどそうだった。

「とりあえず車に乗ってください。あそこに行くんでしょう?」

居石は指さす。そこは軍持ダムの天端だった。

西田さんは何も言わずに驚愕の顔を浮かべていた。

すぐに堀田の車の後部座席に飛び込むようにして乗った。

堀田は車を発進させる。

「なんで僕がダムに行こうとしているとわかったんだ?」

居石はデジカメを手渡す。

「なるほど」

それだけ言うと西田さんはまたデジカメを返却した。自分のものなのだからそのまま持っていれば良いのにと思う。

「何が映っているんですか?」

ハンドルから手を離せないために確認することができない。

誰も答えてくれない。

車は軍持ダム天端の道路とダム下流へと下る道の分岐点に近づいた。真直ぐ行くと自分たちが昇ってきた道になる。

「左折だ」居石が言った。

真直ぐ言ってもまだ開通はしていないだろうから、左しかないが。

軍持ダム天端への道を選択する。

湾曲しているアーチ部を進む。

そのアーチ部の突端、上に凸の二次関数としてみた場合の最大値を取る部分に人が立っている。

「手前で止めてくれ」西田さんが言った。

車を五メートルほど手前に止めた。

その人物は、歩道部分に設置されているアルミの柵に寄りかかってダム湖を見ていた。

その容姿が頭に黒いタオルを巻いて、上下が黒の作務衣、そして雪駄を履いている。ダムと全く合わない格好をしていた。さらに作務衣に似つかわしくないベルトを腰に巻いていた。

「君らはここで待っていてくれ」

西田さんはそう言って車を降りていった。

居石は助手席のパワーウィンドウを下げた。自分も同じように下げる。

「要さん、なんで西田さんを追いかけてきたんですか?あの写真を見てからですよね?あの人が映っていたんですか?あの人誰です?」

矢継ぎ早に質問をした。落ち着け自分。

「追いかけてきたのは念のためだ」

居石は落ち着いた声で言った。意味が分からない。

あいつはな、と居石は続けた。目線は前方の二人から外さない。

「やべぇ奴だ」一言だけ言って黙った。

視線を戻すと、西田さんが歩いてその男に近づいているところだった。

開いた窓からかすかに声が聞こえてきた。

「久しぶりだな。五年ぶりかな。元気していたか?それにしてもお前ってそんな感じだったか?」

西田さんが黒作務衣の男の隣に同じ姿勢で並んで言った。知り合いだったのか?

「いい風ですねぇ。ダムは本当に大きいから好きですよ」

黒作務衣の男は体の向きを変え、ダム湖を背にした。手すりに体重はかけたままだ。

「僕はこんな感じですよ。いつも元気一杯です」

黒作務衣は力こぶを作る真似をする。そして続けて

「そちらはどうですか?水元さん?」

と言った。

「俺もこの通りだ。元気そうで良かったよ、刈谷」西田さんは言った。




「ああ、刈谷って名前、嘘です。本当は塗師明宏って言います。まあそれも本当かどうかは水元さんにはわかんないっすよね」

塗師はへらへらしながら言った。

「塗師明宏?お前刈谷雄二郎じゃないのか?」水元は狼狽した様子で言った。

「いやいや、あの時の刈谷ですよ。ただ刈谷雄二郎っていう名前は嘘なんですよ。わっかんないっすよねぇ」

水元は何も言えなくなっていた。

「水元さん、ここ覚えています?懐かしいですよね?ここで百田さんを殺害した犯人が逃げたっていうコントがあった場所ですよ」

そういうと塗師は水元の奥に止めてある車を見た。運転席と助手席にいる人影を確認する。

「あれま、お友達も連れてきちゃったんですね。ああ、面倒くさいやつもいるな、ま、いいか」

そう言って、塗師はしっかりと道に立った。

「呼びやすいんで、刈谷で言わせてもらうぞ」水元は言った。

「どうぞー」掌を水元へと向ける

「刈谷、あの事件は殺害犯が逃亡したっていうことだっただろう?何を言ってるんだ?」

「そうでしたね。その結果、あの時に点検に当たっていたメンバーは反百田派っていうこともあって風当たりが逆に強くなったんですよね。おかしい話ですよね。根源がいなくなったっていうのに」

水元は首だけ塗師の方に向けている。

「みんなは精神的に限界だったんだ。もう抜け殻のようになっていた」

「そうでしたね。それから警察の調査とかが入って、しばらくして皆さん退職されていった」

「ここにいるのが耐えられなくなってしまったんだよ。特に大窪は体調も崩していたからな」

「ああ、そうでしたか」

「それだけだよ」

塗師は首を上に向けて天を仰いだ。

「最初から外部犯にしたかったんですよね?」

「何の話だ?」

「水元さんなら知っていると思いますけど、ここってちょうどすべての監視カメラの死角になっているんですよね。玄関前の監視カメラでさえもここは撮影していない」

塗師は先ほどまでいた場所にもう一度立つ。

「ピンポイントでここって場所なんですよ。だから欄干にロープをかけておいたのでしょう?あんな鍵爪の付いたロープじゃあ怖いですよ。降りるの」

塗師は下を見る。

「ちょうどあの時くらいの水量ですね。ロープよりも飛び込んだほうが下手な遺留品を残さずに済みますよ。ね?変でしょう?」

水元は塗師をじっと見ている。

「刈谷、お前はまだあの事件の犯人がダムの関係者だと思っているのか?」

ゆっくりと言った。

「はい」あっさりと塗師は言った。

「というか、あなただと思っていますよ、水元さん」

水元は動揺することなくじっとダム湖を見ていた。

「あれ?期待していた反応と違うな。ええっとか言って欲しかったのに」

「ああ、すまんな、一日に二回も言われると慣れてくるよ」

「何言ってんすか?」

「まあ気にするな」

「はあ」

「俺が百田さんを刺したってことか?」

「そうですね。試験問題の採点で言えばそれだけだと部分点ですね」

水元は驚きと困惑が混じった顔をした。

「水元さんがやったんだろうなと勘のようなものがありましたけど、残念なことにこっちには警察みたいな捜査手法は無いですからねぇ」

そこまで言うと塗師は黙って水元の方を見た。

水元は覚悟を決めたような顔をしていた。

塗師はさらに続けた。

「あの時の点検メンバー、大窪さんを抜かした全員で協力してやったんですね?」

水元は何も言わない。

「刺したのは、状況的には水元さんだ。それ以外がバックアップしてやったんでしょう?」

水元はダム湖を見つめたまま何も言わない。

「何も言ってくれなさそうだから、勝手にこっちで喋っていますね。間違っていたら後で訂正してください」

そう言って塗師はまたダム湖を見た。

「まあ、僕は百田さんと仕事を実質したことはないからわかんないけど、話を聞くと出来る人だったみたいだね。でも、大窪さんにはひどい虐めだったらしいね。性的な。まあ、そんな奴に憎悪を抱くのはまったくもって当然と言えるから、最初に疑ったのは大窪さんだよね。でも監視カメラの映像を見ると、同じ時間帯にキャットウォークで作業していたから無理だなって思った」

塗師は水元の顔を見る。

「監視カメラといえば、同じ日に監視カメラが止まった事件があったよね?あの音響爆弾。あれは変だった。最初はサーバを止めたかったのかなと思った。五年前にも言ったけどサーバを止めるくらいならば壊した方が良い。でも、そうじゃなく短時間止めたかった。しかもタイマーを使っているくらいだから、指定した時間に止めたかった。そもそも管理事務所のサーバなんてネット環境くらいしか使っていないからテロ的な行為だとしたら大したダメージは与えられない。だからなんでだろうと思ったんだ。でも、サーバ室にはもう一つの目的があった。監視カメラの映像を録画していたハードディスクがあったんだよね。あわよくばハードディスクを使い物にならなくすることも狙っていたのかもしれないけれど、最低限タイマーでセットした時刻に監視カメラの映像が保存されなければ良かったのではないかと考えた」

塗師はなおも続ける。

「だから音響爆弾の意味は監視カメラを指定した時間に一時的に使い物にならなくすることで都合の悪いものを撮影できなくさせることだと考えた。これは、点検作業は監査廊ごとにやることが決まっているし、ローテーションで管理課の大半の人がすべての監査廊を点検しているから、監査廊ごとに作業の時間が把握できたっていうのも大きいね。ちなみに監視カメラが停止してから復旧までの時間も自分が一緒に復旧作業に立ち会うことで調節できる」

塗師は話し続けた。

水元はじっと話を聞いていたが、「おもしろい妄想だな」と言った。

「でしょう?こういう妄想好きなんですよ」

「まだ続きますよ」そう言って塗師は水元の顔に自分の顔を近づけた。

水元は全く塗師を見なかった。

「監視カメラが停止している時間帯で見られてはいけないものは何か?次はそれを考えた。単純に点検作業中の職員の姿を撮影されたくないってことだと思った。最初は百田さんの姿だろうかと思ったけれど、百田さんの担当しているキャットウォークにはカメラが停止する前に点検する人影があったんだよ」

そこまで言うと、塗師は「いやー」と言った。

「監査廊内部を点検していた職員の単独犯だとずっと考えていたんだけれど、それじゃあ無理だなと思った。百田さんがずっと点検をしていた痕跡があるからね」

水元が塗師の方を見た。

「だから、さっきも言った通り一人じゃないと思った。でも刺したのは一人だ。他の人間は刺した奴に指示されたことをやっただけだ」

ダム湖から吹いている風が水元の髪を揺らす。

「具体的には、殺された百田さんと動機がめちゃくちゃある大窪さん以外のメンバーだ。恐らく一番百田さんを殺害する動機があるのは大窪さんだ。だから大窪さんにアリバイがあるようにしなければいけない。それが大きな目的だと思う。つまり、点検中に百田さんが生きていることが証明されなければいけない」

水元は塗師から目が離せなくなっている。

「百田さんが刺されたのは多分上部監査廊に入って間もなくだと思う。第二管理事務所側の三人は第一よりも五分早く監査廊に入っている。同じ上部監査廊を担当した水元さんが、監査廊に入室後、すぐに第一まで走って行って百田さんを刺したんだ」

「面白い妄想だな」水元が言った。

「百田さんは背中から刺されています。しかも入り口に近いところでです。これはナイフを持って走ってきたあなたから逃げたんだ。それをあなたは追いかけて行って背中から刺した」

「それはないだろう。その後しっかりと百田さんがキャットウォークを点検していた映像が残っているし、共有フォルダ内にも上部監査廊の地震計の計測結果が残されていたぞ」水元は言った。

「地震計ですが、点検マニュアルの通り真面目に点検すると十分程度かかりますが、データを取るだけならばデータロガーのプリントボタンを押して、その時点での計測データだけ印字して持ち替えれば記入できます。僕が事務所で見た時は柴山さんがそのように作業していました。つまり、そのボタンが押せれば誰だって良いってことですよ。でも、上部監査廊ではマニュアル通り行われたはずですけどね」

水元は黙った。

「じゃあ、具体的に一人一人がどんな行動をとったか説明しますよ。百田さんはまあ良いですね。大窪さんと新崎さんはマニュアル通り作業しています。残りの三人についての行動についてですが、水元さん、あなたはさっきも言ったけれども閑散廊に入ってすぐに第一側まで走って行って百田さんを殺害します。その後は、戻って中央ドアから第二側の上部キャットウォークへと出て、後はいつも通りの作業です」

塗師は頭のタオルを外してまた巻きなおした。

「さて、ポイントは松田さんと柴山さんです。彼らはかなり頑張りましたねぇ。松田さんは若いですねぇ」

水元は目を閉じた。何かを思い出すようにしている。

「二人の点検時間に着目しました。監査廊入室時刻と退出時刻との差を点検時間とします。松田さんが四十三分間で柴山さんが三十九分間だったんですよ」

「それがどうしたんだ?同じ中部監査廊で点検時間が異なっているのが変だと言うのか?」水元は冷静に言った。

「いいえ、松田さんが柴山さんより遅いことが問題なんですよ」

塗師はニヤニヤしながら言った。

水元はわからずにいる。

「松田さんはキャットウォークに出るまでにプラムライン室の点検をしています。中部監査廊のプラムライン室は大体三分ほどで点検が終わります。そこから順調に点検していけば三十二分で点検は終わります。いつもより松田さんは十一分遅く点検を終えているんです」

そこまで言うと一度塗師は話を止めて水元に向かって手を広げた。

水元が何も言わないでいると、また話し始めた。

「そこで考えました。松田さんはより時間のかかることをやっていると。それくらいの時間がかかることといえば地震計の点検しかありません。水元さんは基本的に他の皆さんには最低限の事しか言ってないと思いますから、松田さんは真面目に地震計の点検を行ったんだと思います」

「なぜ松田さんだとわかるんだ?俺かもしれないだろう?それにどうやって上部監査廊に行くんだ?監査廊を出ると退出記録が残るだろう?」

「それはないっす。さっさと戻って音響爆弾の方の対応をしなければいけないですから」

水元はまたも黙った。

「松田さんしかできないんですよ。第二管理室側の中部監査廊にいた松田さんしかね」

「どういうことだ?」

「中部プラムライン室にはバルブへと向かうハッチがあります。そこからバルブに行けますね。そしてバルブがある空間には上部監査廊に行けるハッチもあるんですよ。そこから松田さんは上部監査廊に行ったんです。僕はこっそりと後でダム内部を調査した時に見つけましたけどね。最初に新崎さんとバルブ見学した時には新崎さんに止められましたからね。あの上部ハッチを見られたくなかったんですか?水元さんの指示だったんですかねぇ?無粋ですけど」

そういって塗師は含み笑いをした。

「だから、あの時に監視カメラに映った上部キャットウォークの百田さんと思われる人物は松田さんってことです。全員作業服だし、同じおっさんですし、あ、失言でしたね。その後は第一側のキャットウォークにあるドアから監査廊に入って第二側まで戻って、事務所に帰ってきたんです」

塗師はまた含み笑いをする。

「だから松田さんは監査廊内部の点検は結構早歩きだったんじゃないですかね?エグいことしますねぇ」

「だとしたら、そうだ、松田さんは百田さんの遺体を見ているはずだろう?仮に俺がそんな指示を出したとしても、遺体が出ることまではわかっていなかったはずだ。だとしたら点検どころの話じゃないだろう?」

「百田さんの倒れていた位置は監査廊の入口よりですからね。ダムのアーチ構造でキャットウォークから監査廊に入る扉の所からは見えませんよ」

「じゃあ、松田さんが点検する予定の第二側の中部キャットウォークの点検は誰がやるんだ?」

「柴山さんしかいないでしょう」

またも水元が黙る。

「柴山さんも第一側の監査廊に入室した直後走って地震計まで行きます。そしてデータロガーのプリントボタンを押してデータを印刷した後、今度は中央ドアから出て第二側の中部キャットウォークを点検します。監視カメラ側から見れば松田さんが出てきたと思うでしょうね。監視カメラからは顔わかんないから」

塗師は作務衣の襟に右手の親指だけを入れて腹の方へ落とした。

「ここからがポイントなんですけれど、ちょうどキャットウォークの途中にあるドアから柴山さんが監査廊に入った時くらいに監視カメラを停止するようにタイマーを仕掛けておきます。その時、柴山さんはまた中央ドアに戻って外に出て、今度は第一側のキャットウォークを点検したんです。そしてまたキャットウォークのドアから中に入って、第一側に帰っていったって感じです」

「待て、柴山さんが第一側のキャットウォークを点検したかはわからないだろう?監視カメラ自体が停止していたのだから、そんな行動をとっていたとも断定できない」

「いえ、少なくともいつも通りの点検はしていません」

「どうして?」

「第一側の中部監査廊に雨が吹き込んだ跡がありました。あの雨は十五時半から四十分までの十分間振りましたが、通常のタイムスケジュールだと柴山さんはその時間にはすでにキャットウォーク上にいなければならないし、点検終わりには雨は止んでいますから雨が吹き込んでいる跡は監査廊側には残りません。検討していないメンバーでこの状態になるのは柴山さんしかいませんからね」

水元は欄干にもたれかかった。

「満足してもらえました?それにしても、よくこんな指示出せましたね?」

「最初は不思議がっていたよ。その時は百田さんからの指示だと言って納得させた」

「皆さんには本当の目的を話したのですか?」

「ああ、ダムを辞めることを決めた時に全員に話した。大窪も含めてな」

塗師は腕組みをして聞いていた。

「そうしたら、俺を警察に突き出すことなく、俺らも辞めると言って全員辞めた」

「ほおーなんていうか、アホですねぇ」

水元が鋭い目で塗師を見る。

「ああ、失礼失礼、失言でしたね。価値観っていうやつは人の数だけあるはずだと理解しているつもりでしたが、何とも次元の違う価値観だと素直な気持ちが出るもんですね」

二人の視線がぶつかっている。

「だから、あくえりあすで人を殺すのもためらいがなかったんですねぇ」

水元は目を見開いた。

「知っていたのか?」

塗師は水元に左の耳を見せる。そこには耳栓のような黒いものが入っていた。

「最近は違法なのか合法なのか良く分からない機械が簡単に手に入りますからね。ずっと聞いていましてね。あなた方が五年前と同じ七月二十六日にここに集まるって情報を小耳に挟んだので、仕掛けさせていただきました」

水元はしっかりと塗師と向き合った。

「あくえりあすから双剣を盗んだのはあなたですよね?もちろん二本とも。後ろの車の子が一本だけ盗んだって行った時、ちゃんと否定しなきゃ。盗んだ時からこうなると考えていたとは思いませんが、あなたとしては何としてでもダムでの殺人を外部犯にしたかったんでしょうね。無理してまで外部犯ってことになってしまった」

塗師は五年前の欄干の鉤爪のように右手の三本指で欄干に引っ掛けた。

「あわよくば、あくえりあすの殺人も五年前と同じ逃げた外部犯に仕立て上げたかったんでしょうね。後ろの子がいなければ」

そう言って塗師は水元の後ろの車を指差した。

「それにしても驚きましたよ。五年前にダムを辞めてった皆さんが向かいの土産屋さんに集まっているんですからね」

塗師はダム湖の奥にあるあくえりあすをじっと見ていた。

水元は一瞬居石達を見る。

「ええと、まずあなたが西田って名前になっていたね。あと大窪さんが柳本美紀?それで新崎さんが田辺で松田さんが三橋で大窪さんのこと『お嬢』って言っててちょっと面白かったっすよ。あと柴山さんが仁科だったかな」

塗師はこめかみに指を当てて思い出すようにして言った。

「頼む、ダムの事件についてはお前も黙っていてくれ」水元は頭を下げた。

塗師は再び後ろの車を指差す。あいつらはどうするんだ?と言う意味である。

「彼らには僕からしっかり説明する」

「残念ですが僕が黙っているメリットはないです。善良な市民ですからね。しっかりと警察に説明しなければいけませんねぇ」

「人を守っただけだ。そう、このダムと同じだ。もう自分の大切な人がくだらない悪意に心を折られるのが嫌なんだ」

「スゲー自分勝手だな、あんた」

水元は周りの空気が一瞬にして緊張感に包まれているのを感じた。

「どうしても黙っていてはくれないんだな」

水元は拳を握った。

「話せばわかってくれると思った僕がアホだったみたいだな」

塗師は水元と後ろの車にいる居石を同時に見た。

水元が動くのとほぼ同時に居石が車のドアに手をかけていた。

水元が両腕を伸ばして塗師の首をめがけて飛びつく。

塗師はバックステップで躱しながら両腕を腰の後方に回す。

着地と同時に右脚を軸に回転する。回転しながら腕を引き抜くような動作をした。

居石は車を飛び出して塗師と水元の方に走ってくる。

水元は再度塗師へ向けて飛び込んだ。

引き抜くように広げた塗師の両手にはカランビットナイフが握られていた。

カランビットナイフとは、鎌や鍵爪のよな屈曲した刀身を持つナイフである。そのナイフが両手に握られていた。先程から塗師が背中を見せなかったのはこのためである。作務衣に合わないベルトをしていたのも背中の腰の部分にカランビットナイフのホルスタを装着していたためである。

塗師はカランビットナイフを逆手に持っていた。拳を握りしめるとナイフの刀身が小指側から爪のように出る形になる。

塗師に飛びかかろうとしている水元の右手首を塗師は左手で掴む。

カランビットナイフのハンドルエンドに指を通すリングが付いている。塗師のように逆手で持つ場合は人差し指がリングに通る形になる。

そのために水元の手首を掴むことが出来た。

塗師は水元の右手の肘を曲げるように力を籠めると同時に右手のナイフで水元の肘の内側を切りつけた。

「ぐわ」という声と共に、水元は左手を右手の肘の内側に当てた。

間髪入れずに塗師は右手のナイフを順手に持ち替え、右膝の裏側を切りつけた。

水元は力が入らなくなりその場に倒れようとする。

塗師は水元の体の後ろから回り込み左手のナイフで水元の首を切りつけた。

それと同時に、塗師は前方に吹き飛んだ。

両手をついて着地し、そのまま体勢を立て直す。

すぐに向き直して構えると、居石が側頭蹴りの体勢で立っていた。水元の脇には堀田もいた。

「がくちゃん、救急車呼んで。もう道も通れるはずだ。警察のサイレンの音が聞こえる」

塗師は一度体の力を抜いた。

「ふー、出てきちゃったよ。お前とはやりたくないんだよ。わかる?」

「わからねえな」居石は構える。

「要さん、相手ナイフ持っていますよ」堀田が震える声で言った。

「ああこれ?」塗師は両手を開いて見せる。

「お前には使わないよ。勿体ない」塗師はベルトのホルスタにナイフを戻した。

「ベルトごと捨てろ」居石は言った。

「嫌だよ。俺の指紋狙っているだろう?俺は警察が来たら逃げるから、ギリギリまで時間を稼いでホルスタを置いて行かせようってことだろ?」

居石は一瞬動揺した。図星だったからだ。

その隙を塗師は見逃さなかった。

素早く欄干に足をかけてダム湖に飛び込んだ。

「くそ」

居石は急いでダム湖を見る。

塗師はダム穴に向かって泳いで行った。泳ぐときもほぼ頭を出していなかった。そのままダム穴に滑り込んだ。

ダム穴はいわば大規模なウォータースライダーと言える。ダム湖側のダム穴から入ると、そのままダム内部を通って下流の川へと放流される。塗師はそのまま川を伝って逃走するつもりであった。

堀田が居石のそばに来た。

「あの人は?」

「最初からこれを狙っていたな。カメラに映らない死角を狙って行ったよ」

二人の耳に警察のサイレンと車の停車する音が聞こえた。




全く長い一日だ。すでに空は茜色に染まりつつある。

堀田と居石はダムの管理事務所に併設されている資料館のソファに座っている。

外では警察官がまだ捜査をしている。

あの後すぐに警察と堀田が連絡した救急車が到着した。

西田さん、いやもう水元さんか?は救急車で搬送されたが、間もなく死亡が確認されたということだった。また、人が死んでしまった。

自分は図太い方だと思い込んでいたけど、考えを改めなければいけない。こんなことは日常的に経験することなんてないからと言われればそうだけれど。

隣の居石は先ほどから腕と足を組んで目を閉じている。疲れているのかもしれない。無理もない。ここに残っていた二人は刑事から根掘り葉掘り、もとい事情聴取をこの時間まで受けており、やっと解放されて帰っても良いとのことだった。

すこし休憩だ、と言ってここに居石が座ってから三十分が経った。その間、すっかり忘れていた教授への連絡を堀田がすると、労いの言葉と調査は十分だから帰宅するようにという指示だった。詳しい話はまた後日聞かせて欲しいということだった。

「要さん、帰りましょうよ。車の中で寝て良いですから」堀田は居石に言った。

「うん」居石は目を開けて言った。

資料館から外に出て、近くにいた刑事さんに帰宅する旨を伝える。気を付けて帰るようにと言葉をかけてもらって、二人はさっきと同じ場所に停車していた車に乗り込む。

堀田がダム湖側を見ると、あくえりあすのある場所がライトアップされていた。今頃は浴室の花畑さんや常連客のことが調べられているのだろう。

「五年前のダムの事件にも関わっていたってあの人言っていましたよね?」

居石は体の向きを変える。

「ああ、あそこにいる全員が偽名だったんだな」

「そうでしたね。ちょっと驚いています」

「あいつが盗聴していたとはな。声だけ聞こえるからなぜ偽名で呼び合っているのかわからなかったんだろうな」

「え?居石さんはわかるんですか?」

ちょっと黙った。

「多分俺のせいだ」

「なんで?何もしていないでしょう?」

「いや、恐らく俺だ」

「説明をしてください」

「初めて店に着いたとき、車の停車場所を聞きに俺だけ店に入っただろう?」

ああ、そういえばここまで運転してきたから聞きに行くくらいはお前が行けと思って、行ってもらったんだった。

「それがどうしたんですか?」

「その時に駐車場所を聞いたついでに、ダムを見たかったから『ダムの視察について教えてください』って言ったんだ」

そう、外出してまで日本語のチョイスを間違うのは本当に勘弁して欲しいと思ったのだった。

「だから下手なこと喋んなって言って・・・え?まさか」

堀田はしばらく居石の顔から眼が離せなかった。

「おい、前を見ろ」

危なかった。今度はしっかりと前を向く。でも、思いついたことはちょっと衝撃的だった。

「さっきの水元さん?の話だと五年前のダムの事件の後、事件の全容はみんなに伝えたって言っていたよな。それで公には犯人は外部犯になった。そんな中で俺みたいな変な風貌の奴が来て、『ダムの刺殺(視察)について教えて欲しい』って来たら、彼らはどう思っただろうな」

「そんなことで?ずっと偽名使っていたと?」

「お前にも言ったけれど、俺が視察のこと聞いた後に、ええと大窪さん?と松田さん?が二階に上がっていったんだよ。その時に全員二階にいたことになるからな。全員で口裏合わせをしたんだろうね。水元さんが主導になってとりあえず名前を変えましょうってことになったんだろうね。自分たちを見てあの当時の点検メンバーだと気が付かなかったってことは顔を知っているわけではないって考えたんだろう」

「でも、あの後すぐこっちも訂正というか、自分はツッコミを入れましたよね」

「そう。その時に全員が気が付いたが、自己紹介した後だったから変なことになるよな。だからずっと通したんだろうね。雨が止んだら出て行くだろうからと。そういえばずっと大窪さん?のお母さんに会えなかっただろう?あれは体調が悪かったっていうのもあるだろうけれど、お母さんはこのこと知らないからな。俺らが合えば自分の娘の名前や常連客の名前も普通に言ってしまうだろう。だからなるべく喫茶店から遠ざけたんだ」

そこまで言うと、居石は座席の椅子に体を深く預けた。

本人としてもやるせない思いがあるのかもしれない。自分のせいかもしれないと考えているのだろう。千葉まで二時間半くらいある。どうせならいろんなところに寄って帰るか。

そうだ。

「要さん、海見たくないっすか?」

「見たくない」

「行きましょうよ。夏っすよ」

「熱いだけだよ」

「いいじゃないっすか、どうせ今日帰っても俺寝れないっすよ」

「添い寝してやろうか?」

「冗談でもてめえ、ぶっ飛ばすぞ」

居石がお腹を抱えて笑っていた。

なぜか堀田も嬉しくなった。



三カ月後、堀田は家で朝食を食べながら新聞を見ていた。

現代社会の就職活動では基礎知識として時事問題が出てくる。

時事問題就職活動にして何が面白いんだと思うが、一人でつぶやいたところでこの社会は変えられない。

でも堀田は新聞を面白いと思っていたので良かった。隅々まで記事を見ていると、『ダム湖』というキーワードに目が留まった。

『軍持ダム周辺で連続殺人』

立ち上がってすぐに詳細を読む。

軍持ダムのダム湖にある観光センター『あくえりあす』の女主人と店長そして従業員の三人、そしてダム周辺にある開業医と定食屋『軍持』の店長がいずれも鋭利な刃物で手首と喉を掻き切られて殺害されていた。という記事だった。

堀田は叫んで新聞紙を投げ捨てた。

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