第46話 だから、俺と先輩はつきあっていない


 ああ、布団はなぜこんなにも暖かいのだろう。


 彼らはすべてを受け入れ、そしてやさしく包み込んでくれる。どんな生物でも必要な睡眠・休息。布団は、それをよりよい形で満たしてくれる、人類が生み出した最高の発明品の一つだ。


「うぅぅ……んん~……」


 だが、それと同時に、これは呪いの道具でもあった。一度その心地よさの沼にはまったら最後、途端に抜け出すのが難しくなる。特に外気温が下がると大変だ。中はあったか、外はひんやり。そうなると、より深みへといざなわれてしまうわけだ。


「……ぃちゃん」


「ん~……」


「お兄ちゃん」


「……ん~」


 布団の外から俺のことを呼ぶ声が聞こえる。誰だろう。この俺の快適なお布団ライフを邪魔しようとするのは。


 いや、やっぱり気のせいだろう。これはきっと、目が覚めたばかりでボケたままの脳によって引き起こされた幻聴の類だ。


 俺に妹はいるが、俺が知っている妹なら、わざわざ朝に起こしてくれたりなどしない。


 と、いうことでもう少しだけ寝る――。


「……いい加減にしろ、このバカ兄貴!」


「うわぁん……!」


 と、いうところで布団を無理矢理引きはがされてしまい、思わず女の子のような情けない悲鳴を上げる俺。


 布団を取ろうにも、遠くに放り投げれてしまったのであまり意味がない。


「なかなか起きてこないと思ったら……ほら、もうすぐ出る時間じゃないの?」


「……あと8時間」


「それじゃサボりになっちゃうでしょ。……まあ、学校行きたくないっていう気持ちは、わからないでもないけどさ。話聞いちゃったし」


 今日は、週末の休み明け。文化祭が終わって、いつも通りの学校生活に戻る最初の日である。


「文化祭……」


 その時のことを思い出して、俺は再び死にたい気分になった。


 文化祭が終わった後、生徒会室で意を決して正宗先輩に告白した俺は、あっさりと振られてしまった。


 正宗先輩は俺のことをちゃんと一人の男として見てくれていた。そして、俺のことがずっと気になっていたとも言ってくれた。


 だが、それでも正宗先輩の答えはNOだった。


 理由はわからない。訊こうと思ったが、その前に出ていかれてしまい、キャンプファイヤーの会場でも見つからなかったのだ。


 休み明け、文化祭後の後処理とそれから当日にできなかった劇の打ち上げをやるらしく、生徒会と各委員会は集まるよう事前に言われている。その時に必ず正宗先輩と顔を合わせることになるだろうが。


「なあ梓……こういう時ってどうすればいいんだろうな」


「経験のない私に訊いてどうすんの……まあ、普通にしてればいいんじゃない?」


 妹の言うことは間違っていないのだろうが、それが簡単にできれば、こんなぎりぎりの時間まで布団の中で粘っていたりなどしない。


「じゃあ、今日は私、先に行くから戸締りよろしく。あと、一応お願いどおり、お弁当も用意してあげたから」


「おう……」


 ここでサボっても問題が解決するわけではないから、神楽坂先輩の時と同様、立ち直るしかないのだが。


 その神楽坂先輩にも一つ、俺から伝えなければならないことがあって。



 ※



 妹の叱咤もあってなんとかいつも通り登校した俺は、午前中の授業を死んだふりをしたように耐えて過ごして、午後を迎えていた。


 今日の昼食は、久しぶりに屋上へ行くことにしてみた。天気はいいが、風が強く冷たいこともあって、他の生徒たちはまばらだった。まあ、ぼっちとしてはありがたいところだ。


 お弁当と称して妹がこさえてくれたおにぎりを頬張る。ただご飯の丸めただけの岩みたいなものだが、作ってくれただけありがたい。見てくれは悪いが、味のほうも普通に食べられるレベルだ。


『生徒会役員の三嶋君、生徒会役員の三嶋君。至急、生徒会室へ来てください。繰り返します――』


 校内ではいつものように俺の呼び出しがされている。いつもの昼食のお誘いなのだろうが、今日の俺はそれに応じるつもりはない。そして、おそらくはこれからも。


「あ、ミッシーってば、こんなところにいた」


「……なんだ、橋村か」


「ってか、こんなところ寒いところでぼっち飯? ミッシーはホント、相変わらずというか」

 

 そう言いながら現れた橋村は俺の隣に腰を下ろして、袋から焼きそばパンと牛乳を取り出した。どうやら俺と一緒にここで食べるつもりらしい。


「俺を呼びに来たんじゃないのか?」


「そうだよ。急に呼び出されてミッシーのこと探してくれって頼まれてさ……会長に何言ったの? あの人、ずっと『トモがグレたトモがグレた』って半泣き状態なんだけど」


「反抗期の親か」


 ともあれ、突然のことで神楽坂先輩も驚いたかもしれない。


 昼休み、すぐに生徒会室へと向かった俺は、いつものように楽しそうに昼食の準備をしていた神楽坂先輩に、


『もうこういうのは止めにしてほしい』ということを伝えた。


 正宗先輩に告白すると選択した時点で決めていたことだ。俺と神楽坂先輩は付き合っていないのだから、もう紛らわしいことはやめて、ちゃんとした先輩と後輩の関係に戻るべきなのだ、と。


「ねえ、ミッシー」


「なんだよ」


「もしかして、後夜祭のとき正宗先輩に告って振られた?」


「!? お、おまえなんで――」


 そのことを、と思ったが、まあ、わかるヤツにはわかってしまうだろう。後夜祭のとき二人して姿を消していたし、正宗先輩はいつの間にか一人で帰宅している。


 九条先輩や大和先輩も、もう察しているはずだ。


「……悪いかよ」


「別にそんなこと言ってないっしょ。そうじゃなくて、私が言いたいのは、わざわざ会長まで突き放すことはないんじゃないのって話」


「それはまあ、そうなんだけど、」


 しかし、正宗先輩を選んだ以上は、そうでもしないと神楽坂先輩への未練が消えないと思ったし、同時に正宗先輩に対して不誠実だと思ったからだ。


 結果、どちらも得ることはできず、情けない結果に終わってしまったわけだが。


「前から思ってたけど、ミッシーってわりと潔癖だよね。付き合う付き合わないなんて、もっと適当でいいと思うんだけどなあ」


「仕方ないだろ。誰かと付き合った経験なんてないんだから」


 そもそも、初恋自体つい三、四か月前の話なのだ。なにが最適かだなんてわかるはずもないわけで。


「へえ、そうなんだ。ふ~ん……」


 気づくと、橋村がすぐ近くで俺の顔を上目遣いで見つめている。このままだと肌が触れ合おうかというほど距離が近くて、思わずどきりとする。


 またコイツは俺のことをからかうつもりなのだろうか。


 だが、その割には目が真剣なような。


 それに、ちょっと顔も赤いような気も――。


「……ねえ、ミッシー」


「な、なんだよ」


「うん、あのね、」


 俺の腕に体を寄せた橋村が、俺の耳元で囁く。


「……付き合っちゃおっか。私とミッシーで」


「……え?」


 しばらく俺の恋愛はお休みだと思っていたが……どうやら、もう少しだけ面倒くさいことになるかもしれない。


 ――――――――――

 

 第一部  終わり

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俺と先輩はつきあっていない たかた @u-da

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