第45話 私と後輩は付き合わない


 ※



『――神楽坂先輩のことが好きなんだと思います』


 その言葉を聞いた瞬間、私はとっさにドアの陰に身を隠してしまった。


 合宿における練習がほぼ終わって、これから夕食。


 準備が出来たので、先輩たちに頼まれ、体育館に残っている三嶋と難波先輩をちょうど呼びにきたところだった。


「……なんて、」


 なんてタイミングで、私はこの場に居合わせてしまったのだろう。


「――――」


「――――」


 二人はもちろん、私が来たことには気づいていない。なおも会話は続けているが、その内容は私の耳には届かない。


「三嶋は、神楽坂が、好き……」


 ぼそりと私は呟く。


 驚きはないはずだった。言わなくてもわかる。


 神楽坂と三嶋、二人のあれだけ親密な様子を見せられれば、嫌でもそう考えるだろう。多分、二人以外はみんなそう思っているはず。九条も、大和も、橋村ですらそう感じているだろう。


 以前までは、私もそう思っていた。


 だが、二人の仲がなかなかそこから進展しないと思ったところで、もしかしたら、という可能性が私の頭をよぎった。


 三嶋の妹である梓さんと話したときのことだ。


 三嶋は誰とも付き合っていないし、好きな人もいる。

 

 もし神楽坂と彼が付き合っている、もしくは秒読みの関係であったとして、そんなことをわざわざ私に伝えたりするだろうか。

 

 梓さんは神楽坂のような冗談を言う子ではない。兄によく似て真面目で礼儀正しい性格であることは、会話してすぐにわかった。


 だからこそ、私は真意を確かめたくて動いた。


 そうでなければ、劇のヒロイン役に、神楽坂を押しのけて立候補しようとは思わない。


 私が動いたときに、三嶋がいったいどういう反応をするのか。


 今、三嶋朋人が好きなのは、神楽坂美緒ではなく、私、正宗静なのではないか。


 本当に柄でもない行動をとっていると思う。これまで恋愛の『れ』の字もなく、ただ勉学と部活と委員会活動に明け暮れていただけの私が、最近親しくなった後輩の男子生徒の行動一つで、あたふたとしている。


 もしかしたら、いや、きっと――。


 この合宿でより距離が縮まったと思っていた矢先での、決定的な一言。


 それを、直接ではなく、このような形で突きつけられるとは。


『――よし、それじゃあそろそろ下に降りるか』


『そうですね』


「っ、まずい――」


 二人の足音がこちらに近付いてのに気づいて、私は逃げるようにしてその場から離れる。


 この状況で、偶然を装うことなんてできない。少しでいい、落ち着くための、元の『正宗静』へ立ち直るための時間が欲しい。


 でなければ、三嶋の顔を見た瞬間、どうなってしまうかわからなかった。


 胸のあたりがざわざわしている。どきどきして、息が詰まるみたいに苦しい。


「落ち着け、私。大丈夫……ゆっくりでいい」


 自分に言い聞かせるようにして、喉にぐっと力を込め、胸のあたりからせりあがってくる何かを胃の方へと押し返す。


 少しずつ落ち着いてきたことを確認してから、私は大きく空気を吸い、吐く。


 外に出て、近くに駐車されてあった車のドアガラスに映る自分の顔を見る。目も鼻も、どこもおかしいことにはなっていない。頬が赤いかもしれないが、そこは適当にごまかすしかない。


「! 正宗、二人は呼んできたのか?」


「ああ、後から来るそうだ……って、その前に包丁はしまってこい」


 元の配置に戻ったところで、神楽坂が私のことを出迎える。何をやったらそうなるのだろう。両手に包丁と、そして上半身に玉ねぎやニンジンの皮、ピーマンの種などがくっついている。


 それがおかしくて、私は心の中で神楽坂に感謝した。


 いつも鬱陶しく絡んでくる面倒くさい生徒会長だが、こういうところがあるから、私はこの子と友人を続けていられるのだろう。


「神楽坂、以前から聞きたかったのだが、三嶋と何かあったのか?」


「えぶうっ!? にゃ、にゃにゃんて!?」


「……すごいリアクションだな」


 深く詮索するつもりはないが、やはり二人の間で何かあったらしい。


 まったく、なんてややこしいカップルだ。


 確認するまでもなく、神楽坂は三嶋のことが好き。そして、さっき聞いたとおり、三嶋は神楽坂のことが好き。両想いなのだから、さっさとくっついてしまいえばいいのに。


 まあ、そのことを知っているのは、多分私だけなのだろうが。


「神楽坂、何か勘違いしているかもしれないから言っておくが」


「え、うん」


「私にとって三嶋は本当にただの後輩だよ。お前が思っているような仲じゃない。だから、安心して慌てずいつも通りにしていろ」


「? あ、ああ。わかってる……けど」


 神楽坂は首を傾げている。だが、詳しく説明してやる気分でもない。


 過去に何があったにせよ、二人の気持ちが今もつながっているのなら、その間に私が入り込む余地はないのだから。


「正宗、お前……なにかあったのか?」


「いや、別に。なにもなかったよ。私には、なにも」


 もし、その『過去』とやらが原因となって、二人の気持ちがすれ違うようなことがあったときは。


 神楽坂の友人として、三嶋の先輩として、きちんと軌道修正してやらなければ。


 大丈夫。私ならきっとできる。いつものように、清く正しい風紀委員長として振る舞え、正宗静。


 そう自分に言い聞かせて、私はいつまでもこみあげてくる涙をぐっとのみ下した。

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