恋心の隠し方


――この恋心はわかってしまうのかな

どこか浮かれるような気分になりながら、少女は思いました。


――どうか、この恋心が上手に隠せますように

そう桜の木に祈って、彼女は離れました。



「ヤバイ!!宿題忘れた!!瑠流々るるる!!写させて!!死ぬ!!死んじゃう!!」

「宿題出さないぐらいじゃ死なないわ、真春まはる

「いや、死んじゃう!!次に宿題を出さなかったらお前の骨全部へし折ってジグソーパズルにチャレンジするって担任教師コバヤシに言われてるの!!」

「物理的な死なの!?」

瑠流々は驚いて、学生鞄からノートを取り出しました。英文さらさら、水が流れるような淀みない美しい文字がノートにあります。

「ありがとう瑠流々、これで寿命が伸びたよ~」

ぽやぽや笑って真春が言いました。

平均寿命から考えると、おそらく春の寿命は数十年程は伸びたでしょう。

ある高校の教室、これがほぼ毎日のように繰り返される瑠流々と真春のやり取りです。

「けど、真春。宿題ぐらいちゃんとやらなきゃダメよ。人生には予めの準備ていうのが大切なんだから」

美しい文字を書く少女が、美しい唇で、美しい音を放ちました。

「そうは言ってもねぇ、私も大変なんだよ瑠流々」

何が大変かと言えば、と前置きをして――最後には私はダラダラしたいのだ、女子高生とは以てそのようにして甘やかされるべきである。そのように真春は言い終えるのです。その時に真春がきりりとして浮かべる親愛なる愚かな四足の隣人のような表情がどうにも瑠流々には愛らしく、ついつい毎日のように宿題を見せ、同じ様な説教をして、それでいて甘やかしてしまうのでした。

ふぶやか、ふぶやか、やんやややと二人の時間はゆったりと流れていきます。

それでも、時間というのは止まることを知らないのであっという間に放課後になってしまうのです。

「真春」

「あっ、琢磨たくま!」

放課後、教室の扉を開け、琢磨が現れます。

声を掛けられた真春は隠すつもりもない喜びをいっぱいにして、琢磨の方を見ました。下校の準備や友達と話すことよりも大切なことは世の中には結構あるものです。そうです、好きな男の子と話すことですよ。

もしも彼女に尻尾があれば引きちぎれんばかりに振っていたでしょう、あるいはもうちょっと愚かな生き物であれば舌をべぇべぇ出してはぁはぁと呼吸をしていたかもしれません。けれど、彼女はもう少しだけ理性のある生き物だったので、大好きという気持ちを隠すつもりもない笑みだけを向けるだけなのです。

「瑠流々さん、真春を借りていきますね」

そろそろ青年になる少年が低い声で言いました。

「あら、私の真春よ。すぐに返してくださいね」

冗談めかして言いました。

瑠流々が真春と目線を合わせようとすると、ほんの少しだけつま先立ちをしないといけません。琢磨はそんな真春よりも身長が高いので、ただでさえ椅子に座っている瑠流々は見上げるようにして返事をします。

「あした返します、そういうことで」

「うんうん、またあした」

少々照れたように琢磨が言うと、べぇべぇと首を振って真春も続きます。

「はいはい、それじゃあまた明日」

去っていく二人を見て、瑠流々は手を振ります。

真春が琢磨のことを好きなのは、誰が見ても明らかでしょう。

(けどね)

瑠流々は心の中で思いました。

(琢磨は私のことが好きなのよ)

幼馴染の琢磨と真春、けれど幼い時からずっと恋心を大切に温めていたのは真春だけです。琢磨が恋心を向けているのは瑠流々に対してで、純粋な恋心を叶えるために琢磨は瑠流々好みの男になろうと、真春から聞き出そうとしているだけなのです。そこに悪意はありません。利用しているという自覚も無かったでしょう。ただ家族のように深く結ばれた縁から来る残酷さがあるだけでした。

瑠流々は一人ぼっちで家に帰ります。

琢磨と真春は二人一緒です。けれども琢磨も真春もやはり一人ぼっちでした。


一人で帰るとき、なんとも言えないような気分になって

瑠流々は汗をかいてから家に帰ります。

家に帰ると机に向かい、宿題を終わらせます。

知っていましたか?

体も頭も疲れてしまうと、温めたミルクなど無くてもよく眠れるのですよ。

そんな時です。


りんりんりりらか、りぃんりぃん。電話のベルが鳴りました。

りんりんりりらか、りぃんりぃん。もいちどベルが鳴りました。


真春からの電話です。

「――もしもし、真春だけど、あのね……」

いつもなら楽しいはずの電話ですが、真春の声が桜に色づいているのを聞いて、

瑠流々は思わず切ってしまいたくなりました。

「私ね、琢磨に告白しようと思うんだ。応援してくれる?」

照れるように笑う真春の姿が、瑠流々には電話越しに見えるようでした。

真春の願いならば、あらゆる類のものでも叶えてしまいたくなります。

けれども、それは駄目なのです。それだけは絶対に駄目なのです。

何故ならば、琢磨が好きなのは瑠流々なのですから。

「……勿論、応援するわ」


何か、ふわふわとした言葉を交わしたような気がしましたが

まったくまったく瑠流々は思い出すことが出来ません。

ただ、一つだけ思ったことは――瑠流々は真春を悲しませたくないということでした。それだけはずっと思っていたのです。


りんりんりりらか、りぃんりぃん。電話のベルが鳴りました。

りんりんりりらか、りぃんりぃん。もいちどベルが鳴りました。



真春がしょぼくれていたのは、

宿題を忘れたがために骨を全て折られたからというわけではありません。

何故か、琢磨がおやすみで――どうしようもなく寂しかったからです。



電話があってすぐさまに、瑠流々は電話を掛けました。琢磨に電話を掛けました。

二人ぼっちでお話しを、そう言って彼女は裏山に琢磨を誘ったのです。

家族には内緒でね、と言って。

夜は8時を過ぎたけれど、琢磨にはそんなことは関係ありません。場所だって関係ありません。今この作品を読んでいる人は、もしかしたら彼をバカにするかもしれませんね。けれど、恋する相手にそのようなことを言われたならば、アナタだってそうしてしまうかもしれませんよ。恋っていうのはお酒やドラッグより恐ろしいんですから。


懐中電灯を持って、琢磨は裏山に駆けました。

登るまでもなく、瑠流々の姿はすぐにわかります。入り口で待っていてくれたのですね。

「なんでこんなところに?」

少々の期待を込めて、琢磨は訪ねます。

この裏山が瑠流々の家族の私有地であることを真春に聞いたことがありました。

「誰も人が来ないところだからよ」

美しい女の子が、美しい唇で言いました。

琢磨は夜に感謝しました。

夜闇が顔を隠さなければ、タコに間違えられてしまっていたかもしれませんからね。

「行きましょう」

瑠流々はそう言って、琢磨の手を握りました。

細く、冷たい指でした。

そして白く美しいのです。闇の中で薄っすらと光を放っているかと思うぐらいに。

琢磨は手を握り返し、二人は山を登りました。

「好きです」

登っている途中、山頂を待つまでもなく琢磨は言いました。

頂上で告白することが一番美しいのかもしれません。それでも、琢磨は言いました。

「知ってるよ」

瑠流々は言いました。そして「ううん、ずっと、知ってたよ」と続けます。

琢磨は泣き出したくなりました。

隠していたつもりだったのに、彼女はずっと知っていたのです。

それはどうにも恥ずかしいように思われました。

けれども手は握られたまま、二人は山頂を目指します。

琢磨の心臓が高鳴ります。

もしかして手に汗が滲んで瑠流々に不快な思いをさせていないかなとも思いました。

何故ならば「知ってたよ」は告白に対する肯定でも否定でもないのです。

だから、何時までも告白の返事を待つ琢磨はひたすらにドキドキが止まらないのです。


山頂に着きました。景色は真っ暗で何も見えません。

ただ、琢磨には瑠流々だけが夜闇のドレスを纏うかのように美しく見えていました。

「人生には予めの準備ていうのが大切って思いません?」

瑠流々が言ったのに返事をする間もなく、瑠流々が琢磨をナイフで刺しました。

そうして、琢磨は死にました。

琢磨が瑠流々に向けた恋心を、どうしても真春には隠しておきたかったのです。


――嫌われてしまうかもしれないから



――この恋心はわかってしまうのかな

作業を終えて、どこか浮かれるような気分になりながら、瑠流々は思いました。

穴は時間を掛けて深く掘っていました。桜の木の下です。

だから遺体をすっぽり隠してしまうのには十分なぐらいです。

けれど、何が起こるかはわかりません。

だから、後はただ祈るだけです。


――どうか、この恋心が上手に隠せますように

そう桜の木に祈って、彼女は離れました。



半年が経ち、琢磨は見つかりませんでした。

恋する人を失った真春は長い間、悲しんでいました。

「好きだったんだ……本当に、彼のこと」

そう言って、真春は泣き続けました。

それでも長い冬は終わりを告げ、うららかな日々が始まりました。

決して吹っ切れたわけではないのでしょう。

それでも、傷を隠しながら真春は時々笑うようになりました。

決して何もかもが元通りになったわけではありません、

振られるよりも行方不明の方がよっぽど彼女の心に傷を与えてしまったのかもしれません。


それでも、心折られた彼女が飼い主にすり寄る小鳥であるかのように、

瑠流々に囀るのを聞くと、どうしようもないゾクゾクとしたものがこみ上げて、

瑠流々は笑ってしまうのです。

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