僕たちは愛しているが言えない

春海水亭

雪に死体を埋めたとしても

肢体を雪にうずめると、布団みたいで気持ちが良い。

大の字になって寝そべって、仰向けになって空を見る。

喜びすこし微笑み浮かべ、少しの怒りは心の中に。

てんらら、てんらら、声を出す。出会いの歌を声に出す。

春原多良々はるばら たららは考える、どこに死体をうめようか。


てんらら、てんらら、てんららら。てらん、てららん、てらららん。

街中を一つの歌声と歩く少女がありました。

その詞に意味はありません、ただただ気持ちが良く美しい音でした。

あまりにも楽しそうに歌うので、街を往く人もどこか気分が良くなってしまいます。

彼女は中学校の制服を着ていました、眉に掛からないように髪を切り、後ろ髪はよく伸ばしています。街は白い雪に染まり、彼女の黒髪がよく映えます。

軽やかな歩調、軽やかな歌声、天から落ちてきたような少女でしたが、やはり何の変哲もない人間なのです。夢乃彼方ゆめの かなたといいます。


てんらら、てんらら、歩いているとやがて彼女は大きく手を振りました。

「わーい!多良々さんだ!」

彼女の視線の先にはやはり同じ学校の制服を着た少女の姿があります。

髪は短く揃え、遠くから一見すると少年に思えるでしょう。しかし、人形のように整った顔に幻を見ているかのように潤んだ黒い瞳が夢色の輝きを帯びているのを見て、ああなんと美しい少女なんだろうとアナタが思うまでに、きっと時間はかからないはずです。もしかしたらご存知かもしれませんが、もう一度名前を書いておきましょうね。彼女は春原多良々はるばら たららと言います。


「彼方」

多良々は大きく腕を広げました。お姫様を迎え入れるように王子様のように、目いっぱいに広げました。

「多良々さん!多良々さん!」

柴犬が主人に思いっきり駆けていくように、彼方は雪色に染められた歩道を短い足で思いっきり走っていきます。ああ、でも気をつけて。そんなに急いでは危ないですよ。

「わぁん!」

白い地面は美しいだけではないのです、つるりと滑って彼方は転んでしまいました。てんらら、てんらら、美しい音を発していた彼女が悲鳴を上げました。小動物のそれのようにやはり愛らしいものでした。

「大丈夫、彼方?」

「うんうん、大丈夫ですよ、多良々さん」

転げた彼方に手を伸ばす多良々は、王子様のように凛々しく、しかし瞳はうっとりとするような夢色に潤んでいました。多良々の手をとって彼方は立ち上がります。

「多良々さん、多良々さん」

尻尾を振る犬のように嬉しそうに彼方は多良々に話しかけます。

犬の頭を撫ぜるように、優しく多良々は相槌を打ちます。

まとまりのない話でした。昨日の話かと思えば今日に飛び、そう思ったかと思えば去年の話に繋がり、そして明日の話になります。本人も何を話しているのかわからなくなっているのかもしれません。それでも、彼方は話し続けます。冬の日差しに当てられてキラキラと光る雪だるまの話や誰も足を踏み入れていない雪原に初めて足跡をつけたことの話を嬉しそうに話すのです。


てんらら、てんらら、てんららら。嬉しそうな二人の声。

登校中の他の生徒も、彼女たちを優しく見守ります。

多良々は三年生の教室へ、彼方は養護教室へ。


彼方の世話係のようなものを多良々は務めている。

幼稚園からの幼馴染で、同じ時を15年間過ごしてきた。

もしも天使がこの地上に存在するとするならば、それはやはり彼方のような人間なのだろう、多良々はそう思う。

高校で離れ離れになったとしても、それでも彼方と別れたくはない。

教室のぬくもりにうつらうつらしながら、多良々は願う。


てんらら、てんらら、てんららら。てらん、てららん、てらららん。

美しく軽やかな歌声と共に彼方と多良々は同じ道を歩きます、彼方が転ばないように、しっかりと手を握って。

そして誰もいない公園のベンチに腰掛けました。彼方のお気に入りの公園です。

日曜日のことでした、多良々と彼方は映画を見に行ったのです。

女の子が変身して戦うアニメイシヨン映画でした。

「多良々さん、あのね!」

大きく手振り身振りをして、彼方は映画の話をします。

銀幕の中の少女が如何に素晴らしい存在であるかをあのね、あのねと話します。

優しく微笑んで、多良々はその話を聞いています。

二人がその話をしている内に、話題が作品内に登場する少年の話になりました。

女の子の理想を背負った王子様のような少年の話でした。


「多良々さん、――くんは格好いいねぇ」

「そうだね、彼方」

物語の中の少年の話をする時に、彼方の頬がうっすらソメイヨシノの花びらのように薄っすらと色づくのを多良々は見逃しませんでした。うんうんと彼女の話に頷きながら、多良々はしっかりと気づいていたのです。

「ねぇ、彼方」

「どうしたの、多良々さん?」

「彼方は僕のことを好き?」

「好きよ」

「――くんのように、王子様のように僕のことを好きかい?」

彼方は大きく目を見開いて、きょとんと小首を傾げました。

「多良々さんは女の子なのに?」

「……そうだね、忘れてよ」

夢色に潤んだ瞳の多良々は、なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうと思いました。

「ねぇ、彼方」

顔を見られないように俯いて、多良々は言いました。

「僕を思いっきり抱きしめておくれ」

「ええ、いいわよ多良々さん」

柔らかな肢体、甘いバニラの匂い、てんらら、彼女の歌声。

彼方を全身に感じながら、多良々はもう一度、なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうと思いました。あくまでも彼女は大切な友達なのに。

「多良々さん、気持ちいい?」

「彼方はとっても柔らかいねぇ」

「男の子はね、皆私にこうやってされるのが好きなのよ。多良々さんも男の子みたいね」


「けど、おかしいわ。多良々さんは女の子なのに僕だなんて言うんだもの」


てんらら、てんらら、てんららら。てらん、てららん、てらららん。


憎しみと嫉妬がマグマのように湧き上がりました。

ぱぁぷぅ女、ぱぁぷぅ女、ぱぁぷぅ女、自分でも信じられないような言葉を吐きながら、多良々は気づくと彼方の首を絞めています。

憎いのは自分なのか、彼方なのか、彼女を抱いたという男なのか。

彼方ですら理解できるようなことを理解できなかった自分なのか、目の前のあどけない少女が自分の手の中の小鳥ではなかったことなのか、とっくに器用に美しい小鳥の羽根を毟っていた男なのか。責任感という言葉で彼女をただ独占したかっただけの自分か、見下せる相手がほしかった自分か、目の前の少女が気づいていたようなことにすら目を伏せて気づかれていないふりをしていた自分か、見下そうとしていたのに見上げていた自分か、てんらら、てんらら、てんららら。てらん、てららん、てらららん。ぱぁぷぅ、ぱぁぷぅ、ぱぁぷぅ女。



肢体を雪にうずめると、布団みたいで気持ちが良い。

大の字になって寝そべって、仰向けになって空を見る。

喜びすこし微笑み浮かべ、少しの怒りは心の中に。

てんらら、てんらら、声を出す。出会いの歌を声に出す。


彼女の横には美しい顔の彼方がやはり雪の上に寝そべっていました。

雪の下に埋めてしまえば、春まで見つからないかもしれません。

一瞬だけそう思って、そんなわけがないと多良々は頭を振ります。

土の下、スコップで地面を掘るだけの体力が中学生の自分にはあるでしょうか。

海の下、海までどうやって彼方を見つからないように運べたものでしょうか。


どうしようもないけれど、やはり彼方の死体を雪に埋めました。

自分より愚かで、自分よりもずっと賢い少女を雪の下に埋めました。

どうしようもなく愚かで、こんなことしか考えられないような少女は家に帰りました。

彼女の大切な役目はもうありません。


雪が強く、強く降り始めました。

多良々は永遠に雪が続くことを祈って、家への歩を早めました。

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