――二月十七日――

 次の日、学校に着いてからずっと、紫杏はクラスメートの一人を気にしていた。

 もし別の世界から来ている人なら、何か違いがあるはず。おかしな態度とか、魔法を使いそうな様子とか……。そう思ったのだが、どんなに観察してもはっきりしたことはわからず、あっと言う間に放課後になってしまった。

 ホームルームが終わって担任の栗田が出て行ったあとも、紫杏はしばらく教室に残っていた。見張る相手がなかなか席を立たなかったからだ。

 ――やっぱり、違うよね。仮に彼女が犯人だったとしても、こっちの世界に来ているとは限らない。……多分、来ていないだろう。彼女の目的が、もし……。

 ようやく彼女が教室を出た。紫杏はそっと立ち上がり、追い掛けた。

 しかし、尾行はすぐに気付かれてしまった。階段の踊り場まで来たところで、相手がくるりと振り向いたのだ。

「何?」

 怪しむような目で、彼女は――坂巻静香は紫杏を見た。

「何か用なの?」

「あ、あの……」

「朝から私のこと見てたよね。何か文句でもあるの?」

 ――どうしよう。適当にごまかして逃げ出すか。でも、何て言ったらいいんだろう。

 静香は紫杏を睨み続けている。このまま黙っているわけにも行かない。

 ……どうしよう……。

 その時、沈黙を破って声が響いた。

「紫杏!」

「……冷くん」

 階段の下に、こちらを見上げる冷一の姿があった。

「俺を待ってたんだろ? さっさと降りて来いよ」

 紫杏が動けないでいると、冷一の方が階段を上がって近付いて来た。

「帰るぞ」

「う、うん」

 紫杏は静香の前を横切って、冷一に並んだ。

「あんた何」

 静香が鋭い視線を冷一に向けた。

「桔流冷一」

 冷一は無表情で答える。

「名前を聞いてるんじゃないよ」

「こいつの幼なじみです」

 静香は苛立ったように眉を上げた。

「そ……」

「悪いけど、急ぐから」

 まだ何か言いたそうな静香を無視し、冷一は紫杏の手を引いて下に向かった。

「あいつ何?」

 一気に昇降口まで歩いて、後ろを振り返りながら冷一が聞いた。

「……坂巻静香さん」

「名前を聞いてるんじゃない。あいつの仕業だって疑ってるんだろ? 何であいつが怪しいと思ったわけ?」

 紫杏はまだ震えていたが、何とか説明した。

「あの……ここに来る前の日にね、彼女の落とし物を拾ったんだけど……それを見て深紅が言ったの、魔法が掛けられてるみたいで怪しいって」

「あいつ、魔法……」

 数人の男子生徒が通り過ぎたので、冷一は口をつぐみ、咳払いした。

「帰ろう。ここは人目に付く」

「うん」

 二人はそそくさと校舎を出た。

「あいつ、魔法うまかったの?」

 校門の外の一本道に差し掛かった時、冷一がさっきの続きを言った。

「うん……」

 紫杏は前を行く冷一の背中に答えを返した。

「校内の女子では一番だった」

 冷一は訝しげに紫杏を見やった。

「一番? 何でそんなことがはっきり言えるんだ?」

「三学期の初めに、魔法の能力テストがあったから」

「下らないことやるんだな」

「あっちの世界の冷くんも同じこと言ってたよ」

 それでも冷一は、結構いい成績だったのだ。

「ふーん……」

 冷一はちらっと学校の方を振り返った。

「でもさっきの奴は、何も知らないように見えたな」

「うん。多分、あの人はこっちの世界の坂巻さんだよ。怖かったけど……」

 ようやく動悸が治まって、紫杏は息を吐き出した。

「こっちの世界の坂巻さんは、髪の毛おさげにしてたしね」

「おさげが何かあるのか?」

「うちの学校、校則厳しいでしょ。向こうの世界だけ? こっちの世界は違うのかな。とにかく、向こうの世界ではそうだったの。長い髪はまとめきゃいけなくて。面倒だから、私と深紅はショートヘアにしてるけど……」

 静香は腰まである髪を下ろしっぱなし、毎日違う色の派手なリボンを結んでいても何も言われない。一度注意した教師が、三日間ひどい頭痛に苦しめられたとか。

「向こうの世界の坂巻さんは、人を傷付ける魔法も平気で使うし、彼女に逆らうと報復されるって、周りに怖れられてた」

「そんな要注意人物がいるなら言っとけよ」

「……ごめん」

「つまり、あいつには誰か恨んでいる奴がいて……その相手に魔法を掛けようとしてた。ところが、せっかくの仕掛けをお前が拾ってしまった――ってわけか」

「まだわからないよ。それのせいじゃないかも。だって、深紅も触ったけど、何ともなかったし」

「自分以外で最初に触った人間にだけ、作用するようにしてあったとか」

「それは……あるかもしれないけど」

 二人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。

「全く、何だってそんな危険物拾ったりするんだよ。放って置けばいいのに」

「しょうがないじゃない。わからなかったんだもん」

 ――わからなかった。バレンタインの日に拾った坂巻さんの紙バッグは、私のと本当によく似てた。しかもあの時、彼女は廊下にいた私の目の前に、瞬間移動で飛び込んで来たんだ。避けきれなくて、ぶつかって、怒られて……。それから坂巻さんは、自分の荷物を拾い集めて行ってしまった。

 でも、坂巻さんが持ち去ったのは私のチョコレートだった。その場に残された赤い紙バッグは、坂巻さんのものだった。私はそうと気付かずに、それを拾った――。

 紫杏は足を止め、俯いた。

 ――もし、全てが計画だったんだとしたら? 最初から、私に魔法を掛けるつもりだったんだとしたら……。

「紫杏?」

 立ち尽くしている紫杏を見て、冷一が引き返して来た。

「どうした?」

「……」

 確証はない。ただの憶測。けれど、紫杏はどうしても、疑いを捨てることが出来なかった。

 ――坂巻さんは、私の気持ちを知ってたんだ――私が彼に恋してるって、知ってたんだ――だから私に魔法を掛けて、別の世界へ飛ばしたんだ――別の世界へ――彼のいない世界へ。

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