〈10〉足る部なら

「ななな、何を言ってるのよあなたはっ!?」



 生徒会室の奥の席で、顔を真っ赤にした姫芽香が飛び上がる。


 ひとしきり泣い、顔のついでに文字通り首まで洗って気合いを入れた李桃を筆頭に、一行が生徒会室へと出直すと、ちょうど役員会議に区切りがついたところだった。



「あたし、ヒメちゃんが欲しい! ヒメちゃんじゃなきゃダメなの!」



 人目もはばからずに李桃が叫ぶ。生徒会副会長、書記、会計、庶務が二名。五人分の好奇の視線に気圧されてしまいそうになるが、一世一代の大告白なのだ。屈してはいられない。

 見よう見まねの拙いバーストブリージングで緊張を宥めすかし、足で床に根を張る。そんな李桃と並ぶように、仲間たちも加勢してくれた。



「モモっちから聞いたけど、居合もやってるんでしょー? 見せて見せて!」


「姫芽香さんは大和撫子のようなお方ですから、さぞ似合うのでしょうね」


「ん。最強」


「オレが言うのもなんだが、手が空いた日だけでも構わない。籍だけでも置いてくれないか」



 生徒会室に踏み込む直前まで『オレは静観を決め込むからな!』などと宣言していた紅葉までもが出してくれた助け舟に乗って、李桃は最後の突撃を決行した。



「あたしは剣道が好き。ヒメちゃんも好き。でも、それだけじゃやだっ。だって、ヒメちゃんとする剣道が、いちばん大好きなんだもん!」


「大……好き……」



 たたらを踏みながら口の中で言葉を反芻していた姫芽香の顔が、突然、ぼっと火を噴いた。



「やんだずにゃ、もう! そんな上手いことそだなじょんだごと言ってけだって何にも出ねぇべしたや~!」


「か……会長……?」



 くねくねとしなを作り、デレデレと緩む頬を両手で包み、近所のおばちゃんのようなテンションで訛り出した彼女に、生徒会のメンバーたちは驚きを隠せずにいた。



本当にほんてモモちゃんは可愛いめんこいにゃ。なしてそんなにくすぐったいことをこちょびだいごとば言うんだず、にゃ~?」



 同意を求める視線に、書記の女の子が状況を飲み込めないまま、ただただ首を縦に震わせて返す。語尾に『にゃ』が付くのは、天童・東根・村山市を中心とした一帯とから新庄地方にかけての独特な方言だ。


 山形県民といえど、学生や社会人として生活する際には、基本的に標準語を用いる。それでもどこかイントネーションが変だというのは否定できないが、ここまで訛りが全開になるのは、せいぜい四十から五十を過ぎた根っからの山形ネイティブくらいだろう。


 まして、淑やかな印象を必死に構築してきた姫芽香のキャラ崩壊なのだから、室内に混乱の空気が漂うのも致し方ないことだった。ただ一人、李桃を除いては。



「ねぇモモっち。なにこれ……」


「えへへ。ヒメちゃんはね、褒められたり好きって言われたりするのに弱いんだよ」



 愛玩動物を見るような目で、李桃が微笑む。

 そんな生温かい視線に気づいたらしい姫芽香は、そそくさと居ずまいを正すと、涙目でじっと唇を引き結び、薔薇のように顔を上気させたままで席に戻った。



「な、何度来ても返事は同じよ。剣道が好きとか嫌いとか、そんな簡単な問題だけじゃないの。私が生徒会を抜ければ仕事は滞る。新学期が始まったばかりなのよ、分かるわよね?」



 告白の返事は、諭すような拒絶だった。明らかな正論にぐうの音も出ない。

 そんな時。思わぬ場所から救いの手が挙げられた。



「それが、実は。年度初めの仕事の八割が終わってるんですよ。殆ど会長がやってくれたんで」



 おずおずと申し上げたのは、副会長の男子だった。便乗したのか、つい先ほどまで目を回していた書記の女の子が手元のメモを読み上げる。



「残っているのは、月末の人間将棋と、入部届けの承認。交番と連携した通学路巡回……」



 そこまで言ったところで、「あ、もう一つありました」とわざとらしく舌を見せた。



「剣道部の設立申請に捺印する業務を忘れてましたねー。てへっ」


「菅原さん、あなた……」


「会長。行ってもいいんじゃないですか?」


「そうそう。さっきみたいな笑顔見せられちゃ、引き留めるだけ野暮だよね」


「俺たちに任せてください。もっとも、行事やトラブル発生時にはお呼びしますけど」


「みんな……どうして……」



 そこまでしてくれるの。そんな戸惑いの言葉を飲み込んだ姫芽香は、毅然と生徒会長の顔に戻ると、李桃たちへと向き直った。



「やっぱり駄目よ。部活にかまけている会長なんて、一般生徒からの信頼を失うわ」


「ふむ。だったら、生徒会長が兼任するに足るだけの部なら問題ないな?」



 壁に背をもたれて腕を組んでいた紅葉の表情が、にっと悪い色を浮かべる。



「正直、断言はできないさ。だが、オレがこいつらを全国に連れて行きたいと思っていることは確かだよ。

 他武術と剣道を融合させるというなんて掟破りで傲慢な着眼点を気に入っていてね。截拳道を創始したブルース・リーみたいで面白いだろ?」


「ですが、部員のうち三人は剣道初心者でしょう。かつて国体選手だった柳沼先生のご指導を疑うわけではありませんが、いくら武術で培った下地があっても、そう甘くはありませんよ」



 挑発的な紅葉の目を、真っ向から迎え撃つ姫芽香。さすが肝が据わっていた。


 剣道においては、絶対王者というものが滅多に現れない。確かに、全国大会の常連や、決まって上位に食い込む学校はある。それでも、絶対的な個人というものはいないのである。

 それは別に、中学や高校での生活に三年という期間が決められているからではない。一般の部の頂、全日本剣道選手権大会とて毎年顔ぶれが変化する。だからこそ、連覇を達成しようものなら伝説となるのだ。その偉業を成し遂げた人物が、六十年以上に渡る歴史の中、片手で数えられる程しか存在しないことがその証明だ。



「ああ、だろうな」



 しかし、紅葉は飄々と肩を竦めてみせた。そんなことは百も承知なのだ。



「だからお前が必要なんだよ。李桃が言うには、新生伊氏波高校剣道部は鍋山姫芽香という剣士が参入してこそ完成するらしい」


「そうだよ。ヒメちゃんが力を貸してくれて初めて、あたしたちは頑張れるんだよ!」



 ふんすと胸を張る李桃の言葉を咀嚼するように、何度か目を瞬かせていた姫芽香は、



「モモちゃん……ありがとう」



 少しだけ泣いてしまいそうな顔ではにかんだ。



「村山の東沢ひがしざわ高校にオレの知り合いがいるから、練習試合を組んでもらおう。対外試合で着実に白星を重ねていけば、いずれ全校集会にも名前が上がる。生徒たちも認めてくれるんじゃないか?」


「いーねー、紅葉センセ、ナイスアイデア!」


「わたしも微力ながら、頑張りますねっ」


「ん、負けない」


「もちろんあたしも。あとはヒメちゃんだけだよっ!」



 李桃が差し出した手のひらに、姫芽香は一掬だけ頬を濡らす。

 正面に剣道部の仲間たちが、両隣からは生徒会の面々が。一様に温かく見守ってくれる中で、そっと手をとり返した。

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