二十九、裁 判(1)(続き)

 そのとき、カワバタが

 何かに気づいて言った。


「ちょ、ちょっと待ってください。

 閻魔様、聞いてくださいまし」


「おまえは、この期に及んで、

 まだ屁理屈をこねるつもりか?」


「いえ、そうじゃなくて、あの声! 

 そっちのほうから声が聞こえますでしょ? 

 閻魔様、どうぞあの声に

 耳を傾けてみてくださいまし! 

 ああ、聞こえますか、閻魔様。

 あの声は、わたしの妻子、

 親戚共が、わたしのために、

 善かれと思って、乏しい蓄えを切り崩し、

 遠方より御坊様をお招きして、

 経をあげてくださっているお声です。

 ありがたや。ありがたや。

 仏様、あっしをお救いくださいませ。

 閻魔様、仏の声をどうか

 お聞き届け下さいませ。

 尊い御坊様がわたくしめの

 滅罪を祈っておいでです。

 どうか仏の御名によりて、

 何卒ご容赦のほどを……」


 そのとき、

 鏡の前に立っていた倶生神が、

 不敵な笑みを浮かべて、

 カワバタの近くに歩み寄ってきた。


「くっくっく。わしにも聞こえるぞ、

 あの坊主の声が。

 カワバタよ、いましがた

 大王様がおっしゃったことが、

 おまえにはわかっておらぬようだ。

 いまさらどうあがこうと無駄なこと。

 まもなくおまえは

 地獄の血の海に沈むだろう。

 形ばかりの滅罪になんの功徳があろうか。

 真心から出た言葉とあっては、

 地獄の主たる大王様も

 捨て置けぬやもしれぬが、

 おまえの滅罪を心から願っている者など、

 あの場にはひとりもおらんようだぞ? 

 カワバタよ、長いよしみだから言うが、

 おまえという人間ほど、

 人望のない人間も滅多におらぬぞ? 

 皆、おまえがしてきたことを見て、

 おまえがどのような人間か、

 身に染みてわかっているからだ。

 聞こえるか、カワバタよ。

 布施をたんまりもらって、

 玄関から出ていく坊主の足音が。

 意気揚々とねぐらに帰っていくわい。

 おまえの親戚たちは、

 遠くに住む者からしびれをきらして、

 暇を請い、座を立って、

 逃げるように家へと帰っていく。

 近くに住む親戚は、

 仕方なしに、膝をさすりながら、

 茶を飲み、菓子を食って談笑する。

 そうこうするうちに酒が出て、

 さかなが出て、厨房は大忙しになる。

 誰がおまえのことなど気にかけていよう。

 誰もおまえの滅罪など願っておらん」


 倶生神の言葉を聞いて、

 カワバタは絶望し、がたがたと震えた。


 閻魔王は倶生神に言った。


「もうよい。ご苦労であったな。

 おまえはもう下がってよいぞ」


「それでは、大王様、

 お言葉に甘えまして。

 先に失礼させていただきます」


 倶生神は

 去り際にこうつぶやいた。


「いやいや、さすがに疲れたわい。

 まったく、近頃は、

 小悪党ばかりでうんざりだわ。

 願わくは、次はもっと

 ましな奴に憑きたいものだ」


 閻魔王は言った。


「カワバタよ、親族どもの祈りの言葉、

 余はしかと聞き届けたぞ。

 それでは、おまえに判決を申し渡す。

 おまえは、他人の迷惑を

 顧みない人間じゃった。

 おまえは、いま一度、

 迷いの世界に生を受け、

 悩み、苦しみもがく人生の

 試練に耐えるがよい。

 そうして、今度は

 幸多きところに生まれるよう、

 一心に念じて、娑婆で精進せよ。

 努力して、善い人間になれ。

 カワバタよ、期待しておるぞ?」


「ありがとうごぜえます! 

 あっしはもう、改心いたしました。

 ご期待を裏切らぬよう、

 肝に銘じて、今度は

 善い人間になって、

 もう一度、閻魔様の

 前に立ちたいと思います」


 カワバタはそう言って、涙を流した。

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