三十三、別 れ

 閻魔王は言った。


「マタヨシよ、最後に

 ひとつだけ聞かせてくれ。

 わしにはどうしても解せんのじゃが、

 おまえのような潔癖な男が、

 どうして地獄めぐりなんぞに

 出向いたのじゃ? 

 そのような不埒ふらちな行いは、

 おまえの性に合わん」


「わたしは、自分の父親に

 会いに行きました」


「おまえの父親に?」


「そうです――。たぶん地獄に

 堕ちているだろうと思ったから。

 わたしは父の顔を指さして、

 それみたことか。

 ぼくの言うことが正しかっただろうと、

 ひとこと言ってやりたかったのです」


「おまえは、父を嘲笑うためだけに、

 わざわざ地獄に出向いたと申すか?」


「いいえ――。そのうえで、

 父が受けている地獄の責苦を、

 代れるものなら

 代ってやろうと思ったのです。

 ぜんぶ、わたしが悪いのですから。

 わたしがしたことで、

 父は地獄に堕ちたのですから」


「なんと! おまえは、

 自分の父に会うために、

 あわよくば、父がしでかした

 罪をかぶるために、

 地獄に赴いたと言うのか」


「ええ――。しかし、父を

 見つけることはかないませんでした。

 地獄はあまりにも深く、広大で、

 これ以上、わたしの個人的なことで、

 神の手を煩わすわけにもいかず。

 でも結局は、不注意から

 このようなことになってしまい、

 閣下にも大変なご迷惑を

 おかけしてしまいました。

 地獄に行ったのはまちがいでした。

 わたしはおろかな男です。

 どうぞ、閣下の意の赴くままに、

 わたしをお裁きください。

 わたしは、閣下が

 行けと命じられたところなら、

 どこにでも赴くでしょう」


「おまえは、わしが言うことには、

 何にでも従い、わしが命じるところ

 どこにでも赴くと言うのだな?」


「はい」


「わかった――。決めたぞ? 

 わしの命令はこうだ。

 おまえを現世に送り返す。

 おまえはいまいちど、

 現世に身を置いて、人間の男、

 マタヨシとして生きて、

 人生という試練に身を投じるのだ。

 そのうえで、あらためて

 わしのもとに来て、

 わしの裁きを受けるがよい。

 そのときは、わしは

 昔馴染みだからといって、

 手心を加えることなく、公正に、

 容赦なくおまえを裁くだろう。

 行け、マタヨシよ。

 この件は以上じゃ。

 おまえたちも下がってよいぞ」


 マタヨシはプルートーに言った。


「あなたには最後まで世話になった。

 あなたと旅した冥府の思い出は、

 この先のおれの人生の

 貴重な宝となるだろう」


 プルートーは言った。


「わたしにとっちゃ、

 あんなのはただの暇つぶしだ。

 それにしても、

 おまえの地獄めぐりの動機が、

 父親のことだったとはな。

 わたしはてっきり、

 おまえが未練たらしく、昔の女でも

 探しているのかと思っていたよ。

 洋の東西を問わず、

 父親憎しは同じだな」


「つまらないおちだっただろう?」


 プルートーは鼻で笑って、


「いや、おもしろかったさ。

 おれも久しぶりに楽しめた。

 こう見えて、神でいることも

 楽じゃないんでね。


 ――マタヨシよ。

 最後にひとつ教えといてやろう。


 おまえの父はここにはいない。

 おまえの父はいま、

 わたしの冥府にいるぞ。

 おまえの母は外国の者だろう? 

 婚姻とは、おまえたち人間が考えるよりも、

 ずっと厳格な掟に支配されるものでな。

 おまえの父の魂は、先に逝った

 おまえの母親のところに、

 死後赴くことになっていたのだ。

 案ずるな。おまえの両親のことは、

 わたしがじっくりかわいがってやるさ」


「あなたになら安心して任せられます。

 ご迷惑をおかけしますでしょうが、

 二人のことをよろしくお願いします」

 

 そう言って、

 マタヨシは深々と頭を下げた。


 プルートーは言った。


「ちっ。食えん男だよ、

 おまえは。もう行け。

 おまえの面倒は見飽きた。

 おまえは残りの人生を

 せいぜい悔いの無いように生きろ」


 マタヨシは、

 もう一度深くお辞儀をして去った。


 閻魔は異教の神に聞いた。


「プルートーよ、あの男をどう見る?」


「どうって、さっきも言ったでしょう? 

 あの男は馬鹿ですよ。

 もっと単純に考えればいいんだ。

 善い行いとは、他人を利する行いだと、

 わりきって考えればいいんです。

 意志の純粋性になんてこだわっているから、

 ああいうへんてこなことになって、

 人生を棒に振るんだ。

 あの男は馬鹿です。大馬鹿者です!

 あなたも人を裁く神なら、

 あんな男の言うことを真に受けて、

 あまり心を動かされないことだ」


 閻魔王は頷いて言った。


「そうじゃな。しかし、

 わしはああいう馬鹿なやつが好きだよ。

 プルートーよ、汝はこれからどうする? 

 もう少し、わが冥府を見物していくか? 

 そのつもりなら、今度は

 ちゃんとした案内をつけよう」


「いや、その申し出はありがたいんだが、

 わたしはこれでもさる冥府の王だ。

 いつまでもこんなところで

 油を売っていられない。

 今日のところは、大人しく

 帰るとしますよ。今度来るときは、

 土産のひとつでも持ってきて、

 そしたら一緒に酒でも酌み交わしましょう」


「随意にせよ。汝がすることに、

 余は口出しはせぬ」


「そうですか――。

 それでは、お言葉に甘えまして」


 プルートーは背後に開いた暗闇に消えた。


 閻魔王は言った。


「ふん、なにが酒だ。

 まったく、わしは

 やつがうらやましいよ。

 今日もわが冥府は大忙し。

 地獄に堕ちる人間は後を絶たず、

 呑気に酒を飲んでる余裕など、

 いまのわしにはないわ」


   *


 わたしはこのように聞いた。


 現世に蘇ったマタヨシは、

 その後、結婚して息子を授かり、

 八十七歳まで生きた。


 以上で、

 尊敬すべき男、不屈の男、

 マタヨシ・ハートマンの冥府への

 旅の物語は終わる。


       (完)

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冥府 芳野まもる @yoshino_mamoru

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