三十一、裁 判(3)

 しばしの休憩をはさんだ後、

 マタヨシの裁判が開かれた。


 閻魔王は、司命しめいが差し出す

 書類に目を通すと、


「ここに来るまでに、

 ずいぶん時間がかかったようじゃな。

 まずはそのわけを余に申してみよ」


 マタヨシは、これまで

 いろいろなことがありすぎて、

 何をどう話せばよいかわからなかった。


 閻魔王は、当惑するマタヨシを見て、


「では、倶生神よ。

 代わりにわけを余に報告せよ」


 倶生神・同命どうめいは言った。


「マタヨシは精霊の導きを

 拒絶したのでございます」


「なんじゃと? 

 それじゃあ、なにか。

 この男は、あの暗い森の中を

 自力で歩いてここまで

 やって来たのか?」


「はい。マタヨシは、

 鳩槃荼くばんだどもの巣を突っ切り、

 摩睺羅伽まごらがの森を抜けて

 きたのでございます」


「摩睺羅伽の森を?

 鳩槃荼はともかく、

 地龍の襲撃を受けて

 無事な人間がいるとは思えぬ。

 さては、だれか

 こやつに力を貸した者が

 おるようじゃな」


 そのとき、プルートーが

 閻魔王の前に歩み出てきた。


「お呼びでしょうか、閣下」


「なんじゃ、貴様か」


「閣下におかれましては、

 ご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」


 閻魔王は少し呆れた様子で、


「相変わらずじゃな。

 それで、異教の神が何用じゃ? 

 よもや、わしの判決にけちを

 つけに来たわけじゃあるまい?」


「そんなつもりは毛頭ございません。

 わたくしはただ、事の顛末を

 ご報告に上がった次第で」


「地龍の正体は、凶悪な蛇じゃ。

 勝手に退治したとて、

 貴兄が気に病むほどのことではない」


「いえ、そのことではなくて――。


 実はね、単刀直入に申しますと、

 やつの肩に乗っていた倶生神を、

 不注意から死なせてしまいまして。


 いや、死んだとは断定できないが、

 ここに来る前、閣下ご自慢の

 阿鼻城を見物していた折、

 突然、躍り出た黒龍に、

 がぶりとやられちまいましてね。

 今頃は、龍の腹の中です。

 いや、黒龍と言っても、

 まだ赤子同然の、

 善悪の区別もついてない、

 やんちゃなちびすけなんだが、

 それがまあ、なんとも

 活きのいい奴でして。

 わたしともあろう者が、

 泡を食って、もう

 てんやわんやでございました」


「なるほどな。どうりで先ほどから、

 同生どうしょうの姿が見えぬわけだ」


 無間地獄で、マタヨシの半身が

 黒龍に食われた際、

 右肩にいた倶生神が食われたと

 プルートーは言ったのである。


 それは、マタヨシの悪行を

 記録する役目を負った神であった。


 閻魔王は言った。


「起こったことは仕様がないが、

 さて――。この男の処遇を

 どうしてくれよう」


 マタヨシは、プルートーに

「どういうことか?」と聞いた。


「あの鏡があるではないか。

 倶生神とやらが不在でも、

 裁判はできるのではないか?」


 プルートーは言った。


「いえね。あんたは

 知らなくても無理ないんだが、

 あの浄玻璃鏡は、倶生神の

 神通力によって

 動いているものなのです。

 あの鏡自体には、

 なんの魔力もありません」


「そういうことじゃ。

 証人なしには、神とて

 人を裁くことはできぬ。

 さて、困った。

 このようなことは、

 滅多にあることではない」


 閻魔はしばらく考えてから、

 同名どうめいに命じて言った。


「同名よ、参考までに、

 この男の善行を述べてみよ」


「大王様、参考までに申し上げますが、

 この男は善人の見本のような奴です」


「ふむ、そいつは妙だ。

 この男は、孤独のうちに死んだと、

 わしは聞いた。

 こやつが本当の善人なら、

 どうしてひとりで死んで

 いかねばならなかったのか。

 同名よ、そのわけを説明できるか?」


「はい、大王様。

 この男が善人でありながら、

 孤独のうちに死んだわけでございますが。


 この男はどうも妙な男でございまして。

 善いことをするときには、

 きまって誰も見ていないところで、

 悪人が悪事を働くかのように、

 こそこそと人目を憚ってやるのです。


 この男が善人でありながら、

 孤独のうちに死んだのは、

 誰も彼のことを善人だと思わず、

 ただ言葉だけ威勢の良い、

 ただの『頭でっかち』だと

 思っていたからなのです」


 それを聞いて、

 書記官の一人がつぶやいた。


「かわいそうな男だ――。

 普通なら、誰かひとりくらいは、

 この男のことをわかってやれる

 勘のいい人間がいるものだが」


 また、別の書記官が言った。


「この男は、運の神に見放されたか?

 前世で余程よほどひどいことを

 したにちがいない」


 書記官はそう邪推したが、

 プルートーが眉をひそめたのを

 見て、蛇に睨まれた蛙のようになった。


 閻魔王は言った。


「ふむ。そういうことなら納得がいく。

 マタヨシよ、安心せい。

 神は見ておったぞ? 

 神はおまえのことを見捨てなかったぞ? 

 神はおまえがしたことを、

 ちゃんと見ておったのだ」


   (三十二に続く。)

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