十一、あばら屋

 あばら屋につくと、

 カワバタはマタヨシに言った。


「住めば都といいますが、

 ここの暮らしは、

 ほんとにひどいもんですよ。

 食料もなにもありゃしない」


「生活には不便しているようだな?」


 マタヨシが聞くと、

 カワバタは首を横に振って、


「不便なんてもんじゃないです。

 そもそも、生活なんてのは、

 生きてる人間がすることで。

 あっしら死人は、食わなくても

 死にゃしないかわりに、

 食って飲んで、生きるという

 楽しみを奪われちまった」


 死んでいるのだから当然の話だと、

 マタヨシは思った。


「あんたはどのくらいここにいるんだ?」


「さあ。途中で、数えるのを

 やめちまいましたから」


 このカワバタという男――。

 年の頃は、三十半ばくらいだが、

 おそらくこの見た目は、

 この男が死んだときのものだ。

 それからどれほどの月日が

 流れたというのか。


「門を出て行こうとは思わないのか?」


 マタヨシが聞くと、

 カワバタは怪訝そうな顔で、


「あなた、六道の意味を

 ちゃんとわかってますか?」


「わかっているつもりではいるが?」


 六道とは、人間が死後おもむく

 とされる世界のこと。

 地獄道、餓鬼道、畜生道を

 悪人がおもむく『三悪趣』といい、

 修羅道、人間道、天道を

 善人が趣く『三善趣』という。


 それは、マタヨシも心得ている。


「六道が何か、わかっているんなら、

 どうしてそんな質問をなさるんです?」


 カワバタは熱を込めて言った。


「いいですか? 適当にくじを引いて、

 地獄になんぞ落っこちちまえば、

 誰も助けちゃくれないんですよ?」


 そのとき、仏頂面が口を開いた。


「すみっこだけはやめとけ」


「あれがホトケの持論なんですよ」


 カワバタが、仏頂面に代わって

 説明して言った。


「端から順に並んでいるなら、

 すみっこをとるのが、

 吉とでるか、凶とでるか。

 天道と地獄道じゃあ、文字通り、

 天と地ほど違いがありますでしょう?

 二番目なら、

 人間道か餓鬼道だが、

 これもえらいちがいがある。

 真ん中を行けば、無難な気がするが、

 修羅道と畜生道とじゃ、

 どっちもどっちって感じでねえ?」

 

 マタヨシはあきれて言った。


「あんたたちは、これまでずっと

 そんなつまらん議論ばかりして、

 時を過ごしてきたのか?」


「つまらんとは、ひどい言い草ですね」


 カワバタがむっとした表情を見せたが、

 マタヨシは構わずに、


「門が六つあるから、六道の辻だなんて、

 おれにはこじつけのように思える。

 そもそも、あの門があの世に通じる門だ

 なんてことも、ここの人たちが

 勝手に言い出したことじゃないのか?

 立って行くんだ――。

 とにかく立って行かなければ。

 こんなところでぐずぐずしていても、

 なにも始まらんじゃないか!」


「そんなことは先刻承知ですよ」


「立って行くんだ! 

 そうしないと往生できる者も

 できぬ者になるぞ? 

 正解がどれかなんて関係ない。

 正しい人が選ぶ道が、

 正しい道なのだ。

 自分は善人だという自負があれば、

 何を躊躇することがあろう?」


「そうは言いますけれどもね。

 自分は極楽に行く運命だって、

 胸を張って言える人たちが

 世間にどれくらいいるでしょう?

 そりゃあ、なかには

 おめでたい人がいて、

 自分が選んだもんは

 当たりに決まってると、

 大きなことを言う人はいますよ?

 この前だって、新参者が

 居丈高に言い張りましてね?


『自分は生前、朝晩の、

 日々の勤めは、

 欠かしたことなし。

 だから心配するな。

 絶対に大丈夫だ』


 そう言って、その男は、

 われに続けと言わんばかりに、

 意気揚々と立って行ったが、

 誰もついてこないのが不満らしく、

 何度も後ろを振り返り、

 しまいには、


『もう知らん!

 おまえらは地獄にでも

 なんでも堕ちろ!』


 そう言って、さんざん毒づいたあげく、

 唾を吐いて出て行ったんだが、

 正直言って、あんなのが

 極楽行きだなんて、当人以外は

 誰も信じようとしませんでしたよ」

 

 カワバタは続けて言った。


「正直に言うとねえ。

 あれが六道の門だなんて、

 ばかな話だってことは、

 あっしも承知してます。

 

 ただ、自分はわるい人間で、

 地獄行きの定めかもしれねえ。

 そう思うと、足がすくんで、

 立って行けねえんですよ。


 生きて娑婆にいた時分に、

 もっと善根ぜんこんを積んでおけば、

 こんなことにならずに済んだのに。

 

 そんな後悔ばかりが頭をよぎって、

 あっしはもう、どうしていいか

 わからねえんですよ――!」


 そう言って、カワバタは泣いた。

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